大邱(テグ)の近代歴史をたずねてまわるプチ旅。コースとして整備されているからビギナーもまわりやすい!
こんにちは、ソウルナビです!釜山と並ぶ慶尚道(キョンサンド)の中心都市、大邱(テグ)は、約250万人が住み、りんごの産地、美人が多いことで有名な街。2011年には世界陸上競技選手権大会が開かれ、世界にその名が知られるようになりました。でも最近、大邱では歴史や産業、文化が感じられる通りをめぐるコルモク(通り、路地)ツアーがとっても人気だとか。例えば大邱は繊維業が盛んなため、繊維ファッション業に関連する通りや市場をめぐるツアー、または朝鮮戦争以降に発展した工具街や専門街を歩くツアー、そして大邱の近代史が感じられる近代文化遺産ツアーなどなど。近代歴史に興味いっぱいのナビ、今回はこのツアーコースを参考にしてオリジナルコースを歩いてみました。大邱の路地を歩いて、大邱の近代歴史を感じてみたいと思います!
大邱へのアクセス
今回はソウルから出発。ソウルから大邱へは鉄道のKTXが便利。降りる駅は東大邱(トンテグ)になります。高速バスを使うと約3時間40~50分ほどかかります。
■歩いてまわれる範囲におさめてみました!■
ご紹介するスポットは、ひとつのエリアにかたまってあるのでとてもまわりやすいと思います。観光スポットはもちろん、特徴のある通り(路地)には案内板が見やすいところに設置されています。言語は韓国語と英語、中国語(一部)の説明ですが、さすが大都市、案内板が出ているのはありがたい!
啓明(ケミョン)大学東山医療院のある東山(トンサン)と呼ばれる一帯は、大邱のキリスト教発祥の地として知られています。1890年代にアメリカ人宣教師アダムスがやってきて、大邱にキリスト教を広めていきました。宣教師たちは教会だけでなく、済生院(東山医療院の前身)などの医療施設や啓聖(ケソン)中学・高校などの教育施設の充実化を進めました。
■東山宣教師住宅
青蘿(あおつた)の丘と呼ばれる小高い丘に築100年以上の宣教師住宅が3棟保存されています。韓国の伝統建築様式と西洋の建築様式がミックスされた折衷スタイルがみもの。1910年頃、アメリカ人宣教師チェムニスが同時代に建てたバンガロー風住宅は医療博物館として、アメリカ人宣教師のブレアとライスが住んでいた家は教育歴史博物館として、アメリカ人宣教師のスウィッツが居住した住宅は宣教博物館として開放されています。
大邱で一番最初に作られた西洋病院である済生院。その入口部分の復元も同じ敷地内にあります。また大邱生まれの近代音楽家、朴泰俊(パク・テジュン)の紹介もありました。彼は韓国で初めてオペラを作曲した人物として知られ、彼の作曲した「友を思う」という曲に青蘿(あおつた)の丘が出てくるそうです。
車寄せが復元されています
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日本で最初にオペラ作った人って誰だろう…
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■3.1万歳運動階段
1919年3月1日、日本統治時代にソウルで起きた独立を叫ぶ万歳運動は朝鮮半島の各地に飛び火しました。大邱では、市民がこの石階段を駆け下り、西門市場(ソムンシジャン)へと向かっていきました。90段の階段横には当時の様子を紹介する写真が展示してあります。
■桂山聖堂(ケサンソンダン)
3.1万歳運動の階段を降り、大きな道路の西城路(ソソンノ)をはさんで向かい側に見えるのが赤レンガの美しい建物、桂山聖堂です。1886年に朝鮮に渡り、大邱での宣教活動をすすめたフランス人宣教師ロバート神父が、ステンドグラスやトタンなどの資材をフランスから持ち込み建てたもので、1902年に完成。こちらは大邱に残る一番古い1900年代初頭の建物だそう。建物はロマネスク様式を基調としているものの、全体の平面構成、尖塔とステンドグラスなどの部分部分にゴシック様式が採用されています。ここで結婚式を挙げるカップルがとても多いそう!
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李相和古宅韓国を代表する民族詩人李相和(イ・サンファ、1901~1943年)が1939年から没するまでの4年間住んでいた韓屋(ハノク)。1919年大邱で独立運動に参加し、その後フランスに行くため日本のアテネ・フランセでフランス語を勉強したというユニークな(?)経歴を持った人物。抵抗の詩を作り続けた詩人は、この家で晩年とても平穏な日々を送っていたそう。
古宅横には民族運動家の徐相敦(ソ・サンドン、1851~1913年)の古宅や、大邱出身の文化人を紹介する近代文化体験館もあり、見ごたえがあります。
散策に疲れたら、ちょっとリフレッシュ!
大邱のキリスト教関連と日本統治時代の抵抗の現場を見た後、薬令市(ヤンニョンシ)にやってまいりました!こちらは300年以上続く韓国最大の韓方薬通りとしてとても有名で、韓医院や薬剤の店が数百軒も密集しています。
■薬令市韓医薬博物館目的地は1993年オープンの韓方薬専門博物館。いろいろな薬草、ハーブが植えられた薬令公園の中にあり、観光案内所もあって、必ず寄っておきたいところです。韓方薬専門博物館の建物は1階が韓薬の卸売り市場になっているため、エレベーターで2、3階に上って見るようになっています。館内には韓医書や、韓方器具、韓方薬材など韓方薬関連用品約300点が展示され、韓方と薬令市の歴史や文化を知ることができます。2階の体験コーナーには様々な体験プログラムも用意されていて、韓薬剤を使ったサシェ(におい袋)やミスト、石鹸作り体験、韓方足浴体験、韓方茶無料試飲ができます!
