「みなみやま」の安東旅行記 2003年10月

2003年秋、安東をまわってきました。

※前回の旅のレポート

●安東のシジャンの屋台でおでんとトッポギとスンデを食べる  

食欲の秋である。安東についてどこに泊まるか宿泊先を探す。20000ウォンのモーテルが見つかった。高速バスターミナルに近い「テヨンジャン」。偶然見つけたのだが、3階が受付になっている。見つけ方がうまくなったのかもしれない。言葉はハングルだけ。おそらく初めて安東に来てここを見つけるのは難しいかもしれない。部屋の中に料金表が張ってあって25000ウォンとなっていた。それも1997年と日付が書いてあった。値切ったわけではない。
荷物を置いて、町の探索。ホテル街よりも西側に市場があった。そして商店街の道の真ん中に屋台が並ぶ。常設のようだ。アジュマがが声をかけるが、それをやり過ごして若い女性が二人で食べている屋台に行く。理由は食べ方を盗むためである。
屋台にはトッポギと串おでん、キムパプ、スンデ、天ぷらである。早速彼女らのその食べ方を見ながら食べることにする。トッポギを頼み、おでんのだし(スープ)を赤いプラスチックの柄のついた小さな容器ですくう。早速まねをしてみる。これがあっさりとしているがおいしい。お代わり自由。10パイくらい飲んだだろうか。おでんは薄い魚の天ぷらを串に刺したもの。たぶん?2本で500ウォンくらいだろう。唐辛子の入った韓国醤油ダレにつけて食べる。これも見よう見まね。トッポギもチョノン(1000ウォン)である。
この屋台は他と違う雰囲気。若い男性が店を出している。あとで彼の妻が来た。二人でやってるのだ。ほのぼのとした雰囲気で店をやっている。おしつけがましいところがない。それが気に入った。ここの屋台は持ち帰りの人が多い。ちょうど夕食時、結構たくさん買い求めていく。家へ帰って食べるのだろう。
トッポギが売り切れそうになった。裏から材料を出してきて新しく作るようだ。作り方を見る。まず水を足して、細かく切った白菜をいれる。そして赤い唐辛子の粉と粉末のだしを入れていた。さらに、白いトッポギを切って入れるのである。これは店によってオリジナリティがあるようだ。
彼女たちがスンデを注文して食べている。それで、私もスンデもチョノン分だけ頼んでみる。それもジャスチャーで。これだけ食べて体は温まり、腹は落ち着いた。スンデの残った分は袋をもらって、宿に持ち帰った。
高速ターミナルの道路を挟んで反対側にハフェマウル(河回村)行きのバス停があった。46番のバスの発車時刻を見ると、始発が朝6時20分となっていた。明日は始発に乗ることを決める。

●河回村行きバスは1280ウォンの座席バスだった!!  

翌朝、朝早く目が覚めた。外はまだ暗い。韓国の朝は割と遅い。少し早いが荷物を置いたままカメラを持ってハフェマウルへ出かけることにする。
6時にはバス停の前に。バス停の手前で、何台かバスがすでに始発を待っている。6時には最初のバスが動き出す。こちらも乗り遅れないように必死でバスを見る。客はいない。バス停の横のコンビニ風食料品店が開いていて、人が何人か店の前にいる。中に入って、缶コーヒーを買う。昨日はここで缶ビールを買ったっけ。6時20分に46番のバスがバス停に来る。乗客は、私を含め3人だけ。「ハフェマウル?」と怪しげな発音で運転手に聞く。1000ウォン札を出し、運転手の顔を見るとどうも足りないらしい。お札2枚を料金箱に入れる。するとまずいつものガチャ!ガチャ!でおつりを出してくれる。さらに料金箱の横に小銭入れが。そこから小銭を出してくれる。つまりハフェマウル行きは座席バスで料金は1280ウォンだったのだ(一般バスは800ウォン)。何で端数が・・・・?
※バス料金は2007年5月現在1650ウォン(一般バスは1100ウォン)。 <2007.6.1>
ハフェマウル行き座席バスは一日8本だけ。村の中まで入って行き、折り返し安東行きとなる。時刻表を書いておこう。
安東 出発時刻 6:20 8:40 11:25 1405 16:00 18:10 <2007.6.1>
※バスの本数は2007年5月現在一日6本。 <2007.6.1>
バスは市外ターミナル前を乗客3人だけで時刻どおり発車した。
暗かった空が次第に明るくなった。このあたりから道路沿いに高層アパート群が出現する。道路は広くなり、自動車専用道路並みになる。道路標識にはイェチョン空港と河回村(ハフェマウル)の漢字が目に入ってくる。この道路は国道?34号線、幹線である。
時々バスは道路を右にはずれる。ちょうど日本の高速のバス停のような感じである。その先にはバス停があるのだ。
バスは快調にスピードを上げていく。片道40分あまり。そしてこのスピード、ハフェマウルは遠いのである。

