北村文化センター

プッチョンムナセント북촌문화센터

閉店・移転、情報の修正などの報告

投稿者:鯨丸通信社

口コミ掲示板[北村文化センター]街全体がそのまま生きた博物館です

2004-08-30
 シティツアーバスのみちみち、今回は北村韓屋村に「北村文化セ
ンター」を尋ね当てようと(22)昌徳宮で下車、タクシー(に乗
るべきではないのですが)を駆って北村地区へ急ぐ。      
                 
                              
 ードライバー(以下タド)は昌徳宮に沿って北上しものの数分で
タド「#$%プッチョン*@&ムニダ(このあたりが北村です)」
 −僕はナビさんからプリントアウトした地図を示し    
鯨丸「北村は昌徳宮の西南にあります(勿論日本語で)」    
タド「&’?*+#!ムナセント%&*?スムニダ(間違いなく文
  化センターはこのすぐそばです)」            
 −僕は又地図を指し示し(実はナビさんの地図には秘苑とすべき
所に宋廟としるしてあったから)
鯨丸「もっと南ですよ」                   
 −タドは、タクシー備え付けの「無料通訳システム」に電話した
  方が手っ取り早いと気がつき、              
タド「#%$*?&ジュセヨ(これで確かめてくれませんか)」 
 ーそのシステムに戸惑う僕はオタオタする   
   
                              
 ーそうこうしているうちに、可愛い娘さんが通りかかり尋ねる 
アガシ「%#$&(あのおばさんなら知っているのでは)&5#」
アジュンマ「&%#%(私も知らないけど、あの守衛さんなら)ア
ラッソヨ」
 −守衛さんも知らず、そこに宅配便のドライバー登場する   
宅ド「日本人なら英語が喋れるだろう?僕も忙しいのだが手伝って
あげよう、ついてきて」(この程度なら僕にも聞き分け可能?)
 −警察官に聞いても「だめ」、そこに幸運にも郵便配達の若者が
目の前を横切り一件落着、お礼もそこそこに宅配便氏が去った。 
          
 この全行程,時間にすれば30分ほど、タクシードライバーはメー
ターを止めていて料金を受け取ろうとせず、悶着後、無事御礼をわ
たし「文化センター」に。この施設をみて、この「センター」とい
う意味が、僕らが一般的に想像する大きな公共構造物というもので
はなく、「北村」地区のセンターにあるという意味だったのです。
 そんなわけで、件の「センター」は先達のクチコミにもあったよう
にトテモ小さい施設で、そのうえ当日は残念なことに人の気配はま
ったくなく十数分で外へ出、町全体の散策へ向かう。      
           
   
 ナビさんの解説にあったように、補助を得て改装なったのであろ
う韓屋が丘全体に張り付くように、その甍を競い、あるはレストラ
ンに、酒屋さんに、しもたやに、人々の生活が濃密に展開され、そ
の息吹に圧せられました。                  
 「文化センター」を尋ねるのが当初の目的だったのですが、北村
の魅力は、今も往時のままの伝統的な韓屋の下に「稠密」に人々の
生活が営まれているところにあるのだと、体感できました。
 帰途は、徒歩二十数分で(23)仁寺洞にたどり着きました。 
                              
   
訪問日:2004/08/30