ソウル、江北 vs 江南

600年の伝統あふれる歴史エリアと30年のモダン開発エリアが共存するソウル!

こんにちは、ソウルナビです。皆さんもご存知のとおり、韓国の首都はここ、ソウル!ソウルは600年の歴史を持ち、韓国の政治・経済・文化・社会などすべての分野の中心地。約1,000万人(首都圏を含むと2,200万人)が住む世界的に知られる巨大都市です!そんな巨大都市・ソウルをくわしく調べてみると、さまざまな特徴が!そのうちのひとつとして、約10年前からソウルを2つのエリアに区分する傾向がみられることが挙げられます。2つのエリア、それはソウルを東西に貫く漢江(ハンガン)を中心として、北側エリアの江北(カンブッ)と南側エリアの江南(カンナム)を地理的に区分し、住まい、生活レベル、教育環境や消費形態、ファッション文化、志向などのすべての分野においてそれぞれが異なるということを意識的、無意識的に認める風潮があります。その理由は何でしょう?(^-^a)ということで、今回はソウルの江北と江南についてくわしく解説していきましょう!ソウルという巨大都市を理解するための参考になるかと思います!(^-^)
江北は歴史と伝統を、江南は富と新しさを象徴するエリア!
ソウルの東側から西側に流れる川・漢江を中心として、北側のエリアを江北(カンブッ、南側のエリアを江南(カンナム)といいます。一般的に江北エリアには景福宮(キョンボックン)、昌徳宮(チャンドックン)、徳寿宮(トクスグン)などの古宮や歴史的な文化財が多く、皆さんもソウルの繁華街としてご存知の明洞(ミョンドン)や東大門市場(トンデムンシジャン)や南大門市場(ナンデムンシジャン)などの伝統誇る名所がたくさんあります。これに比べ、今からわずか約30年前から開発がスタートした江南エリアは、韓国のアパート(日本の高層マンションのようなもの)ブームを巻き起こし、不動産市場を操る大きな勢力として浮上。高級レストランや有名ブティックなど、洗練された高級感あふれるさまざまな業種のお店が狎鴎亭(アックジョン)・清潭洞(チョンダムドン)を中心にして急速に広がりながら、誰もが憧れるエリアを目標として開発が進められました。このようにソウルの江北と江南は、それぞれ地理的かつ社会・文化的意味を持ち、江北は歴史と伝統、江南は富と新しさを象徴するエリアとされています。
ソウルの一番南だった漢江が、ソウル市内のど真ん中を流れる川に変貌~!
江南エリアがソウルの富と新しさを象徴するエリアとして開発が進められたきっかけは、1970年、漢江以南の広大な土地に、いわゆる土地区画整理事業を政府が主導となって開発することになってから。政府は、江北の人口と機能を江南に分散させるためにアパートを大々的に建設し、江北と江南をつなぐ橋を相次いで開通させ、各種税制はもちろん、さまざまな施設的、金銭的、教育的な誘引方法を通じて人々が江南に移動することをすすめました。1984年5月には江北と江南を結ぶ地下鉄2号線の完全開通、1988年に江南で開催されたソウルオリンピックは江南開発を左右することになりました。この当時の人口を見ればよくわかるかと思いますが、江南を開発した1970年から1988年11月1日までの18年間で、ソウルの人口は550万人から1,030万人の約2倍に増加。江北の人口は430万人から540万人の約110万人増加したのに対し、江南の人口は120万人から490万人となんと実に370万人(横浜市1つ分!)も増加。2002年現在では江北と江南の人口比率は50.3対49.7とほとんど同じになりました。このようにして江南開発事業によって、1970 年代の半ばまではソウルの一番南側とされていた漢江は、今ではソウル市内のど真ん中を流れる川として認識されるまでになりました。
京畿高校、ソウル高校などの伝統あふれる名門校が江南エリアに大移転!
その他にももうひとつ、江南の発展に大きく寄与したのは政府の開発によって江北にあった京畿高校、ソウル高校などのいわゆる伝統名門校の大多数を江南エリアに移転したこと!韓国の東大といわれるソウル大学や最高の名門大への進学率が最も高い各名門高校の江南移転は、世界的に有名な教育熱の高い韓国の父母が、江南に引っ越しする決心をさせる決定的なきっかけとなりました。まもなく「江南8学群」という新しい新造語が生まれ、ソウルではなく韓国全国における最高の学群として急浮上。これによって子供の大学入試を心配するソウルの上流階層の人々が次第に江南エリアへ移転し、江南エリアには社会的地位が高い指導層が多く住むエリアへと変貌していったのです。
江南エリアに新しい文化を創造する留学派!
また、この江南開発によって江南エリアに不動産を持っていた人々は、一夜のうちにして多大な財産を手に入れることとなり、一部の子供たちは一時「オレンジ族(過剰な消費に没頭し、性に開放的な富裕層の若者のこと。1990年代にできた新造語)」と呼ばれ、社会現象にもなりました。また1990年代前後の海外旅行の自由化によって、他の子供たちの間ではアメリカに留学する比率が高まっていきました。いわゆる「留学派」といわれるこの子供たちは留学を終えて韓国に戻り、江南エリアに彼らだけの新しい文化をつくりだす決定的なきっかけとなりました。またファッションスタイルにおいても、江南の若者はヒップホップスタイル、女性はプラダやアルマーニなどブランド志向のスーツスタイル、江北は体にピッタリフィットするレトロでビンテージスタイル、女性は現在流行中のアイテムや流行傾向に忠実に反映し、ちょっぴり華やかでそれでいて自由を感じるスタイルを好むなど、お互いのエリアがまったく異なる姿をみせるようになりました。このように「留学派」は異国的なファッションスタイルと洗練されたマナー、そしてネイティブのような流暢な英語能力を備え、社会の主流層として急浮上。江南エリアは彼らの活躍により、ソウルの富と名誉を象徴するエリアとしてとうとうその名を広く知られることとなりました。
「まだ江北に住んでいるのですか?」という言葉が流行!
さて、ここまで江南についての話がほとんどでしたね。(^-^)というのは、江南の開発は、ソウルの現代史に残るぐらいの大きな意味を持っていて、ソウルの発展を断片的に垣間見ることのできる場所がここ、江南エリアだからです。一方、江北エリアは都市政策などの関連法律によって数年間、江南エリアに比べて開発が制限され、江南に奪われていくような感じがあり、一時、時代の雰囲気を表わす流行語のなかに「まだ江北に住んでいるのですか?」という言葉が流行したほどでした。だからといって江南エリアはみんな裕福で、江北エリアはみんな貧しい、というわけではありません。江北にも城北洞や嘉会洞など韓国を代表する高級住宅街があり、江南を成金の住む場所として見下す傾向があったりもします。
以上、今回のソウルの江北 vs 江南はいかがでしたでしょうか?ソウルの江北エリアと江南エリアが均衡して発展を進めることができなかったのが残念ですが、最近、江北エリアにも開発に関するニュースが相次ぎ、江北エリアが活発に動いている状況が伝わってきます。でも開発も重要だけれど、何よりも大切なのは600年の歴史を持つソウルをしっかり保存すること、ではないでしょうか?(^-^)それでは、 ソウルの江北と江南について、ソウルナビがお伝えしました!

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記事登録日:2003-01-07

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