●ハフェマウルへの道は遠かった。そして・・・・。  

駅前の安東観光案内所で頂いた安東トラベルマップは役に立つ。係の男性も日本語ができる。しかし片道40分の距離は韓国ではかなり距離があることを忘れてはいけない。バスは高速国道55号線(中央高速国道)と交差をし、さらに西へ。しばらく行くと空港への道からは出て、地方道へ入っていく。あたりはもう一面水田でまだこれから稲刈りの様子。黄金色の稲穂が美しい。
バスはすこし建物や民家が集まっている場所を通っていく。帰りに気づいたが、公立の中学と高校が同じ敷地にあるようだ。相変わらず乗客は少なく、例の若い兵士も途中で下りた。自宅へ休暇で帰るのだろう。
もう完全に農村地帯へ入ったようだ。ハノク(瓦屋根の韓国家屋)が時々道路沿いに見えてくる。もう着くのかと思っても、バスはどんどん水田の中の道をすすんでいく。やっと、朝日が昇ってくる。そして突然、モーテルが出現し、仮面舞伝授館や駐車場、観光案内所、そしてエリザベス女王訪問記念館などが現れる。そのあとやっと、この先に河回村の案内表示板があり、バスは左折して村の中へ入っていった。終点である。時刻は朝7時少し前。およそ40分かかったわけである(※安東・河回村間は約25km)。
河回村は伝統的な民俗村であるとともに洛東江の河回(S字型に曲がって川が流れ、この村を取り囲んでいる)のいわれどおり、川沿いに残された離れ小島のような村である。だからこそ韓国の伝統的な村落共同体が残されたのではないか。 運転手にお礼を言って、バスを降りる。村の中はまだ朝日は昇り切れていない。目に入った大きな木の看板にバスの発車時刻が書いてある。
7:15 9:50 (11:40) 12:50 15:00 (16:00) 17:00 19:00
(この時刻表は安東観光案内所で作成中のもの 日本語版 2003.10.22による)
河回村は伝統的な民俗村であるとともに洛東江の河回(S字型に曲がって川が流れ、この村を取り囲んでいる)のいわれどおり、川沿いに残された離れ小島のような村である。だからこそ韓国の伝統的な村落共同体が残されたのではないか。 運転手にお礼を言って、バスを降りる。村の中はまだ朝日は昇り切れていない。目に入った大きな木の看板にバスの発車時刻が書いてある。
7:15 9:50 (11:40) 12:50 15:00 (16:00) 17:00 19:00
(この時刻表は安東観光案内所で作成中のもの 日本語版 2003.10.22による)
少し戻って今度は南に下がり、洛東江と川のカーブの対岸の芙蓉台を写真に撮る。絶壁である。
<朝日を浴びた芙蓉台と洛東江のハフェ(河回)パノラマ> <朝日を浴びた芙蓉台と洛東江のハフェ(河回)パノラマ> <朝日を浴びた芙蓉台と洛東江のハフェ(河回)パノラマ>

