九龍浦近代文化歴史通り(浦項)

クリョンポクンデムナヨクサゴリ구룡포근대문화역사거리

閉店・移転、情報の修正などの報告

掲示板ご利用の前にコミュニティ掲示板ガイドラインをご参照ください。
以下の投稿を禁止します。内容の有無にかかわらず削除、IDの停止をいたします。
・各種団体、施設の告知・宣伝、募集・勧誘活動など
・名前、住所、電話番号など個人を特定できる情報の投稿
・明らかに男女交際を目的とした「出会い系」としての掲示板の利用
※ユーザー同士の交流を規制するものではございませんが、あくまで自己責任の範囲でお願いします。
  • トピック:2件
  • コメント:0件
トピック 投稿日
投稿者:HN1955

口コミ掲示板九龍浦の旧日本人街

2016-06-06
  • サムネイル表示
  • 一覧表示
  • 日本家屋通

  • 九龍浦近代歴史館で浴衣姿の記念写真

  • 階段に残る十河彌三郎の石柱

6月5日、久しぶりに九龍浦の旧日本人街に行ってきました

1910年頃より日本人が移住してきて、日本の街並みができました
移住数年前、100周年記念の行事も行われ、綺麗に整備されています

カフェの「古里」では浴衣の着付けも行われています

九龍浦神社の石段を登り左に十河彌三郎の功績を讃えた頌徳碑がありますが、碑文はコンクリートで塗り固められています
階段の石柱には表はすべて韓国人の名前が刻まれていますが、裏側は多分日本人の名前であったようですが、こちらもコンクリートで消されていますが、不思議なことに十河彌三郎のだけはそのまま残っています

これらが、ただの観光資源でなく、功罪併せ持つ歴史的資源として残されてほしいものです

 
訪問日:2016/06
コメント(全3件)

一期一会

2016-06-13
相変わらず韓国の中の日本を求めていますね。
ご存じかと思いますが、釜山に「貞蘭閣」という植民地時代に建てられた日本式の高級住宅が
6月末に一般公開されるそうです。
1943年に当時日本の武士階級が好んだ書院造りの建物で韓国内でも珍しい建物です。
ここ3年間復元工事に約6億9000万ウォンの予算が投じられ、今後「文化共感 水晶」という名前で
ゲストハウスやカフェとして活用するそうです。お時間あれば行ってみてください。
こういう建物を見るといろいろ考えさせられますね。

 

HN1955

2016-06-13
>>一期一会さん お久しぶりです

「貞蘭閣」、いつか行こうと思っていましたが、工事が長期にわたっていたので行けずじまいでした
3年かけての復元工事だったのですか

場所は以前より調べてましたので
地下鉄釜山鎮駅1番口を出て、コガンヘムルタンの前を通り抜けた先になりますよね

次回の訪韓の楽しみにしています

 

一期一会

2016-06-16
>>HN1955さん
そうですね、コガンヘムルタンの前を通り抜けた先にまっすぐ行って小高い所に位置しています。
後日ゲストハウスがオープンしたら泊まってみてください。
 
投稿者:HN1955

口コミ掲示板100年の歴史を超えた日本家屋

2013-09-24
  • サムネイル表示
  • 一覧表示
  • 負の負の財産

  • 日本家屋通

浦項の九龍浦の日本家屋通りに行ってきました。
現在、九龍浦では100年を考えると題し様々な催しが開催されています。

一枚目の写真は、この地で成功を収め、発展に貢献した、十河彌三郎の功績を讃えて建立された記念碑です。
写真の題に負の負の財産といったのは、この地に入植した日本人の経緯が1つ目の負、碑銘をコンクリで塗りかためたことが2つ目の負だと思います。

日本家屋通りは、2年ほど前から改装が進められ、100年前の面影がなくなっていることが残念でした。
 
訪問日:2013/09
コメント(全4件)

Shnkai

2013-09-25
こんにちは

負の負の財産・・・・・言いえて妙というか・・・・・・
歴史には必ず光と影がありますが・・・・・
全部破壊しないで、コンクリートで塗り固めている・・・・・

色々な思いが交錯しているのが感じられます。

支離滅裂で失礼しました。

 

クラウンOB

2013-09-25
高台への階段の両脇に並ぶ石柱の裏側も、セメントで日本人の名が塗り固められているのをご覧になったかと思います。そのうちの一つだけが、偶然なのか何か理由があったのか、塗り固められておらず、そこに刻まれている名が十河彌三郎であるということを、ずっと後に知りました。何か因縁めいたものを感じました。

日本家屋は敵性遺産とも呼ばれます。数年前に訪ねた時、広報展示館で見た市長のあいさつ文には「当時が日本帝国時代であったことから見れば、心喜べる文化遺産ではない」「数千里離れた海を越えて漁をしにきた彼らは、九龍浦で何を夢見てどう暮らし帰っていったのか。その足跡を探していけば、両国の過去全般に対する新しい考えが生まれてくるに違いない」と書かれていました。日本人としてノスタルジーを味わうだけで終わってはいけないと考えさせられる町でした。 

HN1955

2013-09-25
>>Shnkaiさん
>>クラウンOBさん

この記念碑を見たとき、言葉では表現できない、何とも声にできないものを感じました。
この感覚を、文章として表現のしようがないのが残念です。
 

一期一会

2013-09-25
ご存知かもしれませんが、釜山にも日本家屋やゆかりのある場所がいくつか残っています。
http://japan.busan.com/jp/news/sub1.asp?num=133
上記以外にもあるので、もし興味ありましたら今度ご案内します。
見たら多分ビックリするような場所もありますし。

 
  • 1