徳寿宮
トクスグン
덕수궁
長寿を願う意味を名前に持つ、大韓帝国の波乱万丈な歴史の中心舞台!!!
こんにちは。ソウルナビです。今日はソウル市庁の隣りにある徳寿宮(トクスグン)についてくわしくご紹介したいと思います。徳寿宮はもともと成宗(ソンジョン・李朝第9代王、1457~1494、在位1469~1494)の兄である月山大君(ウォルサンテグン)が住んでいた邸宅でした。ところが豊臣秀吉による文禄・慶長の役が勃発した翌年の1593年、避難先からソウルに戻ってきた宣祖(ソンジョ・李朝第14代王、1552~1608、在位1567~1608)が月山大君が住んでいたこの邸宅を臨時の王宮として使用。最初は徳寿宮があった場所の名前が貞陵洞だったことから貞陵洞行宮(行宮=王の臨時宿所)という名前でしたが、これを光海君(クァンヘグン・李朝第15代王、1575~1641、在位1608~1623)が慶運宮(キョンウングン)と命名、数年間ここで生活したそうです。
その後1615年に光海君が昌徳宮(チャンドックン)に居場所を移し、その後274年間この王宮は主人不在の状態でした。しかし1897年、高宗(コジョン・李朝第26代王、1852~1919、在位1863~1907)がここ慶運宮を修理し、もとの王宮らしい姿に生まれ変わった後、俄館播遷(アグァンパチョン・1896年2月、明成皇后暗殺に身の危険を感じた高宗がロシア公館に避難した事件)の翌年の1897年に慶運宮へ居場所を移したことで再び王宮として使用されるようになりました。この時から高宗が皇帝として在位した1907年まで、徳寿宮は大韓帝国(1897年8月12日~1910年10月22日までの李氏朝鮮王朝の国名)の波乱万丈な歴史の中心舞台になりました。1904年の大火災でほとんどの殿閣が焼失、1905年には重明殿(チュンミョンジョン)で日韓保護条約(乙巳条約)が締結されるなど、幾多の受難を経験した歴史的な場所でもあります。高宗の次男である純宗(スンジョン・李朝第27代&最後の王。1874~1926、在位1907~1910)が1907年に皇帝に即位し、昌徳宮へ居場所を移したのですが、慶運宮に残った高宗の長寿を願う意味で徳寿宮と命名、以来慶運宮は徳寿宮と呼ばれるようになりました。いかがですか?徳寿宮にちょっとくわしくなったような気がしませんか?それでは今からさらにくわしく徳寿宮についてご説明することにしましょう。
ソウル市内5大王宮の中で一番、観覧客でにぎわう王宮~!!
18,635坪(61,603?)の規模の徳寿宮は現在、一般観覧客に完全に開放され、都心の中の文化的かつオアシス的な空間として脚光を浴びています。またソウル市内5大王宮の中で一番にぎやかな王宮でもあります。近くのオフィスに勤めるサラリーマンの休息所として、または学生の見学コースとして、それからカップルのデートコースとして、さまざまな人々に愛されている王宮です。皆様もご存知のように2002年のワールドカップの時は数十万人のレッド・デビル(韓国国家代表サッカーチーム公式サポーター)が集まって応援した所がまさにここ、徳寿宮の前!テレビ、新聞などマスコミではソウル市庁前に集まったと報道していましたが、実は徳寿宮の前でもあるわけなんです。(^-^)また徳寿宮の建物の1つである別館には徳寿宮美術館がおかれ、文化空間としても大きな役割を担っています。それから徳寿宮には中和殿(チュンファジョン)と中和門(チュンファムン・宝物[国宝と重要文化財の間]819号)、咸寧殿(ハンニョンジョン・宝物820号)、仰俯日(アンブイルグ・宝物845号)などの文化財があり、また徳寿宮自体も史跡124号に指定されています。
18,635坪(61,603?)の規模の徳寿宮は現在、一般観覧客に完全に開放され、都心の中の文化的かつオアシス的な空間として脚光を浴びています。またソウル市内5大王宮の中で一番にぎやかな王宮でもあります。近くのオフィスに勤めるサラリーマンの休息所として、または学生の見学コースとして、それからカップルのデートコースとして、さまざまな人々に愛されている王宮です。皆様もご存知のように2002年のワールドカップの時は数十万人のレッド・デビル(韓国国家代表サッカーチーム公式サポーター)が集まって応援した所がまさにここ、徳寿宮の前!テレビ、新聞などマスコミではソウル市庁前に集まったと報道していましたが、実は徳寿宮の前でもあるわけなんです。(^-^)また徳寿宮の建物の1つである別館には徳寿宮美術館がおかれ、文化空間としても大きな役割を担っています。それから徳寿宮には中和殿(チュンファジョン)と中和門(チュンファムン・宝物[国宝と重要文化財の間]819号)、咸寧殿(ハンニョンジョン・宝物820号)、仰俯日(アンブイルグ・宝物845号)などの文化財があり、また徳寿宮自体も史跡124号に指定されています。
