韓国最大の桜祭り「鎮海軍港祭り」で有名な鎮海、素朴な漁業の町九龍浦に残る日本の面影を探して出かける旅
こんにちは、プサンナビです。釜山市内でも桜やケナリが例年よりも早く咲き始め、春がやってきた!と思ったらコートを着込むほど肌寒くなったりと落ち着かない日々が続いています。そんな釜山から今回ナビは釜山近郊にある鎮海(チネ)、そして浦項(ポハン)へとそれぞれワンデイトリップしてきました。韓国最大の桜祭りと言われる「鎮海軍港祭り」で有名な鎮海、そして鉄鋼の都市として名が知られている浦項。どちらもかつて多くの日本人が住み、どこかノスタルジックな風景があちこちに残っているとのことで、今回は街歩きをメインにすることに。桜も楽しみつつ、ゆったりまったり地方旅、それでは出発!
一日目 桜色に染まる鎮海から行ってみよう~!
地下鉄2号線ササン(沙上・Sasang)駅近くの西部市外バスターミナルからバスに乗って鎮海へ。直行路線は約10~15分間隔。こちらのバスターミナルは鎮海に距離的に近く、小一時間ほどで行けるので便利です。また地下鉄1号線ノポ(老圃・Nopo)駅に直結の総合バスターミナルからも鎮海行きのバスが出ています。このバス、「鎮海軍港祭り」の期間中は鎮海のメイン会場や中園ロータリーで降ろしてくれるとのことでしたがナビは知らず、普通にバスターミナルで降りました(汗)。中園ロータリーへは歩いて約10分ほど。
メイン会場に近づくにつれにぎやかな音楽が聞こえ、平日だというのに多くの観光客でにぎわっていました。けれども残念なことに3月末で満開を迎えてしまった鎮海の桜、ナビが行った4月はじめは花びらが風に舞っている状態!うーん、満開に合わせて桜祭りを楽しむってなかなか難しい・・・それでもまだまだ咲いている桜並木を眺めながら歩いていると、心軽やかほっこりできます。
鎮海に残る古い建物たち
現在韓国最大の軍港の町として知られる鎮海ですが、その昔日本海軍によって計画的な街づくりがすすめられ、多くの日本人が住んでいました。軍港都市としての美観を保つために厳しい建築制限が設けら、4階以上を建てる場合は許可が必要だったそう。また、街には和洋折衷スタイルのハイカラ建築も次々と建てられました。そんな名残りを桜咲く通りのあちこちでうかがい知ることができます。
■旧鎮海郵便局
メイン会場である中園ロータリーの一角に建つ旧鎮海郵便局は、Y字型の後方に翼を広げるような形が印象的な平屋の木造建築で1912年の完成。2000年までは現役の郵便庁舎として使用され、「鎮海軍港祭り」の期間中は関連イベントが行われ開放されることもありましたが、今年(2013年)は公開はないようで残念。白と若草色のコントラストと桜色によく合ってとっても春らしいですね。
■長屋
鎮海の紹介でよく出てくる日本家屋が、この長屋。1階が店舗で2階が住居というスタイルは、韓国では実はあまり見られないんですね。この長屋は4棟ほどがつながっているのですが、このような形でそのまま残っているって珍しいのでは?
■文化空間黒白(ムナコンガンフッペッ)
日本統治時代の建物ではありませんが、文化空間黒白は歴史を感じさせる場所。クラシック喫茶「黒白茶房」として1955年にオープン、2008年に茶房は閉店しましたが、地元の人たちが市に何とか残してほしいと呼びかけ文化空間として再オープン。現在はギャラリーとして絵画作品を展示、クラシックのミニコンサートなどが開かれています。こちらはイ・ソンギュンとキム・ミニが主演の映画「火車」にも登場。ナビは映画に出てくる黒白の雰囲気にすっかりやられてしまい、今回訪れることができて本当にうれしかったです!ちょっとした休憩で気軽に立ち寄れ、クラシック音楽を聴きながらコーヒーがいただけます。
■
鎮海軍港マウル歴史館鎮海の中心地一帯に残る近代文化遺産をテーマに、まちおこしを目的として2013年3月にオープンした歴史館。パネル資料と、地元住民の寄贈品が多く展示されています。日本による計画都市形成の歴史、また韓国有数の軍港都市としての発展についていろいろ知ることができます。日本人によって植えられた鎮海の桜は解放(1945年の終戦)後伐採され、新しく植えられて「鎮海軍港祭り」が始まったとされていますが、歴史館には日本統治時代に植えられていた桜の原木の展示が。市内にその当時の桜ってホントにないのかしら?
