陶山書院 (安東)

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韓国史上最高の儒学者、退渓・李滉ゆかりの地

アンニョンハセヨ、ナビです。安東市の中心からバスに揺られることはるばる40分。ダム建設によってできた人工の安東湖と田園風景を通り過ぎると、静かな湖畔の辺に陶山書院が見えてきます。安東に訪れる観光客が必ず訪れる場所のひとつになっているこちらは、韓国史上最高の儒学者、退渓・李滉ゆかりの地として知られています。
退渓・李滉とは
退渓は号。李滉(1501~1570)は地位や名誉は望まず、朱子学を大きく発展させた、朝鮮史上の最高の儒学者とされている人物。世界の本質的な構造と人間的生き方を規範法則によって体系化しようとした。その思想は藤原惺窩、林羅山をはじめとする日本の朱子学者たちにも影響を与えたことでも知られている。1,000ウォン札の肖像画になっている。
陶山書院とは
中央政府の権力闘争を嫌い官職を辞した李滉は、自らの学問を深め、後進の指導にあたるため陶山書堂を建てました。その後、李滉のもとで多くの若いソンビ(学者)たちが師事し、70歳で亡くなるまでに320名の弟子を育てました。そして、李滉の没後1574年、弟子や儒学者たちがその功績をたたえるために、李滉を祀る尚徳祠(宝物:第211号)と典教堂(宝物:第210号)、東・西斎をたて、陶山書院として完成させました。静かな緑の傾斜に沿って趣きある木造建築が並ぶ風景は、1,000ウォン札の裏面にも印刷されています。
陶山書院への行き方
陶山書院の入り口に停まるバスは、1日4本(W900)。市外バスターミナルと安東駅のちょうど中間地点がバス停になっています。バスの番号は67番ですが、それぞれ行き先の違う67番バスが5種類あるので、出発時間に注意してバスに乗りましょう。戻るバス時間を考えると、利用しやすいバスは9:40/10:50/13:10発です。不明な点は、安東駅前の観光案内センターで確認してください。
湖を眺めながら入り口に向かう
バスを降りれば、切符売り場は目の前、ゆっくりと歩いていくと右手の河向こうに祭壇のようなものが見えてきます。これが試士壇(地方有形文化財第33号)といって、1700年代に、特別な科挙が行われた場所だそうです。安東ダムの建設によって水没の危機に陥ったため、同じ場所に石垣を積み上げ、9m上の高さに移設されました。
日本の茶室作りの様式に見られる隴雲精舎
正門をくぐるとすぐ左側にある隴雲精舎は、李滉に師事したソンビたちが寄宿する場所でした。屋根は韓国語で勉強を意味する、工夫(コンブ)の工の字をイメージして造られています。また入り口には足元に木の板が施されていて、気をつけて跨がなければいけないようになっています。そのとき自然に頭と腰が下がる姿勢が、いつでも人を敬う気持ちを持つべきだという李滉の意図に基づいていて、この様式は日本の茶室造りにも影響したという話です。
日本の茶室にも影響を与えた
すべての始まりは陶山書堂から
入り口の門をくぐってちょうど右手に見えるのが陶山書堂。陶山書院も元々は、陶山書堂と隴雲精舎しかありませんでした。正面から見て左側は生活と執筆をしたスペース、右側のオープンスペースで、弟子たちへの講義が行われました。中央政府で高い役職にいた人物が暮らすにしてはあまりにも小さくまとまっていて、後世に伝えられる物欲に興味を持たず、ひたすら研究に没頭した李滉の人柄が、この小さな空間から伝わってくるようです。
進道門をくぐると陶山書院
すべての建物を含めて陶山書院といいますが、厳密には入り口をくぐってから、進道門までは書堂、くぐってからは書院となります。韓国で言う『書堂』とは、学者が自ら研究を深め、弟子たちを教えた場所にあたり、『書院』は学問的偉業を、徳を遺した学者を讃えるために造られ、儒学者たちが学問を論じた場所だそうです。門の横に並ぶ高床式の建て物は、書籍を保管した光明室、門をくぐって左右に並ぶのが、学者たちの寄宿舎になった博約斎と弘毅斎。そして正面のもっとも大きな建物が学者たちの講義の場になった典教堂です。
蔵板閣
こちらは書院で使う教科書などが印刷された場所。湿気に弱い木版なので風通しがいい構造になっています。最近まで約3000枚もの印刷用の木版が保管されていましたが、よりよい保存状態を保つために博物館に移管されました。
尚徳祠と典祀庁
敷地の一番奥にあるのが、李滉の魂が祀られている尚徳祠。一般人は入ることができません。3つの扉がありますが、階段は両脇に2箇所だけ。これは右側の扉は、祭祀で祭官が通る道で、左は供え物を運ぶ入り口。真ん中は魂が通る門と信じられているため、階段はないそうです。扉に描かれている対極模様は、黒は天、白は地、人間や生命は青色で表現されていて、右回りすることで新しい生命の誕生を意味しているそうです。
また典祀庁は、祭祀の祭に関係者が宿泊した場所、文禄慶長の役で日本軍が攻め寄せた際には、典祀庁の床下に、書籍や木版を隠し、難を逃れたそうです。
この床下に書籍が隠された
遺物展示館
ぐるりと一回りした後には、遺物展示館に行ってみましょう。李滉が実際に使っていた、肘掛、枕、硯、筆などの生活用品が展示されていて、歴史上の人物をより身近に感じられるようになっています。また、こちらの事務所には、日本語での案内が可能な金俊圭さんがいらっしゃるので、最初から案内をご希望される方は、まずは遺物展示館にいってみましょう。
日本語での案内が可能な金さん
じっくり見ても観光に必要な時間は小1時間ほど。そのくらいの時間で見学して、バス乗り場に戻るとちょうど帰りのバスが来るようになっています。木目がやさしく、どこか京都の山寺を思わせる雰囲気で、日本人が好みそうな陶山書院。こちらを訪れる前に、退渓・李滉について少し予習をしておけば、よりいっそう雰囲気を楽しめるのではないでしょうか。以上、安東からナビがお伝えしました。

記事登録日:2004-07-23

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関連タグ: 退渓 李滉 儒学 朱子学

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スポット登録日:2004-07-23

スポット更新日:2012-03-23

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