日本語無料ガイドを希望する方は毎朝9:30or夕方16:00集合!! <2010.6.18>
それではいよいよ徳寿宮観覧を本格的に始めることにしましょう。徳寿宮の正門である大漢門(テハンムン)の右側にチケット販売所があるのでそこでチケットを買ってから大漢門から中に入ります。あ~!それから大漢門の前では李氏朝鮮時代の王室の伝統と威厳が感じられる「王宮守門将交代儀式」の再現行事が酷暑期および零下5度以下の酷寒期、毎週月曜日の休館日を除き、毎日開催されています。だからできれば交代の時間に合わせて徳寿宮に行くのが良いですよ~!(^-^)大漢門を通ると右側にインフォメーションセンターがあるのでそこで徳寿宮を観覧する前に案内パンフレットをもらいましょう~!日本語の無料ガイドを希望する方はスタートの9時30分か16時までに行けば(休館日と公休日を除く、土日は9:30のみ)無料で案内してもらうことができます。それでは~!レッツゴー!(^-^)おっと、ちょっと待った~!下の順序は徳寿宮案内地図に表示されている番号と同じですが、行くコースは観覧の便宜上、徳寿宮内にある案内地図とは少し変えて編集しています。
※日本語無料ガイドの予約が不要になりました。<2007.4.5>
それではいよいよ徳寿宮観覧を本格的に始めることにしましょう。徳寿宮の正門である大漢門(テハンムン)の右側にチケット販売所があるのでそこでチケットを買ってから大漢門から中に入ります。あ~!それから大漢門の前では李氏朝鮮時代の王室の伝統と威厳が感じられる「王宮守門将交代儀式」の再現行事が酷暑期および零下5度以下の酷寒期、毎週月曜日の休館日を除き、毎日開催されています。だからできれば交代の時間に合わせて徳寿宮に行くのが良いですよ~!(^-^)大漢門を通ると右側にインフォメーションセンターがあるのでそこで徳寿宮を観覧する前に案内パンフレットをもらいましょう~!日本語の無料ガイドを希望する方はスタートの9時30分か16時までに行けば(休館日と公休日を除く、土日は9:30のみ)無料で案内してもらうことができます。それでは~!レッツゴー!(^-^)おっと、ちょっと待った~!下の順序は徳寿宮案内地図に表示されている番号と同じですが、行くコースは観覧の便宜上、徳寿宮内にある案内地図とは少し変えて編集しています。
※日本語無料ガイドの予約が不要になりました。<2007.4.5>
徳寿宮案内図
1.大漢門(テハン厶ン):
大漢門はもともとは徳寿宮の正門でなくて東門であり、もともとの名前も大安門(テアンムン)でした。1904年の大火災の後、1906年7月15日に再建、大漢門と改称され、以来事実上の徳寿宮の正門となりました。もともと徳寿宮の正門は仁化門(イナムン)で、現在の中和門の前にあり、仁化門を通って一直線上に中和門を通り、徳寿宮の正殿である中和殿に続いていました。門の建築様式は単層正面3間、側面2間の多包式隅進閣屋根で、王宮の正門で単層なのはこの門だけです。現在の大漢門は1960年代、大漢門前の太平路(テピョンノ)拡張工事にともない後方へ約14mずらされ、大漢門の基檀と階段は歩道ブロックとアスファルトで固められ見ることが出来ません。大漢門という扁額は朝廷の重臣だった南廷哲(ナム・ヨンチョル・李朝後期の大臣、1840~1916)の手によるものです。
