西大門刑務所歴史館

ソデムンヒョンムソヨクサグァン서대문형무소역사관

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「西大門刑務所歴史館」に行く

ガイドのキム・ホンジェさんと一緒に見た西大門刑務所

こんにちは!たみです。今日は西大門刑務所にやってきました。私もここは初めてなので、皆さんをご案内するには役不足ということで、ガイドのキム・ホンジェさんに案内していただきながら見ていきたいと思います。

先ず入口を入ると「2階に上がってくださ~い。」と係員さん。というわけで2階からスタート。

以下、キム・ホンジェさんのの説明です。
民族抵抗室
「独立運動家達は、日本の侵略に対して主権を取り戻そうと全国各地で抵抗し続けました。」
「民族抵抗運動と西大門刑務所の関係を年代別に見ることができます。」
「1919年、3月1日に起きた3・1独立運動のとき、民族代表33人をはじめ、数多くの市民が西大門刑務所に投獄されました。この中に柳寛順もいました。」
刑務所歴史室
「朝鮮時代は徳治と仁政を掲げて監獄は規模が小さく、伝統的な監獄である典獄署では窃盗や強盗などの囚人を収監する施設でした。1907年以降、日本政府が直接統治するようになってから韓国人の反発もますます強まり、1936年には刑務所17ヶ所、支所11ヶ所、収容人数は18、000人と大幅に増えました。この地図では、全国の刑務所が見れるようになっています」
獄中生活室
「この中に入ると2日で死んでしまいます。このように独立運動家達を日本は老若男女と問わず特殊犯罪者として残酷な拷問を受けました。」(下の写真左)

「これは日本帝国政府の厳しい拷問を受け、耳を切り落とされてしまった写真です。」(下の写真中)

「この紐を引っ張るとそのまま下に落ちるようになっていました。」 (下の写真右)
「監獄の衛生と食糧配給状態はかなりひどく、投獄人数が急激に増加すると配給量を減らしたので投獄者のほとんどは栄養失調になり、たくさんの人達が飢え死にしました。」
「これは クァンポク(光復)<独立>のときに今のナンサン(南山)にテクッキ(太極旗)<韓国の国旗>を立てました。」
次に地下1階に移動。地下には臨時拘禁室、拷問室があります。
地下に行くと一瞬、引いていました。薄暗くて、なんかゾっとして怖い感じ。

臨時拘禁室
「保安課の地下監房は、独立運動家達を拷問する場所でした。」
拷問室
「棒で殴るのは基本、逆さまに吊り下げ、鼻や口に唐辛子水を入れたり、水に頭を突っ込んだり、電気の拷問などを行いました。」
次に外に出て、獄舎へ。

獄舎
「獄舎は木造の建物で「T字型」になっており、獄舎の中央から全体を見張れるようになっていました。ここは昼間でも日が当たらないのでとても暗く、監獄は廊下を挟んで両側に向かい合わせるようにしました。」
「第13舎(工作舎)は、独立運動家と投獄者たちを強制的に動員して、刑務所、軍部隊、官公署で使う官用物資を作らせました。」
「ここは定期的に展示をやっています。今(※注:取材時)は歴史歪曲展をやっています。」
追悼碑
「ここに名前の載っている人たちは後に発見された人だけであって、実際はもっとたくさんの人が亡くなっていると思われます。」
死刑場
「このポプラの木は死刑場に入る死刑囚達がこの木に向かって慟哭したといわれ、死刑囚の恨みであまり育たなかったとの話も伝えられています。」
「中を見ると開閉式の床の上に死刑囚が座る椅子があり、当時使われていた太い縄がつるされています。そして前面には、死刑を執行するときの立会人たちが使った長いすがそのまま残っています。」
「ここは遺体を運んだ通路です。」
屍躯門
「この門は、死刑場から遺体を運んできて、共同墓地に運ぶための通路でした。共同墓地といっても、遺体を捨てるごみ捨て場のようなものでした。」
「ここのレンガは全て京城監獄のときのもので紋章がまだ残っています。」
地下監獄
「ここは梨花女子大(イファヨデ)の学生だった柳寛順(ユ・グァンスン)が投獄された地下監獄です。この写真は、拷問のため全身腫れあがっています。」
ボランティア通訳ガイドのキム・ホンジェさんのお話・・・
「獄舎の中に朝1番に入ると、とても耐えられない匂いがするんです。長い間監禁された人々の汗や血の臭いが染み付いてるんでしょうね。私は昔学校で日本語を習ったので、俳句なども暗記しています。頭から決して消えることがないんです。日本の方は韓国の珍しいもの、面白いものに興味が当然あるでしょう。この西大門刑務所に見学にくる人はだいたい学校の先生、学者、修学旅行の生徒達です。もっと日本の方に真の韓国を見て欲しいです。」
旧西大門刑務所主任のソ・ギファンさんは
「ここは、生きた歴史を勉強できるところです。ここにある建物は復元したものもありますが、実際の建物をそのまま保存しているものも多く、お金をかけてつくった人工的な歴史館ではないので、韓国の、この西大門刑務所の歴史を生で感じることができると思います。」

ちょうど日本から見学に来ていた高校生は
「高校の卒論を韓国史について書こうとこの西大門刑務所に見学に来ました。見学をして感じたことは、とても衝撃的でした。今まで全然知りませんでした。過去に韓国と日本の間でこんなことがあったなんて。」

日本から来た学校の先生は

「とても衝撃的でした。もっと日本の人にも知ってもらいたい」
たみの感想
私は以前に韓国の天安(チョナン)にある独立記念館(トンニッキニョングァン)に3度ほど見学しに行ったことがあるのですが、拷問のリアルな人形の展示はとても衝撃的で、自分自身その場で日本語を話すことはできませんでしたし、一緒に行った母親は途中でギブアップして出てしまいました。その時もっと印象的だったのは、その残虐な拷問の展示に子供たちが列をなして見入っていることでした。子供たちの脳裏にはこの映像はこびりついて離れないだろうと考えると、ここは韓国の歴史を後世に伝えるための学習施設としての役割を果たしているのだと感じました。
天安(チョナン)にある独立記念館(トンニッキニョングァン)は、お金を掛けて完璧な展示場として作り上げたものなので、少し人工的な印象がどうしてもしてしまうのですが、この西大門刑務所はほぼ実際に使用していたものを保存、復元したものなので、ここで流された涙や汗、叫び声が実際聞こえてくるような、そんなリアルなものを感じます。日本からの見学者はだいたい教育関係者ですが、最近見学者が急増し、個人の参加もしばしば見られるとことです。
日本のみなさん、今の美味しい、楽しい韓国だけでなく、今まで韓国が歩んできた歴史もあわせて見に来て下さい。以上、たみでした。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日 :2001-09-17

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