景福宮企画写真展、その1【2001年】

李朝の正宮の姿を約90年ぶりに取り戻しつつある景福宮!昔の様子を辿ってみよう!パート1

こんにちは、ソウルナビです。興礼門(フンネムン)をはじめとし、景福宮(キョンボックン)の復元事業によって90年ぶりに李朝の正宮(ジョングン)の姿を取り戻しつつある景福宮の形跡を辿った企画写真展が、景福宮の興礼門行閣(ヘンガッ)一帯で開催されていると聞き、ナビも行って参りました。開催期間は残念ながら11月30日までと終わっちゃいましたが、みなさんの代わりにその様子を紹介したいと思います。ちなみに「景福宮」という名前は、詩経の「君子万年 介爾景福」からとったもので、王朝の景福を祈る、という意味なんですって。(^^)さて、今回の写真展は「絵で見る景福宮」「景福宮の全閣を昔の写真で」「景福宮の毀損」「景福宮の復元」など、大きく4つのパートに分けられています。今回は、はじめの2パートのみをご紹介。それではナビと一緒に興礼門に向かいましょう!

☆ 絵で見る景福宮 (Gyeongbokgung Seen on Paintings)

北闕図(プックォルド)
-恵村(ヘチョン)金学洙(キム・ハクス)
都城図(ドソンド)
-時代 : 1788年頃 
-形態 : 紙本に彩色した筆写本
-サイズ : 92.00X67.0cm 
-都城図は、李朝の首都であった漢城部(現在のソウル)の都城内を中心に描 かれた地図で、18世紀のソウル地図の傑作品のひとつ。
首善全図(スソンジョンド)
-時代 : 1840年代(金正浩製作)
-形態 : 木版本 
-サイズ : 83.0X65.0cm
-木版本として刊行した李朝時代の都城全体地図で、19世紀に描かれたもの。「首善(スソン)」とは、ソウルを意味する故事からきた言葉で、「首善全図」は「ソウル全土」という意味(宝物第863号)。
景福宮全図(キョンボックンジョンド):
-時代 : 李朝時代(18C)
-景福宮配置略図
景福宮図(キョンボックンド)
-時代 : 李朝時代 
-サイズ : 74.3X50.2cm
謙斎(キョムジェ)鄭[善攵](チョンソン・1676~1759)の景福宮図

謙斎(キョムジェ)鄭[善攵](チョンソン・1676~1759)の景福宮図

心田(シムジョン)安仲植(アンジュンシッ)による白岳春暁(ペガッチュンヒョ)の部分図

心田(シムジョン)安仲植(アンジュンシッ)による白岳春暁(ペガッチュンヒョ)の部分図

☆ 景福宮の全閣を昔の写真で (See the Royal Palace of Gyeongbokgung on Old Ph

1900年ソウルの様子と景福宮
1900年代初めのソウルの様子 
1900年代初めのソウルの様子 

1900年代初めのソウルの様子 

景福宮全景

光化門(クァンファムン)と世宗路(セジョンノ)
光化門と六曹官衙(ユッジョグァナ)

光化門と六曹官衙(ユッジョグァナ)

光化門前の侍衛隊(シウィデ−王を護衛した軍隊)

光化門前の侍衛隊(シウィデ−王を護衛した軍隊)