ナビの足は疲れでパンパンになっていたので、これはもう韓方足浴をするしかないでしょ!さっそく申し込みました。申し込みは始まる30分前までにする必要があります。待ち時間はじっくりと展示を見てまわりました。そして時間になると足浴専用のスペースに案内され、ひざが出るくらいまで着ているものをまくっておきます。専用の容器にお湯がたまると、そこに韓方濃縮液のようなものを注いでセッティング終了。熱めのお湯と韓方の香りに包まれながら、約20分。終わったあとはすっかり足のむくみが取れていました。
いろいろな体験プログラムがあります
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このにおいがききそうな感じ
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■第一教会薬令市韓医薬博物館の目の前にある、蔦に覆われた教会。大邱で最も古いプロテスタントの教会として親しまれ、大邱広域市有形文化財第30号に指定されています。シンプルなゴシック様式で建てられていて、2階が礼拝堂になっています。外観は石造りですが、中は天井や階段などが木でできていて温かみが感じられます。同じ名前の教会が桂山聖堂の向かい側に建っているのですが、そちらは二代目の教会です。
雰囲気のある路地を歩いてみる
■チン路地
次に向かったのは大邱市内でおそらく最も有名な路地、チン路地。古い家や食堂が並ぶ素朴な路地のようにも見えるのですが、とても深い歴史を持っています。チン路地は大邱の方言で「長い」を意味する「チルダ」が由来。日本統治時代、大邱で一番のお金持ちと言われた達城徐氏(タルソンソシ)の一族が集まって住んでいました。
1928年に開院した趙小児科医院は、当時の財力をうかがうことができる西洋風のお屋敷。レトロな雰囲気に包まれていて、そこだけ時間が止まっているよう。日本や中国の建築様式が混ざった韓屋も点在し、朝鮮戦争後に大邱の文化人が経営していたカフェの跡などがあります。最近ではおしゃれなカフェなどもオープンし、看板や外観をそろえて路地に統一感をもたせることで、さらに魅力的なエリアになっています。
■大邱華僑協会(旧徐丙国邸宅)
チン路地を進むと、華僑学校があらわれます。その学校の敷地内にある赤レンガの建物は1925年、達城徐氏の中で一番のお金持ちだった徐丙国(ソン・ビョングク)の邸宅。現在は華僑協会の建物として使用されています。西洋の建築様式に中国の赤レンガ建築様式が混ざったもので、韓国でこのようなスタイルの建物を見るのは本当にめずらしいと思います。
大邱駅に向かって北上します!
続いては大邱駅方面へ北上、日本統治時代に上町と呼ばれ、かつて大邱の中心地として警察・郵便局・銀行などの官公庁が集まっていたエリアに向かいます。大邱歴史近代館はなぜこんなところにいきなり立派な建物が?と驚くほど、まわりの建物と合っていないのが時代の流れを感じさせます。
■大邱近代歴史館
朝鮮殖産銀行大邱支店として1932年に建てられ、1954年から韓国産業銀行大邱支店として使われていた、ルネサンス様式の近代建築。2011年に大邱近代歴史館としてオープンしました。外観は控えめなベージュで、ところどころに凝ったレリーフがあって、とっても優美な印象。
中は全体的に照明がかなり落とされています。日本統治時代の繁華街をバーチャルで体験できるバスツアーが見もの。大邱にも大きな日本人町があったのですね。
■北城路
歴史館からさらに北へ向かい、北城路へ。ここまで来ると日本家屋らしき古い建物をあちこちで見ることができます。北城路は現在は工具街として有名で、工具の店が密集していますが、1905年大邱駅の開業とともに発展した商店街でもありました。たくさんの日本人が住み、元町や吉野町と呼ばれていました。
カラフルな看板が並ぶ工具街に、いきなりあらわれる和風の建物。2013年にオープンした北城路工具博物館です。工具街が大邱の産業を支えてきたという歴史を紹介するために、1930年代に建てられた米倉庫をリノベーションして作られました。中は1950年代後半以降の産業の歴史を紹介しているのに、外観がだいぶ和風。面白いでしょう?この日は休館日だったので外観のみ見学。
■cafe三徳商会
北城路には同じような外観の和風建築が実はもう一軒あります!カフェとして2011年10月にオープンした「cafe三徳商会」。もともとは1930年に建てられた日本の店舗建築だったのですが、その後工具の店が入り、建物の老朽化にともない空き家になっていました。北城路の歴史を掘り起こすアートプロジェクトの一環として、若いアーティストたちが集まり、日本風の店にリノベーション。北城路は日本統治時代と朝鮮戦争後の産業成長時代の歴史が共存しているのが面白いですね。
いよいよ大邱駅に到着!大邱の近代歴史をさーっと見てきましたが、いかがでしたか?都市の路地を時間をかけて歩きまわっているうち、歴史をあちこちに感じることができ、だんだん大邱が好きになっていくのがわかります。よく注意して歩いていると、古い建物が意外とあちこちにたくさんありました。特に北城路周辺は、あ、あそこにも、え、ここも?とかなり驚くほど。古いものを都市の遺産として残していこうという動きも見ることができ、とても有意義な一日を過ごしました。ただ今回は食べ物に力を入れられなかったのが残念!また大邱に行くことがあれば、ぜひぜひ大邱のおいしいものを探してみようと思います!以上、今日は大邱まで足を延ばしたソウルナビでした。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2013-12-06