歴史館のすぐ近くには近代歴史テーマ通りがあり、鎮海の歴史に関するパネル展示やイベントなどが行われています。実はここ、鎮海を流れる余佐川(ヨジャチョン)の一部。コンクリートでふたをして作られた空間なんです。
■セスヤン会館、元海楼
セスヤン会館は1920年代に建てられた中国風の塔のような八角形建物。南北に2つあったうちの南側の建物です。八角亭という料亭でしたが、今はだいぶ改造されてコッチャン屋さんが入っています。 元海楼は蒋介石総統や李承晩大統領が訪れたことで有名な中華料理店で、1956年の創業。イム・グォンテク監督の映画「将軍の息子」にも登場したそうです。
今はセスヤン会館
|
|
元海楼は栄海楼とも呼ばれていました
|
■鎮海駅
2005年に登録文化財第192号に指定された鎮海駅。現在の駅舎は1926年に建てられました。軍港祭りの期間中はソウルからのお花見列車も止まります。駅の北側には余佐川(ヨジャチョン)が流れ、川沿いに続く桜並木がとっても有名です。キム・ハヌル&キム・ジェウォン主演のドラマ「ロマンス」に登場するロマンス橋で、写真を撮る人がいっぱいでしたよ。
■
仙鶴コムタン( 旧鎮海海軍統制府病院長舎宅)
1930年代に建てられたと推測される、旧日本海軍関連病院長の家です。2005年に登録文化財第193号に指定されました。現在は地元でもよく知られているコムタン屋さん。玄関に入ったとたん和風テイストぷんぷんで不思議な気分に。インテリアも当時使われていた古い電話や、蓄音機(当時はぜいたく品だったかも)があったり、かと思えば不思議なオブジェがいっぱい。ハルモニが一人でマイペースに切り盛りしていて、この日午後2時ごろ行ったところハルモニは不在。電話をかけると5時に来てと。確実に食べようとおもったら、お昼時、そして午後5時以降に行くのをおすすめします。
ギリギリと音が。時代を感じさせます
|
|
日本語が書いてありますよ!
|
さてさて、看板メニューのコムタンはとってもきれいなミルク色!自分好みの味付けをしていただきます。さっぱりとした上品なコムタンで、あっという間に食べられます。一緒に出てくるおかずがとにかくウマウマ!野菜や魚の素材自体がおいしい!やっぱり地方の旅はいいなあ。
二日目 浦項の注目スポットに行ってきました
二日目は浦項の九龍浦(クリョンポ)と朝鮮半島の最東端に位置する虎尾串(ホミコッ))へのワンデイトリップ!九龍浦へは釜山総合バスターミナルから浦項市外バスターミナルへ向かい、そこで市内バスに乗り継ぎます。浦項市外バスターミナルを出るとすぐに観光案内所があるので、バス停の場所を聞くといいかも。
九龍浦をまったり散歩
九龍浦は小さな漁村ですがカニ漁が盛んな港があり、クァメギという魚の干し物の旬(秋から冬)になるとたくさんの観光客がやってきます。季節が過ぎてクァメギに会えないのが残念だけど、今回のナビの目的は九龍浦近代文化歴史通り。九龍浦は日本統治時代に香川県の一漁村だった小田村の人々が集団移住して発展したところで、日本家屋がいっぱい残っているんですね。浦項市は日本家屋の通りを新しい観光資源として、歴史を記憶するための文化遺産として保存事業をすすめました。古さを生かすというよりもキレイにしすぎたため雰囲気が半減したという意見もあるものの、現在は新たな観光スポットとしてひそかに人気を集めています。
■
九龍浦近代文化歴史通り
バス停を降りると、九龍浦近代文化通りとかかれた門やノボリが目に入ってきます。メインの門をくぐると左右にのびる小さな通りがかつて本町通りと呼ばれたメインストリート。昔はにぎわっていたのでしょうか、今は地元のハルモニたちが道端でゆるゆるとおしゃべりしていて、とってものどかです。かつて神社があった丘へと続く階段をのぼれば、九龍浦港が一望できます。
■
九龍浦近代歴史館
九龍浦の実力者だった香川県出身の実業家、橋本善吉の家屋をリニューアルし、当時の日本人の暮らしぶりをわかりやすく紹介している歴史館です。それにしても立派なおうちですね~でも木造でオンドルもなくて冬は寒くなかったのかと気になります。日本家屋の特徴、生活用品の説明が充実し、まだまだ知らないこといっぱいあるなあと改めて考えさせられました!