光化門の見える太平路(テピョンノ)通り 

光化門の見える太平路(テピョンノ)通り 

狛犬の上にのぼった子供

狛犬の上にのぼった子供


景福宮全閣の昔の様子
光化門(クァンファムン、正門:南門)<br>
御駕行次(オガヘンチャ)の正門。有名ですよね。

光化門(クァンファムン、正門:南門)
御駕行次(オガヘンチャ)の正門。有名ですよね。

建春門(コンチュンムン、東門)<br>
臣下がよく出入りした門。

建春門(コンチュンムン、東門)
臣下がよく出入りした門。

神武門(シンムムン、北門)<br>
王が祈雨祭(キウジェ−雨乞いの祭祀)を行う時や裏から出る際に出入りした門で、特別な場合にのみ開かれたという。

神武門(シンムムン、北門)
王が祈雨祭(キウジェ−雨乞いの祭祀)を行う時や裏から出る際に出入りした門で、特別な場合にのみ開かれたという。

迎秋門(ヨンチュムン、西門)<br>
臣下がよく出入りした門。

迎秋門(ヨンチュムン、西門)
臣下がよく出入りした門。

東十字閣 内面(トンシッチャガッ ネミョン)<br>
景福宮の東南側の宮殿を守る望楼の中から見た様子

東十字閣 内面(トンシッチャガッ ネミョン)
景福宮の東南側の宮殿を守る望楼の中から見た様子

東十字閣 外面(トンシッチャガッ ウェミョン)<br>
景福宮の東南側の宮殿を守る望楼の外から見た様子

東十字閣 外面(トンシッチャガッ ウェミョン)
景福宮の東南側の宮殿を守る望楼の外から見た様子

勤政殿(クンジョンジョン)<br>
景福宮の正殿。王の即位式や朝賀を受ける場所。勤政(クンジョン)とは、「マジメな者が民衆を治めることができる」という意味。

勤政殿(クンジョンジョン)
景福宮の正殿。王の即位式や朝賀を受ける場所。勤政(クンジョン)とは、「マジメな者が民衆を治めることができる」という意味。

勤政門(クンジョンムン)<br>
正殿(ジョンジョン)である勤政殿に入る正門

勤政門(クンジョンムン)
正殿(ジョンジョン)である勤政殿に入る正門

思政殿(サジョンジョン)<br>
王が政治を行う便殿(ピョンジョン)の中心となる建物で、「思政(サジョン)」とは、「天下の理知を深く考え政治を行え」という意味。

思政殿(サジョンジョン)
王が政治を行う便殿(ピョンジョン)の中心となる建物で、「思政(サジョン)」とは、「天下の理知を深く考え政治を行え」という意味。

思政門(サジョンムン)

思政門(サジョンムン)

万春殿(マンチュンジョン)<br>
王が政治を行う東側の便殿

万春殿(マンチュンジョン)
王が政治を行う東側の便殿

千秋殿(チョンチュジョン)<br>
王が政治を行う西側の便殿

千秋殿(チョンチュジョン)
王が政治を行う西側の便殿

康寧殿(カンニョンジョン)<br>
王の正寝(ジョンチム−表御殿)。「康寧」とは五福(長寿、富裕、健康、徳を好むこと、天命を全うすることの五つの福)のひとつからとったもの

康寧殿(カンニョンジョン)
王の正寝(ジョンチム−表御殿)。「康寧」とは五福(長寿、富裕、健康、徳を好むこと、天命を全うすることの五つの福)のひとつからとったもの

嚮五門(ヒャンオムン)<br>
寝殿に入る正門で、領議政(ヨンウィジョン−李朝時代の中央官職)でも許可なしではこの門からの出入り出来なかった。

嚮五門(ヒャンオムン)
寝殿に入る正門で、領議政(ヨンウィジョン−李朝時代の中央官職)でも許可なしではこの門からの出入り出来なかった。

延生殿(ヨンセンジョン)<br>
王の寝殿のうちの小寝(ソチム、小さな母屋)。「王は神の代わりに万物を治めることで、天地の運理に従って政治を行え」という意味

延生殿(ヨンセンジョン)
王の寝殿のうちの小寝(ソチム、小さな母屋)。「王は神の代わりに万物を治めることで、天地の運理に従って政治を行え」という意味

慶成殿(キョンソンジョン)<br>
王の寝殿のうち小寝(ソチム、小さな母屋)。春は万物が「生(生まれる)」であり、秋は万物が「成(育つ・実る)」という意味を込めている。