大漢門はもともとは徳寿宮の正門でなくて東門であり、もともとの名前も大安門(テアンムン)でした。1904年の大火災の後、1906年7月15日に再建、大漢門と改称され、以来事実上の徳寿宮の正門となりました。もともと徳寿宮の正門は仁化門(イナムン)で、現在の中和門の前にあり、仁化門を通って一直線上に中和門を通り、徳寿宮の正殿である中和殿に続いていました。門の建築様式は単層正面3間、側面2間の多包式隅進閣屋根で、王宮の正門で単層なのはこの門だけです。現在の大漢門は1960年代、大漢門前の太平路(テピョンノ)拡張工事にともない後方へ約14mずらされ、大漢門の基檀と階段は歩道ブロックとアスファルトで固められ見ることが出来ません。大漢門という扁額は朝廷の重臣だった南廷哲(ナム・ヨンチョル・李朝後期の大臣、1840~1916)の手によるものです。
2.下馬碑(ハマビ):
大漢門を過ぎ、禁川橋(クムチョンギョ)を渡る前に左側を見るとハマビ(下馬碑)があります。これは現在たった一つ残存する王宮の下馬碑!!下馬碑とは王宮、宗廟、書院などの入口の前、一定の位置に建てられ、「地位を問わず馬をはじめとする乗り物から全て降りろ」という意味が込められている碑石のことで、下馬碑があることでその場所の神聖さを表しています。しかし現在ある徳寿宮の下馬碑は本来の位置ではなく、正門の中にあったと推定されています。
大漢門を過ぎ、禁川橋(クムチョンギョ)を渡る前に左側を見るとハマビ(下馬碑)があります。これは現在たった一つ残存する王宮の下馬碑!!下馬碑とは王宮、宗廟、書院などの入口の前、一定の位置に建てられ、「地位を問わず馬をはじめとする乗り物から全て降りろ」という意味が込められている碑石のことで、下馬碑があることでその場所の神聖さを表しています。しかし現在ある徳寿宮の下馬碑は本来の位置ではなく、正門の中にあったと推定されています。
3.禁川橋(クムチョンギョ):
慶福宮(キョンボックン)に永済橋(ヨンジェギョ)、昌徳宮に錦川橋(クムチョンギョ)、昌慶宮に玉川橋(オクチョンギョ)があるように、徳寿宮にも禁川橋があります。これは全ての王宮に風水地理学上、明堂水があると吉であるという原理に基づいたもので、王宮内に禁川という小川をつくり、その上にかかる橋を作った、というわけです。徳寿宮の禁川橋は虹のような半円構造で2つあります。橋の床には三道(サンド)があり、三道の真ん中には両端よりも一段高くて広い御道(オド)があります。この御道は王様だけが通ることができます。
慶福宮(キョンボックン)に永済橋(ヨンジェギョ)、昌徳宮に錦川橋(クムチョンギョ)、昌慶宮に玉川橋(オクチョンギョ)があるように、徳寿宮にも禁川橋があります。これは全ての王宮に風水地理学上、明堂水があると吉であるという原理に基づいたもので、王宮内に禁川という小川をつくり、その上にかかる橋を作った、というわけです。徳寿宮の禁川橋は虹のような半円構造で2つあります。橋の床には三道(サンド)があり、三道の真ん中には両端よりも一段高くて広い御道(オド)があります。この御道は王様だけが通ることができます。
4.中和門(チュンファムン):
1902年に創建された木造建築で、徳寿宮の正殿である中和殿の正門にあたります。正面3間、側面2間の重軒多包系八作屋根(四隅の軒の先が上に反り返っている韓式の家)様式です。本来の中和殿は重層正殿だったのですが、1904年の大火災で焼失、1906年に再建され、また1982年に大幅に改装されて現在の姿になりました。創建当時の中和門は現在の門よりはるかに大きかったと考えられています。大韓帝国初期に建設された慶運宮(徳寿宮の旧名)の平面図を見ると、中和門の南側には徳寿宮の正門である仁化門(イナムン)が、大漢門と中和門の間には朝元門(チョウォンムン)がありました。しかし全て焼失してしまい、現在、見ることができる中和門はまるで単独建築物のようになってしまいました。また本来は他の王宮と同じように左右に行閣があったのですが、今では全てなくなり、中和門の南東にその行閣の一部だけが残っています。中和門は中和殿とともに宝物819号に指定されています。
1902年に創建された木造建築で、徳寿宮の正殿である中和殿の正門にあたります。正面3間、側面2間の重軒多包系八作屋根(四隅の軒の先が上に反り返っている韓式の家)様式です。本来の中和殿は重層正殿だったのですが、1904年の大火災で焼失、1906年に再建され、また1982年に大幅に改装されて現在の姿になりました。創建当時の中和門は現在の門よりはるかに大きかったと考えられています。大韓帝国初期に建設された慶運宮(徳寿宮の旧名)の平面図を見ると、中和門の南側には徳寿宮の正門である仁化門(イナムン)が、大漢門と中和門の間には朝元門(チョウォンムン)がありました。しかし全て焼失してしまい、現在、見ることができる中和門はまるで単独建築物のようになってしまいました。また本来は他の王宮と同じように左右に行閣があったのですが、今では全てなくなり、中和門の南東にその行閣の一部だけが残っています。中和門は中和殿とともに宝物819号に指定されています。