<朝日を浴びた芙蓉台と洛東江のハフェ(河回)パノラマ>

●河回村では、早朝散水車が村内の道路に水まきをしている。 

早朝の河回村は静かだ。安東トラベルマップに、「多様な古家や古建築物などがうまく調和し、昔の趣がそのまま残っている伝統的な民俗村である」と紹介されている。瓦葺きの建物の民家の門の扉には、漢字で文字がしたためられている。ハングルがないのが、時代を感じさせる。
時折村人が通りすぎるが、まだ朝7時である。またここでは藁葺きの建物が多く見られる。
途中、2度ほど散水車に出会った。朝から道路に水をまいている。そう、ここでは道路があえて舗装されていないのだ。改築工事中の建物もいくつかあった。韓国で、一番写真を自由に撮れたのはここが初めてだったもしれない。 走ってバス停に戻る。途中、女子高生二人を追い抜きながらに「Good Morning!」と声をかける。反応があった。彼女らも同じバスに乗る。7時15分河回村発のバスは通学バスなのである。

●安東新市場(シジャン)であんまんとおでんを食べる  

急いでバス乗り場に戻る。店はまだ開いていない。例のごとくお札を2枚入れておつりをもらう。バス代は1280ウォン。やはり、お釣りをもらう。運転手は同じだから変な外国人と思われたに違いない。乗客は10数名。例の女子高生が二人乗ってくる。他にも男子も乗っている。あとは年配のお客。みんな村の住人である。
バスは定刻どおり発車する。途中で中高生が数名乗ってくる。まさに通学バスである。バスは、34号線をひた走り、安東市内にはいる。そのままバスはすすみ、市場前で他の乗客とともにバスを降りる。
通りを渡り、市場へ。白菜が山のように積まれている。これが各家庭のキムチになるんだろうと思う。
駅前のシジャン(市場)に比べ規模が大きい。やはり太刀魚をはじめとする魚を道に並んだアジュマ達が売っている。
ひととおり見て朝食にする。店先におでんとトッポギがあったので昨日の屋台を思いだし、食べることにする。おでんを持って店の中に入っていすに座る。スープを出してくれる。あわせてせいろでまんじゅうを蒸していたのでチョノンだけ頼む。するとアジュマがまんじゅうを5、6こさらに入れて持ってくる。食べてみるとあんまんだった。本当はトッポギもと思ったが、あんまんだけでも腹一杯になりそうでトッポギは断る。今日の朝食は、少し甘かったが満腹である。
お金を払い、再びバス停へ。今度は市内バスで、800ウォン、慣れたものである。