このゆかたは寝間着?こたつと合ってないようなっ
|
|
台所の様子
|
■
カックネ・モリグクスおなかが減ったナビ、九龍浦でポピュラーな魚介の余りものレシピ、モリグクスを食べることに。モリってなんだか日本語っぽい響き。元々韓国語で「みんなで集まって」という意味ですが、日本人が多く住んでいたのでその影響もあって日本語の「盛り」と説明されることもあるとか。アルミ製の洗面器のような器に、うどんがこれでもかとたっぷり入っています。魚・貝・海老のだしがきいた赤いスープは思ったよりマイルドな辛さ。九龍浦マッコリもいただいちゃいます!
マイルドでぐいぐいいけます
|
|
つまみの昆布と煮干しがウマウマ~
|
■古里
食事の後、九龍浦市場などを散歩し、そのあと向かったのは九龍浦近代文化歴史通りにある「古里」。料亭だった建物が現在はカフェとして利用されています。福岡の韓国総領事館に長年勤めていたオーナーが日韓交流ができるようにと地元九龍浦に戻って始めたカフェなんだとか。
最後は虎尾串
ナビが次に向かったのは朝鮮半島の最東端にある虎尾串(ホミコッ)。灯台がとってもきれいというウワサをきき、九龍浦から再びバスに乗り込みました。
虎尾串に着くころには午後6時をまわり、もう日が暮れ始めてあせるナビ。暗くなる前に海からにゅっと出た手のオブジェを激写しなければ!虎尾串日の出公園へ走りました。
虎に見立てた韓国半島のオブジェ
|
|
新千年記念館は巨大な建物
|
手のオブジェは「相生の手」という名の作品で、共存して生きるという意味があります。海と陸で二つあり、向かい合っています。海側の手は思ったより陸に近いところにありました。強烈なインパクトがあります。手のオブジェを画面に入れて撮ろうとする人たちのポージングが見てて楽しかったです!
■
虎尾串灯台半島を一頭の虎に例えると、しっぽの部分にあたるため虎尾串という名前がつけられたのは、実は2001年のこと。それまでは冬外串(トンウェコッ)や長鬣串(チャンギコッ)、日本統治時代には長鬣岬と呼ばれていました。韓国語では岬のことを串(コッ)というんですね~公園内にある虎尾串灯台は長さは26.4メートルで形は八角形。フランス人が設計し、1908年11月に完成しました。6階建てで、事前に申し込めば中に入ってはしごで上まで登れるんですって!きっと素晴らしい眺めでしょうね。灯台のまわりには国立灯台博物館と海洋水産館が併設され、野外にもミニ灯台や灯台の一部がごろりと展示されていたりして面白いですよ。
虎尾串灯台は今も現役、明かりがともりました
|
|
韓国半島の最東端を示す石碑
|
釜山近郊へ、どこか懐かしい風景を求めて行く旅、いかがでしたか?今回は時間の都合で鎮海軍港祭りの期間中のみ開放される海軍基地司令部(もともとは日本軍の建物)などは見送りとなってしまいましたが、楽しい街歩きとなりました!また九龍浦や虎尾串へバスを乗り継ぎ、どこで降りるかドキドキの連続でしたが、それもまた旅の楽しみ!釜山近郊の2つの街、是非是非一度足を運んでみることをオススメします!以上、古い建物好きのプサンナビでした。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2013-04-24