5.チュンファジョン(中和殿):
1902年に建立された徳寿宮の正殿で、李朝時代末期に使用されました。正面5間、側面4間の八作屋根形式の中和殿は、中和門とともに1902年に建設されましたが、1904年に火災で全殿閣(チョンジョンガク)とともに焼失、1906年に再建され、現在の姿になりました。中和殿は一般的な王宮の正殿の使用目的にふさわしく、王の即位式、家礼式、外国使臣の歓迎儀式、朝賀礼儀式など公式行事が行われた場所。中和門から中和殿に続く朝廷の庭には三道と品階石(プンゲソッ)、月台(ウォルデ)など、中和殿内部には御座(オジャ)や透刻曲屏(トゥガッコッピョン)、日月五獄屏風(イルウォロアッピョンプン)などを見ることができます。また内部の天井に刻まれた竜は、王とは品格が異なる皇帝の権威を象徴しているのだそうです。中和殿は中和門とともに宝物819号に指定されています。
1902年に建立された徳寿宮の正殿で、李朝時代末期に使用されました。正面5間、側面4間の八作屋根形式の中和殿は、中和門とともに1902年に建設されましたが、1904年に火災で全殿閣(チョンジョンガク)とともに焼失、1906年に再建され、現在の姿になりました。中和殿は一般的な王宮の正殿の使用目的にふさわしく、王の即位式、家礼式、外国使臣の歓迎儀式、朝賀礼儀式など公式行事が行われた場所。中和門から中和殿に続く朝廷の庭には三道と品階石(プンゲソッ)、月台(ウォルデ)など、中和殿内部には御座(オジャ)や透刻曲屏(トゥガッコッピョン)、日月五獄屏風(イルウォロアッピョンプン)などを見ることができます。また内部の天井に刻まれた竜は、王とは品格が異なる皇帝の権威を象徴しているのだそうです。中和殿は中和門とともに宝物819号に指定されています。
6.昔御堂(ソゴダン):
徳寿宮で唯一、2階建ての建築物。1階は正面8間、側面3間、2階は正面6間、側面1間の規模で、八作屋根です。最初の創建年代は不明で、1904年の火災で焼失、同年他の全閣とともに改築されたそうです。昔御堂は文禄・慶長の役(1592年)当時、宣祖(ソンジョ・李朝第14代王)が避難先から還都し、崩御するまでの16年間、暮らした場所。昔御堂の名前もまた「昔、王がいらした家」を意味します。昔御堂のちょっと変わった点は、韓国では珍しく彩色が施されていない点と、2階建てでありながら飾りがない民間風の建築様式という点。2階へ行くには昔御堂内、西側にある階段を使います。
徳寿宮で唯一、2階建ての建築物。1階は正面8間、側面3間、2階は正面6間、側面1間の規模で、八作屋根です。最初の創建年代は不明で、1904年の火災で焼失、同年他の全閣とともに改築されたそうです。昔御堂は文禄・慶長の役(1592年)当時、宣祖(ソンジョ・李朝第14代王)が避難先から還都し、崩御するまでの16年間、暮らした場所。昔御堂の名前もまた「昔、王がいらした家」を意味します。昔御堂のちょっと変わった点は、韓国では珍しく彩色が施されていない点と、2階建てでありながら飾りがない民間風の建築様式という点。2階へ行くには昔御堂内、西側にある階段を使います。
7.徳弘殿(トクホンジョン):
主に外国使臣や大臣を迎えるための接見室として使われた建物。1911年に建立され、徳寿宮に現存する殿閣の中で一番最後に作られたものです。現在は建物内部を高宗皇帝の寝殿として復元、当時の宮中生活を垣間見ることができるようになりました。建物の周辺にはチョンドルを積んで作られた塀(コッタム)があります。
主に外国使臣や大臣を迎えるための接見室として使われた建物。1911年に建立され、徳寿宮に現存する殿閣の中で一番最後に作られたものです。現在は建物内部を高宗皇帝の寝殿として復元、当時の宮中生活を垣間見ることができるようになりました。建物の周辺にはチョンドルを積んで作られた塀(コッタム)があります。
