国立中央博物館の企画展『加耶 の本質-剣と弦』を観覧してきました!

この30年発掘された出土品をもとに加耶の歴史をわかりやすく紹介!

こんにちは!ソウルナビです。今日は国立中央博物館の企画展「加耶の本質‐剣と弦」を観てきましたのでご紹介しましょう!3世紀から6世紀ごろ、新羅、高句麗、百済の三国時代に朝鮮半島の南部に散在していた小さな国の連合体、加耶(カヤ)。他の3国に比べると記録が少なかった加耶ですが、この30年の間に韓国の慶尚道(キョンサンド)、全羅北道(チョルラブクド)の古墳群から大量の遺物が出土され、国立中央博物館では1991年に「神秘の古代王国、加耶」展を開いてから28年ぶりに、今年(2019年)新しい加耶展が企画されたという訳なんです。出土品と共に新たに明らかになったという加耶の歴史とは?さっそく、行ってみましょう!

国立中央博物館・企画展示

博物館へのアクセスは地下鉄が便利。地下鉄4号線、京義・中央線イチョン(二村)駅から地下連結路を利用すると博物館の西門に出るので、ここから前方に進んでいくと博物館の建物が見えてきます。出口すぐを右手に曲がるとハングル博物館もあるので、時間に余裕がある方は後で寄ってもいいかもしれません。ナビは博物館に向かってゴーー!人工池を右手に見ながら階段を上っていくと博物館です。
建物右手は一般展示、今回ナビが行く企画展示は左手になります。展示ポスターが赤くて目立つのですぐわかるはず。正面にあるチケット売り場でチケットを買って、裏手にある入り口から入りましょう。
まずは手荷物が多い方はロッカーへ(無料)。暗証番号を設定して使うタイプなので、わかりやすい番号にしましょう。また、説明が聞きたい方は日本語選択可能な音声ガイドのレンタルもありますョ(有料3,000ウォン)。

いざ、中に入ります!

入り口を入ると、真っ暗な通りに文字が浮かんでは消え・・・映像と音楽が調和してとっても幻想的な雰囲気。まずは加耶の誕生神話から、加耶の歴史がスタート。加耶の特徴に合わせ、共存、和合、武力、繁栄の4つのテーマに沿って紹介していきます。

<<共存>>

 
多くの土器の出土物が天井まで続く大きなガラスの棚に、時代別に、国別に展示されています。
加耶は小さな国の連合体だったこともあり、国により、地域により文化も多彩で、土器も地域性が表れています。5~6世紀に陶磁器には漢字の名前が刻まれており、漢字が広く普及していたとのことを表しているとか。
また、金海禮安里(イェアンリ)遺跡では180のお墓から190体の人骨が出土。その数にも驚きましたが、人骨は北方人の南方人が混ざっていたとのこと。北と南のしゃれこうべをみるとその違いも明らかで、実際に、見た目のかなり違う人種が共存していたのですね。


<<和合>>

5世紀ごろ朝鮮半島は新羅、高句麗、百済の三国時代。その時に加羅国(大加耶)がいくつかの地域を糾合して479年に中国の南斎に使臣を送り加耶を興したとのこと。その頃の加耶王の姿をもっともよく表しているという慶尚北道(キョンサンプッド)高霊郡(コリョングン)池山洞(チサンドン)の44号墓が博物館内に再現されています。黒い壁には墓と関連する人々の映像が青白く映し出され、展示室全体が5世紀ごろの加耶にタイムスリップしたかのよう。この44号墓は大規模古墳群の中でも最も大きく、最高階位の古墳で、王の周りには守衛武士、馬夫など王を守っていた人々が一緒に埋められています。
お墓の出土品の中でも国宝138号に指定されている王冠には日本から輸入したといわれるヒスイ製勾玉が使われ、また、全羅南道で出土された鶏頭型の青磁は中国から輸入されたものだとか。

<<武力>>

加耶の力、強力だった鉄
三国時代の鎧のすべては加耶で作られたといわれるほど、加耶は鉄、鉄製品の輸出の中心国として確立しており、これにより加耶は国力、戦力を強力にしていったとか。小さな加耶が520年も続いたのは何よりも当時、先端素材だった鉄があったから。実際、武士と馬が着ていた鉄の鎧がそのまま古墳からも出土。また、加耶の重装騎兵の姿を表しているという国宝第275号の騎馬人物型の角杯(角で作った杯)からも見て取れます。
国力を左右するほどの鉄。そのため、鉄づくりの技術の伝承は内密に行われ、専門の名匠が担当したとか。金海郡(キメグン)退来里(テレリ)遺跡では鉄器を作っていた名匠の墓が発見され、その社会的な地位はとても高かったとのこと。鉄があっての加耶、だったんですね。

<<繁栄>>

4世紀以前の駕洛國(カラクグク、旧加耶)は鉄と特産物を売り買いする国際市場として、東北アジアの寄港地としての役割も果たしたとか。周辺国からの使臣は鉄を買い、政治的な目的で高価なものを献上することもあったそう。金海(キメ)良洞里(ヤンドンニ)古墳には日本の九州地域の青銅鏡、中国の青銅鏡と青銅釜、西アジア系の装飾品などが出土したとのこと。加耶は国内外で多様な文化が入り交じっていたのですね。
新羅に併合されるまでの約520年の加耶の歴史、さらっとみていきましたが、いかがでしたか? 興味のある方はもちろん、普段展示を見に行く機会があまりなくて…という方も、韓国に来た際にもぜひ寄ってみてください。加耶は日本とも関りが深く、その歴史に関してはさまざまな説がありますが、この30年の間に出土した遺物をもとに、加耶の歴史が臨場感あふれる演出で紹介されていて、とても分かりやすい展示になっていまたョ。以上、ソウルナビでした!

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2019-12-30

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