400年前に始まった日韓善隣友好の歴史が今よみがえる!
こんにちは、ソウルナビです。皆様は「朝鮮通信使」という名前を聞いたことがありますでしょうか?朝鮮通信使とは江戸時代、当時の朝鮮から徳川幕府に派遣された外交使節のこと。その始まりは豊臣秀吉が起こした文禄・慶長の役の戦後処理と国交回復のため、李朝と徳川幕府との間で行われた外交交渉にありました。以来1811年までの200年の間に12回、当時の朝鮮から対馬、瀬戸内海、東海道を通って幕府のある江戸まで、朝鮮通信使が韓国と日本の間を往復しました。その第1回目の朝鮮通信使が送られたのが1607年のこと。それからちょうど400年たった2007年の4月15日、朝鮮通信使のソウル出発の模様が再現されました。今日はその朝鮮通信使の三使任命式と、行列の再現の模様をお伝えします。
任命式の次はお披露目。混み合う日曜日の仁寺洞へ。通信使一行が仁寺洞通りを練り歩きます。
先頭のナムサダンが踊りと音で盛り上げます。 正使もまわりに手を振って回りに応えます。それにしてもこの正使、実によく似合っています。正使のあとは副使が続きます。
終点の南仁寺ひろばに到着。最後に今回正使の役を勤めた国会議員のパク・ジン氏の挨拶。それから先頭を練り歩いたナムサダンの音と踊りが繰り広げられました。なんでも今日は釜山からやってきたそう。
いかがでしたでしょうか?400年前の外交使節、朝鮮通信使を現代によみがえらせたイベント。今この現在の仁寺洞から日本に向けて通信使が出発して行く~と思うとワクワクします。このあと通信使はGW頃釜山に向かい(釜山でも通信使のイベントが行われます)、さらに釜山から日本に向かい、最後は東京まで向かうそう。思えばこの400年の間、両国の間にはいろんなことがありました。でも変わらないのは日本と韓国はずっとお隣り同士であること。両国が生み出した善隣友好の象徴、江戸時代には通信使の通った日本各地で現地の文化人と交流、お祭りにも取り入れられるなど話題になったという朝鮮通信使が再び日韓善隣友好の礎となることを願っています。以上、朝鮮通信使のソウル出発を見届けたソウルナビでした。
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記事登録日:2007-04-27