8.咸寧殿(ハンニョンジョン):
宝物820号。高宗皇帝の寝殿として使用された建物で、1904年の火災で焼失したのを同年に再建し、現在の姿になりました。また高宗皇帝が崩御した場所でもあります。建物は正面9間、側面4間と西側後方に4間があります。柱の上の升組は翼工式で、建物はとても大きいのに対して、装飾がシンプルなのが特徴。
宝物820号。高宗皇帝の寝殿として使用された建物で、1904年の火災で焼失したのを同年に再建し、現在の姿になりました。また高宗皇帝が崩御した場所でもあります。建物は正面9間、側面4間と西側後方に4間があります。柱の上の升組は翼工式で、建物はとても大きいのに対して、装飾がシンプルなのが特徴。
9.静観軒(チョングァンホン):
1900年に建立され、王宮の中に建立された最初の西洋式(中国風)建物。高宗皇帝が茶菓会を開催したり、音楽を鑑賞したりした休息の場所でした。正面7間、側面5間の規模で、八作屋根模様を見せる様式屋根を載せた静観軒は、単層に木彫と赤いレンガが使われ、床には大理石が敷かれています。正面と側面に精巧な装飾が施されたテラスがあります。ちなみにこの静観軒はロシア建築技師、サバティン(Sabatine)によって設計されました。
1900年に建立され、王宮の中に建立された最初の西洋式(中国風)建物。高宗皇帝が茶菓会を開催したり、音楽を鑑賞したりした休息の場所でした。正面7間、側面5間の規模で、八作屋根模様を見せる様式屋根を載せた静観軒は、単層に木彫と赤いレンガが使われ、床には大理石が敷かれています。正面と側面に精巧な装飾が施されたテラスがあります。ちなみにこの静観軒はロシア建築技師、サバティン(Sabatine)によって設計されました。
10.即祚堂(チュクチョダン):
昔御堂の後方、浚明堂(チュンミョンダン)とつながっている即祚堂は、光海君(クァンヘグン・李朝第15代王)と仁祖(インジョ・李朝第16代王)が王位即位式を行った歴史的な場所です。1904年の火災で焼失しましたが、その年昔御堂、咸寧殿とともに復元再建され、現在の姿になりました。即祚堂という名前には「王が即位した所」という意味があり、昔御堂と同じように壬辰倭乱という大変な時代に宣祖が暮らし、国を導いた場所で当時の人々にはとても意味深い場所として認識されていました。宮の寝殿としては規模が大きくないですが、正面7間、側面4間、簡潔で体裁が素晴らしいのが特徴。
昔御堂の後方、浚明堂(チュンミョンダン)とつながっている即祚堂は、光海君(クァンヘグン・李朝第15代王)と仁祖(インジョ・李朝第16代王)が王位即位式を行った歴史的な場所です。1904年の火災で焼失しましたが、その年昔御堂、咸寧殿とともに復元再建され、現在の姿になりました。即祚堂という名前には「王が即位した所」という意味があり、昔御堂と同じように壬辰倭乱という大変な時代に宣祖が暮らし、国を導いた場所で当時の人々にはとても意味深い場所として認識されていました。宮の寝殿としては規模が大きくないですが、正面7間、側面4間、簡潔で体裁が素晴らしいのが特徴。
11.浚明堂(チュンミョンダン):
創建年代は不明ですが、1897年に再建されたと推測される木造建築物。高宗が大臣と国政について論議した便殿でした。徳寿宮のほかの建物と同様に1904年の大火災で焼失しましたが、同年6月に再建されました。正面6間、側面4間の八作家屋で即祚堂と廊下でつながっています。ちなみ浚明堂の名前の明は本来、明るい明ではなくてヌン=目とタル=月が合わさった文字。これは明るく見るという意味を持っているそうです。
創建年代は不明ですが、1897年に再建されたと推測される木造建築物。高宗が大臣と国政について論議した便殿でした。徳寿宮のほかの建物と同様に1904年の大火災で焼失しましたが、同年6月に再建されました。正面6間、側面4間の八作家屋で即祚堂と廊下でつながっています。ちなみ浚明堂の名前の明は本来、明るい明ではなくてヌン=目とタル=月が合わさった文字。これは明るく見るという意味を持っているそうです。
12.石造殿前の庭園と噴水:
1900年、イギリス人ブラウンの発案でイギリス人技師、ハデイングの設計で着工され、1910年に竣工したイギリス式庭園で、韓国最初のヨーロッパ式庭園。日本の植民地時代末期には砲弾製造に使うためにこの青銅でできた噴水台も取り壊されたとも言われ、現在の噴水は1984年、文化財研究所の主導で復元されたものだそう。
