木浦、近代文化遺産めぐりの旅!

KTX湖南線の終着駅木浦、日本家屋や近代建築が多く残る港町を歩く旅!

こんにちは!ソウルナビです。韓国の近代文化遺産めぐりの旅は群山、大田、江景をまわってきましたが、今回はやってきたのは木浦(モッポ)。木浦は朝鮮半島西南部の全羅南道(チョルラナムド)に位置し、1897年に木浦港が開港したことで大きく発展した地方都市です。標高228mの儒達山(ユダルサン)がシンボル的存在で、この山の東側を埋め立てて新しい市街地がつくられました。日本統治時代にはたくさんの日本人が住み、半島にある大都市のひとつにも数えられましたが、1970年代以降急速に衰退。しかし発展が遅れている分、昔の建物があちこちに残り、田舎都市ならではのどこかほっとする風景に出会うことができます。それでは、さっそく行ってみましょう!

木浦へのアクセス

2004年にKTX湖南線(ホナムソン)が開通してから、アクセスがぐっと便利になった木浦。日帰り旅も可能になりました。所要時間は、KTXが約3時間10分から20分ほど。高速バスは約4時間から4時間20分です。

今回は開港前から農漁村として栄え、今は木浦の中心街となっている国鉄木浦駅周辺エリア、かつて日本領事館など官公庁が多く集まっていた旧市街地エリア(開港とともにつくられた旧居留地)と大きく2つのエリアに分け、まわってみました。

■■KTX湖南線木浦駅周辺エリア■■

まずは、木浦のメインゲートともいえる木浦駅の周辺から。駅前の通りにはイルミネーションのゲートがいくつも並び、夜になるととってもきれい。
それでは繁華街の中にある古いもの探しに行ってみましょう~
■旧東本願寺木浦別院
お店が並び、ハングルの看板がにぎやかな商店街にお寺が出現!?珍しい~1930年代に東本願寺木浦別院としてたてられたもので、韓国に残っている数少ない日本風寺社建築のひとつ。1957年から2007年までは面白いことに(?)ここには教会が入り、1980年代の民主化運動の際は活動家の集会所としても利用されていました。現在は市民文化センターとなり、ナビが訪れた日も市民の皆さんが何か催し物のための準備をしていました。2007年7月に登録文化財第340号に指定されています。

■コロンバン製菓店
旧東本願寺木浦別院のある通りにあるのが1949年の創業で木浦で一番人気のパン屋さん。地方都市の老舗のパン屋めぐりにもはまっているナビ、今回も見つけましたよ!韓国は今どこへ行ってもチェーン店のパン屋さんがあり、平均的な味のものが食べられるようになりましたが、こういった地方での地元パン屋さんの人気ぶりを見ると、なんだかほっとします。同名のパン屋は日本にもありますが、こちらはアルファベットでcolombangと表記。今の社長は3代目だそうで、木浦で老舗の味を守っています。
パンが出たそばからなくなっていきます

パンが出たそばからなくなっていきます

どっしりとした懐かし系のパン

どっしりとした懐かし系のパン

昭和なバタークリームケーキ健在

昭和なバタークリームケーキ健在

人気のパンはチーズクリームバゲットとシュリンプバゲットの二品で、固めのパンをカットして間にクリームやペーストを塗ったもの。ただ人気パンは今回ゲットならず。そこで次に人気のクリームチーズタルトと、ちょこちょことパンを買って試食。クリームチーズタルトはちょうどよいサクサク感のタルトにぎっしりとチーズクリームが入っていて、おいしい!ちゃんとクリームチーズしていて正直驚きました。パンのお値はも少々高めの設定で、老舗のプライドを感じさせます。クリームチーズの味から想像するに、材料には妥協していないのだなと感じました。

■木浦1935
甘いものを食べた後、再び繁華街を歩いていると目に入ってきたのが1935の数字。ん?どことなく近代文化遺産的なにおいがするぞ!とそのまま奥に入ってみると、木造のおしゃれなカフェが。すいません、1935ってちょっと気になります・・・と中に入ると、天井がとってもステキな空間が。なんでも1951年くらいに倉庫として建てられたのですが、もっと古く日本統治時代に建てられたかもしれないとのこと。うーん、気になります。え、古いものが好きなのですか?と店員さんがさらに案内してくれたのが、そのまた奥にあるステキな伝統スタイルの韓屋!韓方薬局をやっていたお金持ちの方が住んでいたお宅だそうで、こちらが1935年に建てられたので、名称を「木浦1935」としたのだとか。
こちらの韓屋は春華堂という名で高級ゲストハウスにリノベーション。共同スペースにはステキなシャンデリアがあり、各部屋はベッドがセッティングされています。朝食はカフェで韓国家庭料理をいただけるとのこと。今度は個人的に泊まってみたいな!ちなみに同じ敷地内の別棟は1970年代に建てられた韓屋で、格安ドミトリーとして開放しているそうです(朝食はなし)。