●安東民俗村で転んでけがをする。安東民俗博物館はお薦め。 

安東駅前にある観光案内所をのぞいてみる。
民俗村へ行きたいというと 「近いですよ」 という。ちょうど作成中の日本語の「重要観光地行きバス時刻表」を作成中だと言って、コピーを1枚差し出してくれた。昨日もらっておけばよかったのだが。朝、河回村に行ったという話をしながらバス代のことになる。彼は河回村行きは座席バスだからという。確かに時刻表の下に座席バス1280ウォンと書いてある。ここで初めて料金がわかったわけである。さらに一般バスが900ウォンと書いてあったので、今乗ってきた市内バスは800ウォンだったというと、一緒にいた女性職員がそうだと言ってくれる。彼も市内バスの料金を間違っていた、と言うよりは知らなかったかもしれない。すぐ訂正するという。だから今度安東を訪れたみなさんが手にする時間表には正しい料金が記載されていると思う。これは役に立つのではないか。タクシーで行けばいくらかと聞くと、「3000ウォンぐらい」だという。民俗村にはタクシーを使うことにした。
駅前からタクシーで民俗村へ行く。
民俗村は、安東ダムの少し下流にある。安東駅からは川沿いの右岸の道を進んでいく。しばらくいくと安東ダムの少し下流に堰堤の低い補助ダムがあって、流量を調節している。水は、残念ながら濁っていたが。そして、川沿いの左岸に民俗博物館の建物が見えてくる。タクシーは川を渡って、博物館前で止まる。タクシー代は3200ウォンだったが3000ウォンにまけてくれた。 ここまで民俗村がメインだと思っていたが、それは大きな間違いだった。
大きな売店があり、その先に宣城県客舎やわらぶきの草家土壁屋などの野外博物館がある。これはたいしたことはない。建物はあるが痛んでいるし、感動するものでもない。おまけに平日の9時過ぎである。人っ子一人いないのである。冷たい風が吹いている。KBSのテレビ時代劇「太祖王建」の屋外セットがある、と案内に書いてある。
急な坂道である。止めようかとも思ったが河回村のこともあり、ここで引き返してしまえばあとで後悔する。とぼとぼと坂道を上っていく。数軒の簡易建築の売店兼食堂らしきものがある。店の中にひとはいるようだが・・・・。一軒の店の番犬にけたたましくほえられる。寂しい限りである。しかしここであきらめてはと、さらにとぼとぼ行く。すると山間の谷間に視界が開けてきた。セットらしきものもありそうだ。さらに進んでいくと、なんとそこには立派な門や王宮屋敷や小さな草家土壁屋の村が再現されていた。石垣や建物も完全なものではないが、全くの仮設セットでもない。山の谷を埋めた斜面にたくさんの建造物が再現されているのである。これは見る値打ちがある。ここまで来てやっと救われた気持ちがした。引き返さなくてよかったのである。しばらくここで時間を過ごし、一通り写真を写してみた。この時代劇セットの村はお薦めである。さらにこのあと見た民俗博物館もよかったのだが。ただし人気は全くない。土がむき出しの分、少し寂しい感じはしたが、満足感を持ちながら戻ることにする。
しかし、ここで事件が起きる。転んで足をけがしたのである。川沿いの野外博物館の池のところまで来た時だった。やっと、この時間になってぽつぽつと人が来だしたようだ。向こうの大駐車場には大型バスも一台止まっている。池の向こうのベンチにはアベックが座っている・・・と思った瞬間、池の縁のくぼみの足を取られてずるっと転んでしまった。ズボンをめくってみると膝下が結構すりむけ、血がにじんでいる。しかしここは外国、とりあえず博物館に行けば救急箱ぐらいあるだろうと思って入場料を払って中に入り、受付の女性に救いを求めた。傷を見せると彼女は博物館の事務所までとりあえず連れていってくれた。事務室には上司がいて、彼が傷の手当てをしてくれた。当然彼とは言葉は通じない。すると突然、「大丈夫ですか」と横から正確な日本語が飛び込んでくる。別の女性が来てくれたのである。それで男性職員の実家が薬局で包帯の巻き方は上手だとか冗談を交え通訳をしてくれた。うれしい限りだ。
ところで彼女はれっきとした日本人で、安東に惹かれてここに来て公務員試験を受け、ここ博物館の職員になっているのだという。まだ若いと思ったが彼女に感心した。もし彼女に会われる機会があれば声をかけて下さい。こんなドラマがあった次第。 ところでこのあと見た民俗博物館の展示物だが、河回村も含め韓国の古い時代の冠婚葬祭や村の祭りや集団遊びなどがリアルに展示されていた。こじんまりとはしているが見る価値は十分あると思った次第である。河回村に行ってからよし、行く前にのぞいてもよし、ぜひ安東で見て欲しいものである。お礼を言って博物館を出る。バス停には女性が一人。安心する。すぐにバスが、上から下りてきた。バスに乗る。800ウォンである。バスは橋を渡り、川沿いに右岸を安東に向かって走る。駅の手前でバスは右に折れるが、昨日すでに見た駅とは町の中心部を挟んで北側の客舎前の道を通り、ぐるっと左回りに回って駅前のバス停に戻ってくるようだ。バスターミナル前で下りる。