1900年、イギリス人ブラウンの発案でイギリス人技師、ハデイングの設計で着工され、1910年に竣工したイギリス式庭園で、韓国最初のヨーロッパ式庭園。日本の植民地時代末期には砲弾製造に使うためにこの青銅でできた噴水台も取り壊されたとも言われ、現在の噴水は1984年、文化財研究所の主導で復元されたものだそう。
13.仰俯日(アンブイルグ):
釜のような形をしている日時計ということで仰俯日と命名されたそうです。時間だけでなくて節気も教えてくれる仰俯日は1437年、世宗大王(セジョン・李朝第4代王)の代にチャン・ヨンシルが最初に作ったもので、現在、残っている徳寿宮の仰俯日は直径35.2cm、高さ14cm、17世紀後半に作られたものです。宝物845号に指定されています。
釜のような形をしている日時計ということで仰俯日と命名されたそうです。時間だけでなくて節気も教えてくれる仰俯日は1437年、世宗大王(セジョン・李朝第4代王)の代にチャン・ヨンシルが最初に作ったもので、現在、残っている徳寿宮の仰俯日は直径35.2cm、高さ14cm、17世紀後半に作られたものです。宝物845号に指定されています。
14.石造殿(ソクチョジョン):
1900年に着工、1910年に完工した地上3階、延べ面積1,247坪の、御影石でできた石造建物。外観は19世紀初めにヨーロッパで流行した新古典主義様式で、イギリス人技師ハデイングが設計しました。建物の長さは54.2m、幅31m、高さ17.5m、延べ面積1,226坪。石造殿という名前には「石で造った」という意味があります。一時期、宮中遺物博物館(クンジュンユムルパンムルグァン)として使用されました(現在は「古宮博物館」に改称、景福宮内に移転)。ちなみに石造殿と関連する何よりも重要な歴史的事件は1946年、日本の植民地支配から解放された朝鮮半島の将来を論議するために開催された、米ソ共同委員会の最初の予備会談が1月16日、ここで行われたということ。米ソ共同委員会は1945年12月、モスクワ3相会議の決定に従い信託統治と臨時政府樹立などを論議するために設立された米・ソ・英の代表者会議です。
1900年に着工、1910年に完工した地上3階、延べ面積1,247坪の、御影石でできた石造建物。外観は19世紀初めにヨーロッパで流行した新古典主義様式で、イギリス人技師ハデイングが設計しました。建物の長さは54.2m、幅31m、高さ17.5m、延べ面積1,226坪。石造殿という名前には「石で造った」という意味があります。一時期、宮中遺物博物館(クンジュンユムルパンムルグァン)として使用されました(現在は「古宮博物館」に改称、景福宮内に移転)。ちなみに石造殿と関連する何よりも重要な歴史的事件は1946年、日本の植民地支配から解放された朝鮮半島の将来を論議するために開催された、米ソ共同委員会の最初の予備会談が1月16日、ここで行われたということ。米ソ共同委員会は1945年12月、モスクワ3相会議の決定に従い信託統治と臨時政府樹立などを論議するために設立された米・ソ・英の代表者会議です。
15.石造殿別館(ソクチョジョン・ピョルグァン):
石造殿の西側にある別館は1937年11月に竣工。地下1階、地上3階の御影石でできた石造建物で、延べ面積は1,104坪。日本統治時代に石造殿は日本の近代美術品などを展示する美術館として使用されていましたが、石造殿とは違う「朝鮮の古美術品を展示できる空間を徳寿宮にもう一つ作ろう」という意見により、中村興資平の設計で石造殿別館が李王家美術館として建立されました。当時、昌慶苑(チョンギョンウォン・現在の昌慶宮)にあった李王家博物館に展示されていた三国時代以降の彫刻工芸品、陶磁器、絵画などが移され、展示されていました。解放後は石造殿の付属建物として使用されていましたが、現在は徳寿宮美術館(国立現代美術館別館)として使用されています。