木浦の人気スイーツを食後に


■スックルレ
さて、チーズタルトで小腹を満たしたものの、同じ通りにあるということで、地元で有名な食堂「スックルレ」に入ることに。事前リサーチで、木浦でしか食べられないローカルB級グルメがその食堂にあるというのですが、さてどんなメニューが!?
中に入るといたって普通の、よくある粉ものを中心とした食堂。まずは冷麺とオジンオトッパッ(イカの辛味炒めをのせたごはん)を注文。そして次はいよいよ、スックルレ。もともと慶尚道(キョンサンド)地方のシンプルなヨモギ餅のことをいうそうですが、こちらの食堂ではヨモギ餅を一口大に丸めたものに白豆あんをつけ、黒蜜のような液体をかけた餅スイーツをスックルレとして出しています。白豆あんには甘さ控えめで、豆そのものの味が楽しめます。黒蜜もさっぱりしていて、ペロッと食べてしまいました。おいしかった~
今度は木浦駅の北側にある乾物や漁業関係の店や、工具店などが集まる専門店が密集する地域へ。
■湖南銀行木浦支店
シンプルながらも目を引く建物は1929年、日本資本に対抗して湖南地方(全羅道)の有力者らが出資して作られた湖南銀行の木浦支店です。民族資本の銀行の建物という点で歴史的価値が高いとされています。2002年5月に登録文化財第29号に指定され、現在は木浦文化院となり市民のための文化施設として使われています。
このあたりは、どの通りにも古い家屋がいっぱい。店舗建築と呼ばれる1階がお店、2階が住居という特徴の家が軒を連ね、また通りと通りの角に立派なつくりの建物をいくつも見かけます。

旧朝鮮運輸木浦支店
日本統治時代、米や綿花などの荷役を担当した会社が入っていたビル。昔はこの色ではなかったと思います。ギャラリーが入っているようですが、営業はしておらず空きビルになっていました。

■東明洞77階段
朝鮮戦争後に建てられた古い家が密集し、モーテル街も多い東明洞(トンミョンドン)のある通りにひっそりとたたずむ階段。ここは、日本統治時代につくられた松島神社へと向かう階段だったという過去があります。2007年にそういった過去を忘れないようにと記念碑が建てられました。

■古い旅館
立派な二階建ての和風建築は、いつごろ建てられたかはわかりないけれど日本人の住む商家だったそう。現在住んでいる療養中のおばあさんが全羅北道(チョルラプット)益山(イクサン)出身で、「イリジャンヨインスク(裡里荘旅人宿」をオープン。でも今はなにもやっていない、とたまたま家の前を掃除していた家の方がいろいろ教えてくれました。日本からいろんな肩書きの人がこの建物を見に来るそう。その向かいにある「ヨスヨインスク(麗水旅人宿)」も、だいぶ前からありそうなつくりです。
立派なイリジャンヨインスク

立派なイリジャンヨインスク

ヨスヨインスク

ヨスヨインスク

■■旧市街地エリア■■

1897年の開港とともに干潟の埋め立てられ、儒達山の東側に作られたのが外国人たちの住む居留地。はじめはイギリスやロシア人が住んでいましたが、日本人と中国(当時は清国)人が多く住むようになり、日本統治時代に市街地となりました。
■旧木浦日本領事館
まっすぐにのびた通りを進むと見えてくるのが、高台に建つ旧木浦日本領事館です。
赤レンガの建物で、窓枠や柱の青と、白いラインがのびてそのコントラストがステキ。赤レンガと花崗岩の白の対比は、日本の建築家である辰野金吾お得意デザインで辰野式と呼ばれています。この領事館の白のラインは花崗岩ではなくレンガを白く塗ったものですが、その辰野式のデザインをならっているよう。1900年から1907年まで日本領事館として、1914年から木浦府庁舎として、1974年からは木浦市立図書館として、1900年から2009年までは木浦文化院として使われるなど、100年以上に渡ってさまざまな公共施設として利用されてきました。
現在は外観のみ見学が可能。建物の後ろにまわると、何かわけありのような石造りの蔵や防空壕、神社参拝を目的に作られた奉安殿の跡などがあります。
何の蔵でしょう?