慶成殿(キョンソンジョン)
王の寝殿のうち小寝(ソチム、小さな母屋)。春は万物が「生(生まれる)」であり、秋は万物が「成(育つ・実る)」という意味を込めている。

交泰殿(キョテジョン)<br>
王妃の寝殿。王妃が息子を産み、王の後継者となるためにつけられた名前。

交泰殿(キョテジョン)
王妃の寝殿。王妃が息子を産み、王の後継者となるためにつけられた名前。

両儀門(ヤンウィムン)<br>
康寧殿から交泰殿に入る門。

両儀門(ヤンウィムン)
康寧殿から交泰殿に入る門。

慶会楼(キョンフェル)<br>
「慶会」とは「王と臣下が集まり、酒宴を催す場」という意味で、国の大きな慶事や外国使臣に接見する時に使用された。

慶会楼(キョンフェル)
「慶会」とは「王と臣下が集まり、酒宴を催す場」という意味で、国の大きな慶事や外国使臣に接見する時に使用された。

修政殿(スジョンジョン)<br>
王室の学問研究機関

修政殿(スジョンジョン)
王室の学問研究機関

興福殿(フンボッジョン)<br>
交泰殿に次ぐ重要な内殿として、交泰殿の裏庭のアミ山裏の広場に位置していた。

興福殿(フンボッジョン)
交泰殿に次ぐ重要な内殿として、交泰殿の裏庭のアミ山裏の広場に位置していた。

斉寿閤(チェスハッ)<br>
内殿(神社や寺院の内部で、神体または本尊を安置する最も奥の部分)にあたる。身分の高い女官の住居であり、慈慶殿(チャギョンジョン)の離れともいわれる場所。

斉寿閤(チェスハッ)
内殿(神社や寺院の内部で、神体または本尊を安置する最も奥の部分)にあたる。身分の高い女官の住居であり、慈慶殿(チャギョンジョン)の離れともいわれる場所。

万慶殿(マンギョンジョン)<br>
重要な内殿の全閣の一つ。

万慶殿(マンギョンジョン)
重要な内殿の全閣の一つ。

[王睿]源殿(ソンウォンジョン)<br>
歴代王の真影を奉安していた場所。1923年、日本人の寺である博文寺(ハンムンサ−現在の新羅ホテル)に移された。

[王睿]源殿(ソンウォンジョン)
歴代王の真影を奉安していた場所。1923年、日本人の寺である博文寺(ハンムンサ−現在の新羅ホテル)に移された。

香遠亭(ヒャンウォンジョン)<br>
高宗(コジョン、李朝第26代王)4年に造られた六角形の2階建て建物。暖房施設まで備えられた精巧な構造が有名。

香遠亭(ヒャンウォンジョン)
高宗(コジョン、李朝第26代王)4年に造られた六角形の2階建て建物。暖房施設まで備えられた精巧な構造が有名。

集玉斎 八隅亭(チボッジェ・パルジョン)<br>
書庫として使われていた建物。上下2階で構成されており、内部天井は八角形。

集玉斎 八隅亭(チボッジェ・パルジョン)
書庫として使われていた建物。上下2階で構成されており、内部天井は八角形。

隆文堂(ユンムンダン)<br>
中央に大庁(テチョン−母屋の部分と部屋の間にある広い板の間)を、その左右に部屋を造った構造の南方全閣。現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)内にあった。

隆文堂(ユンムンダン)
中央に大庁(テチョン−母屋の部分と部屋の間にある広い板の間)を、その左右に部屋を造った構造の南方全閣。現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)内にあった。

隆武堂(ユンムダン)<br>
中央に大庁を、その左右に部屋を造った構造の西方全閣。現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)内にあった。

隆武堂(ユンムダン)
中央に大庁を、その左右に部屋を造った構造の西方全閣。現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)内にあった。

以上で景福宮の企画写真展(1)をお届けしましたが、李朝時代の正殿だった景福宮の昔の様子はどうだったでしょうか?現在の様子と比べて見ればもっと面白いかと思います。それではパート2もご期待くださいね!勤政門前から、工事中の勤政殿をしばらく眺めているナビからお伝えしました。
景福宮企画写真展
日時 : 2001年10月26日~11月30日
場所 : 景福宮興礼門行閣
内容 : 景福宮の歴史と復元・整備に関する写真展
主催 : 文化財庁

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2001-12-03

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