石造殿の西側にある別館は1937年11月に竣工。地下1階、地上3階の御影石でできた石造建物で、延べ面積は1,104坪。日本統治時代に石造殿は日本の近代美術品などを展示する美術館として使用されていましたが、石造殿とは違う「朝鮮の古美術品を展示できる空間を徳寿宮にもう一つ作ろう」という意見により、中村興資平の設計で石造殿別館が李王家美術館として建立されました。当時、昌慶苑(チョンギョンウォン・現在の昌慶宮)にあった李王家博物館に展示されていた三国時代以降の彫刻工芸品、陶磁器、絵画などが移され、展示されていました。解放後は石造殿の付属建物として使用されていましたが、現在は徳寿宮美術館(国立現代美術館別館)として使用されています。
16.光明門(クァンミョンムン):
1897年に建設、1904年に焼失、同年に再建された木造建築。本来は咸寧殿の南側にあり、咸寧殿の正門として使用されていましたが、石造殿別館(当時は李王家美術館)が建立されたことで1938年に現在の位置に移され、神機箭機火車(シンギチョンギファチャ)と興天寺(フンチョンサ)銅鐘、水時計の自撃漏(チャギョンヌ・国宝229号)を保管する楼閣として使用されています。しかしこれらは徳寿宮とは何の関係もない物です。
1897年に建設、1904年に焼失、同年に再建された木造建築。本来は咸寧殿の南側にあり、咸寧殿の正門として使用されていましたが、石造殿別館(当時は李王家美術館)が建立されたことで1938年に現在の位置に移され、神機箭機火車(シンギチョンギファチャ)と興天寺(フンチョンサ)銅鐘、水時計の自撃漏(チャギョンヌ・国宝229号)を保管する楼閣として使用されています。しかしこれらは徳寿宮とは何の関係もない物です。
17.布徳門(ポドンムン):
現在の布徳門は本来、徳寿宮の西門である平成門(ピョンソンムン)にあたります。布徳門はもともと徳寿宮の東側のソウル市庁を望む位置にあったのですが、現在はなくなってしまいました。門はなくなりましたが布徳門という扁額をはずし、以前の平成門に扁額をかけたことで、名前も布徳門になったのだそうです。この門を出るとすぐ徳寿宮トクダムキルがあります。
現在の布徳門は本来、徳寿宮の西門である平成門(ピョンソンムン)にあたります。布徳門はもともと徳寿宮の東側のソウル市庁を望む位置にあったのですが、現在はなくなってしまいました。門はなくなりましたが布徳門という扁額をはずし、以前の平成門に扁額をかけたことで、名前も布徳門になったのだそうです。この門を出るとすぐ徳寿宮トクダムキルがあります。
以上で徳寿宮についての説明は終わります。現在の徳寿宮はこじんまりとした王宮として市民の散歩コースとして広く知られています。でも20世紀初めまで徳寿宮の面積は現在よりもはるかに広く、現在の規模は当時の30%にしか過ぎないんだそうです。現在も徳寿宮の外に、主に外交使節の接見場所として使用された重明殿(チュンミョンジョン(ソウル市有形文化財53号)があり、また李氏朝鮮王朝を開いた太宗(テジョン)と4代祖の御真(王の肖像画)を集め、たびたび王が茶礼を開いた場所である源殿(ソンウォンジョン)跡の敷地が徳寿宮北側に残っており、当時の規模が推測されます。できたら徳寿宮も慶福宮のように復元され、当時の美しさを取り戻せると良いですね。以上、徳寿宮からソウルナビがお伝えしました。
記事登録日:2003-07-02
ユーザーアルバム
基本情報
| 住所 | 〒100-120 ソウル市 中区(チュング)太平路(テピョンノ)58 |
|---|---|
| 住所(韓国語) | 서울시 중구 태평로 58 |
| 電話番号 | 02-771-9951(外国語無料案内:02-771-9955) |
| 営業時間 | 9:00-21:00 ※入場券は20:00まで販売 ※徳寿宮美術館は別途観覧券が必要です。 |
| 休業日 | 毎週月曜日 ※2012年旧正月(休みなし) |
| 料金 | 19-64歳/1,000ウォン
団体(10人以上)/800ウォン ※6歳以下、65歳以上、障害者無料 ★常時観覧券:10,000ウォン 有効期間:1ヶ月間9:00~18:00のいつでも 写真1枚提出 ★昼食時間観覧券:3,000ウォン 有効時間:12:00~14:00 有効期限:3ヶ月 ★時間制観覧券(30000):30,000ウォン 有効時間:12:00~13:00 有効期限:1年間 使用可能箇所:徳寿宮、昌慶宮、宗廟 ★時間制観覧券(100000):100,000ウォン 有効時間:12:00~13:00 有効期限:1年 有効箇所:徳寿宮、昌慶宮、宗廟、景福宮など14ヶ所 同伴1名に限り無料 <4大宮と宗廟の統合観覧制> 1枚のチケットで5箇所(景福宮、昌徳宮(後苑含む)、昌慶宮、徳寿宮、宗廟)を見学することができる。 価格:10,000ウォン 有効期限:1ヶ月 ※1箇所でも使用した場合は払い戻し不可。 (2012.3.14現在) |