何の蔵でしょう?

奉安殿へと続く階段

奉安殿へと続く階段

防空壕

防空壕

ちなみに旧木浦領事館に向かう階段のところに大きな石碑が立っています。「国道1・2号線起点記念碑」と刻まれていますね。国道1号は木浦からソウルを通って北朝鮮の新義州(シンイジュ)まで、国道2号は釜山までのびています。が、1号線は現在は京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)まで。道路も軍事境界線によって分断されている悲しい現実があります。でもここから1号線をひたすら進めばソウルに行くことができます!
旧日本領事館をあとにし、静かな住宅街の中を歩きます。するといきなり重厚なコンクリート近代建築がドーンとたっているのが見えてくるではないですか!その正体は近代歴史館。木浦の近代史を紹介する博物館です。

■木浦近代歴史館
農業拓殖の国策会社である東拓(東洋拓殖株式会社)の木浦支店として、1921年に完成したルネサンス様式の建物です。
東洋拓殖株式会社は韓国の人たちにとっては最も忌々しい存在のひとつ。他の地域にある近代歴史博物館に比べると、日本統治時代に対する感情的な展示、というかダイレクトに不快感を与える写真や物品が多め。しかしそれもまた歴史解釈のひとつとふまえつつ、見学することをオススメします。
金庫室も展示室になっています

金庫室も展示室になっています

当時の朝鮮総督の書が刻まれてます

当時の朝鮮総督の書が刻まれてます

木浦の歴史の写真はよいのですが

木浦の歴史の写真はよいのですが


■ヘンボギカドゥッカンチッ
木浦近代歴史館のはす向かいにあるのが、ナビが強力にオススメするカフェ「ヘンボギカドゥッカンチッ」。1930年代に建てられた日本人のお金持ちの家をおしゃれにリノベーション。和風建築のステキさをそのままに、各部屋ごとに少しずつインテリアを変え、アンティーク風、フレンチ、レトロ、シンプルシックととにかくおしゃれ。コーヒーはイタリアのメーカーである「illy」の豆を使用というのもポイントが高いですね。
入り口は緑に囲まれています

入り口は緑に囲まれています

素敵なインテリア

素敵なインテリア

2階の様子

2階の様子

このほかにも立派な日本家屋や、和風キリスト教会だったと思われる建物などもあります。
ここは日本??

ここは日本??

木浦基督と見えます

木浦基督と見えます

おまけ、海沿いの線路

最後にナビオススメスポットをご紹介しましょう。木浦駅から三鶴島(サマット)へと続く、石炭の運送のために作られた約1.8kmの貨物専用線、三鶴線。1965年に作られ、現在も1日1回貨物車両が走ります。線路脇に住宅が並び、こういう風景が好きな方にはたまらないスポット。「トンミョンサゴリ(東明十字路)」のバス停は、この線路の目の前なのでびっくりしました。
バス停降りたら線路

バス停降りたら線路

線路脇に並ぶ家

線路脇に並ぶ家

この線路の近くに漁港があり、水産市場もあります。木浦といえば有名なのがホンオ(ガンギエイ)やサンナクチ(タコの踊り食い)。木浦のグルメを楽しみたい方は、市場近くの食堂にも是非行ってみて下さいね。
近代文化遺産をピンポイントにまわる旅、木浦編はいかがでしたでしょうか?新鮮なシーフードを楽しんで、儒達山などの有名観光地は行ったので木浦は十分!という方も、機会があればこんな旅もよいのでは?木浦市自体は市内に多く残る日本統治時代の建物をまとめて観光資源にするとか、近代歴史通りを作るなどの考えはあまりないようです。でも近代歴史館の展示とは対照的に、木浦のあちこちに残る日本統治時代の建物は、人々の生活にうまく溶け込んで当たり前のように存在しているように思いました。皆さんも港町の古い町並みの魅力、是非感じてみてくださいね。以上、ソウルナビがお伝えしました。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2013-11-04

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