●安東から高速バスでソウルへ。弁当は屋台のキムパプ。  

明るいうちにソウルに行こうと考えた。バスの時間は昨日のうちに調べてある。11時30分発に乗る予定。昨日寄った若夫婦の屋台をのぞいてみようと思った。ねらいはキムパプ。まだ昼前でカバーを掛けたままの屋台もあったが、彼らの屋台はもう店を開けていた。また、おでんをつまみながらキムパプを注文する。一言「テイクアウト!」で通じたようだ。顔は覚えてくれたようだ。彼はビニール手袋をしてキムパプを切ってくれる。1本1000ウォンだったと思う。安東最後も屋台で過ごした。
バスターミナルの窓口でバスチケットを購入する。トンソウル(東ソウル)という言葉が出てきた。行き先は最初に江陵に行くとき、江南か東ソウルか迷ったバスターミナルの名前だ。トンソウルはここで覚えた。あわせてカードは使えないか聞いてみたが、ここでは断られた。
バスは定刻通り発車。優等バスである。バスはこれまでのピンク色のバスではなく、青色系で窓の外に安東→東ソウルと書かれている。新しい路線かリニューアルした路線かわからないが、バスは新車である。
国道をイェチョンに向け走る。河回村への道である。インターチェンジから中央高速に入る。快適な道である。ソウルまでは3時間強。高速国道も全体に新しいし、高架やトンネルも多い。交通量は少なく、快適な走行である。
途中から同じデザインのバスが並行して走る。窓を見るとイェチョン->東ソウルと書かれている。途中サービスエリアに寄ったときも隣りに並んでバスは停車。運転手も二人仲良く談笑していた。バスのフロントガラスにはバスの発車時刻表示があるが、安東が11:30に対してイェチョンは11:40発になっていた。10分だけ醴泉(イェチョン)の方が時間的に東ソウルには近い。醴泉・安東空港もあるが便数が少なそうだ。高速バスがこれだけ頻繁にあれば時間的にはあまり変わらない。飛行機のメリットは少ないわけである。
高速バスの中で、お弁当のキムパプを食べる。結構美味しい。安くて便利なお弁当になる。前の旅行でソウルから大田まで行ったとき、隣に座った若い女性にごちそうになったキムパプを思い出した。あれを今回まねをしたのだ。
高速バスは1時間30分ほど高速を走り、サービスエリアに入った。トイレ休憩である。行きの江陵も同じ時間で休憩をしたことを思い出した。

●中央高速道からの景色はすばらしい。安東から北へ。

サービスエリアは綺麗で食堂も完備されている。日本だったたらうどんの一杯も食べるのだが。外国では遠慮がある。日本の高速道路のサービスエリアと比べても遜色がないし、エリアは充実してきてると思う。いちどハングルのできる人と高速国道を使って旅行するのもいいかもしれない。ところでバスの運転手の横のボードの上になぜかキャンディーのかごが置いてある。運転手に断って一つもらう。サービスらしい。安東->東ソウル行きのこのバスは何かローカリティがあって親しみを感じる。バスは再び高速国道を走り出す。中央高速は京釜高速国道とは全く雰囲気が違う。山の中と高原を走っているようだ。部分的には韓国国鉄の中央線と同じルートだが、比較的高い部分を走っている。紅葉が美しい。セマウルから見る景色とはまた違うはずだ。高速バスは原州のジャンクションで江陵から来た高速国道へと進路を西へ変える。このまま北へすすめばソウルの東にある春川まで行くことになる。今度の旅行はここで最初の道に合流したわけである。さらにバスは利川で中部高速に入り、ソウルに向け走る。そしてソウルで高速国道を下りた高速バスはトンソウル(東ソウルバスターミナル)に無事到着した。明るい昼間の時間にソウルにいるのは初めてかもしれない。ソウルビギナーの私である。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2004-02-02

ページTOPへ▲

その他の記事を見る