| ホームページ | www.deoksugung.go.kr (韓国語) |
| その他の情報 | ※注意事項:雨天時決行(各自傘やレインコートをご用意ください。)
<臨時営業時間変更案内> ※2012.3.31のみ、9:00~20:20(入場券は19:30まで販売 <注意事項> ・宮内での食事禁止。 ・ペット、遊戯器具の搬入禁止。 ・ウェディング撮影は平日のみ可。 ・樹木の木の実収集禁止。 ・観覧する雰囲気を妨害する行為禁止 ・徳寿宮全域禁煙 <無料ガイド(韓国語、英語、日本語、中国語)> 所要時間:約1時間 問い合わせ:02-771-9955 定員(1回):平日40名、週末25名 案内時間: 【韓国語】 (火水木)11:00/14:00/15:00/16:30 (金)10:00/11:00/14:00/15:00/16:30 (土)10:00/11:00/13:00/14:00/15:00/16:30 (日)11:00/13:00/13:30/14:00/14:30/15:00/16:30 (公休日)10:00/11:00/14:00/15:00 ※16:30の案内は4~10月のみ 【日本語】 (土日)9:30、(火~金)9:30/16:00 ※祝日は開催されません。 【英語】 (火~金)10:30、(土・奇数月)/(日・偶数月)13:40 ※案内スケジュールは状況により変更する場合があります。 ※必ずガイドが必要な場合は、事前に確認することをおすすめします。 <王宮守門将交代式> 開催場所:市庁前 開催日:毎日(毎週月曜日、酷暑期間、酷寒日、雨天、降雪時を除く) 【重明殿見学(韓国語ガイド付き)】 期間:2010年8月29日~ 時間:10:00/11:00/13:00/14:00/15:00/16:00 ※時間は変更される場合があります。 人数:1回25名ずつ 申し込み方法:インターネットまたは現地参加(インターネット20人・現地申込み先着順5人) 観覧料:無料 休館:毎週月曜日、旧正月・秋夕当日 問い合わせ:02-732-7524 アクセス:徳寿宮横の石畳どおりを進み、貞洞劇場をすぎてすぐ右折。 *大漢門補修工事が終了しました。<2006.4.4> *重明殿見学情報を追加しました。<2010.9.1> *日本語の案内時間を更新しました<2007.1.2> *日本語ガイドの予約が不要になりました。<2007.4.5> *日本語ガイドの情報を更新しました。<2007.7.24> *注意事項を更新しました。<2007.10.19> *休館日を修正いたしました。申し訳ございませんでした。<2008.6.9> *日本語のガイド情報を更新しました。<2008.7.24> *基本情報を一部更新しました。<2008.8.4> *2012年旧正月の休業情報を更新しました。<2012.1.4> *基本情報を一部更新しました。<2012.3.14> *営業時間、料金、日本語ガイド、を更新しました。<2012.3.14更新> |
| 行き方 | 地下鉄1・2号線シチョン(市庁・City Hall・132/201)駅2番出口を出て約50m行くと右手(1番出口を出た場合は戻る方向は約20m行くと左手)に徳寿宮の正門、大漢門があります。徒歩約1分。 |
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
スポット登録日:2000-05-14
スポット更新日:2012-03-21





























































































































































王宮守門将交代式