TAKAの07年夏、家族のソウル&近郊の旅(2007.8.13~8.15)

「冬のソナタ」「チャングムの誓い」の二つのドラマに触発され、いずれは…と考えていた韓国への家族旅行が実現!

休みが決まらない
中学に進学を済ませた上の娘、小学4年生になった下の娘。それぞれに部活動や、課外活動習い事も加わり、7月に入っても詳細な活動日程が決まらず、加えて夏休みは交代制の受注産業で営業職の父親(私)は、顧客の動向を見極めてからの休暇決定となる現実。旅行にいけそうな日程が出てきたのは7月中旬に入ってから。8月13日からなら家族全員なんとか休めそうなことが判明。国内の旅行も考えてみたが、予約や移動がかなり厳しそう。「冬のソナタ」「チャングムの誓い」の二つのドラマに触発され、いずれは韓国旅行と考えていたものが実現しそうな気配に。前回のオランダ旅行があまり気に召さなかった様子の子供たちも、ドラマの影響か、行くことに同意。早速手配開始です。出発日まで一カ月を切るなか、「早い出発便+遅い帰国便+街中に近いホテル」を条件にネットで安いツアーから捜して行き、JTBに決定。残数わずかな中予約を取る。

ギリギリの計画
早速ガイドブックを購入。「地球の歩き方『ソウル』」と「わがまま歩き『韓国』」。今回の目的地以外のエリアが入る「わがまま歩き」は厚みもあり、やや携行に不便だが、前回のオランダ旅行でも使用しており使い勝手はよい。ただし最近のガイドブックの全体的傾向だが、ショッピングや飲食の情報が増え、観光や、具体的エリア情報などが脇に追いやられている傾向が強い。値段は別として、「観光編」と「ショッピング+飲食編」を分冊にしてもらえるとありがたい。また今回はうっかり小さな書店で奥付を見ずに購入してしまい、若干情報の古さに不便な点があった。(ソウルの地下鉄はどんどん伸びる)
ガイドブックはその他に韓国観光公社の東京支社で入手(無料)したものも役に立った。 ガイドブックや各種HPを見るたびに行きたいところは増えてゆく。はずせないのは「大長今テーマパーク」と「ナミソム」。施設の場合は営業時間(開館時間)も計算に入れないと。細かな移動はタクシーが便利そうだが、長い距離は鉄道にするか、バスにするか。できれば春川(チュンチョン)まで足を伸ばしたいが、ソウルに戻る最終便はetc。
結果、頭の中でできあがったタイムテーブルは、初日、ホテル到着後「大長今テーマパーク」。2日目、午前、「昌徳宮(チャンドックン)」、午後「ナミソム」+「春川」。最終日、「水原(スウォン)」+ソウルでお土産。
かなりギリギリだが、トラブルがなければ何とかなりそうだ。あとは成り行きに任せるしかない。

8月13日(月) 出国
午前10時のJAL便。ツアー扱いなので、集合は2時間前の8:00に第2ターミナル団体カウンター。京成電車の各駅と快速を乗り継ぎ約20分前に到着。航空券を受け取りチェックインの後、4階のハンバーガーショップで軽い朝食。出国審査へ向かう。上の娘が手荷物検査後、「パスポートが見当たらない」と訴えたが、親の予想通り自分のバッグに入っていた。2回目の海外旅行になる子供たちに、特に緊張はない。審査の後ゲートへ向かう。
定刻に搭乗開始。満席だったが特に問題なくドアがロックされる。が、飛び立てない。離陸の順番待ちで約20分、その場で待機。これで定刻に到着するのか? 不安もあったが航空ダイヤの方はその辺も織り込み済みのようで、ソウルには定刻に着陸した。機内サービスは、ランチボックス+ドリンクの配布と、免税品の販売が中心。個別モニター搭載の機材だったので、子供たちはそのゲームで遊んでいた。ちなみに子供二人と母親で窓側から3つ、一つ後列の通路側に私が座った。

韓国入国、ホテルへ
座席が後部だったこともあり、慌てて降りても仕方がないとゆっくり降機することに。入国審査は、最初に見た限り、それほど時間がかかりそうな気配ではなかった。列に並ぶ。ところがここで最初の失敗。並んだ列の窓口は一つしか開いていない。他の列は2つずつ開いている。進み具合が隣の列より遅いことに気付いたときには、並び直すには遅すぎて…。なおかつ、個別の審査にかかる時間がかなり長い。自分の番になって、窓口に着いたとき女性係官にクレームを言ったが全く無視していただきました。
預け入れ荷物は総てターンテーブルの上。荷物の方が早かったことは過去の海外旅行でも未経験だ。急いで両替を済ませコンコースへ向かう。一回り見まわすと、ツアー名を表示して待つ係員を発見。最初にコンコースに入った人から30分くらい遅かったとのこと。 この便の送迎対象者は15人くらい。私達の家族4人を除いて全員がウェスティンホテル泊。送迎のバスは道順の関係か、或いはツアー代金の関係かそちらから先に回る。(※帰国後、パンフレットを確認してこのホテルが優先送迎ホテルに指定されていることが初めてわかった。)ウェスティンホテル到着時「10分ほど待ってください」と声をかけ、係員が降りていきました。待つこと30分。悪びれることもなく戻ってきてバスを出す係員。この時点で予定の最初が狂う。市内から「大長今テーマパーク」までのタクシーの概算料金と所用時間を尋ねると参考にもならない答えが返ってきた。さらに
「時間的にこれからでは間に合うはずがない。子供と一緒ならロッテワールドへ行けば?」
それはこちらが決めることだ。最終日の予定を繰り上げて、今日はまず水原に行くことに。
我々のホテルに到着。「ホテルクラウン・インサドン」、時刻は3時を回っていた。ちなみに飛行機が仁川(インチョン)空港に到着したのが12:30。空港からホテルまでのバスの所用時間は(正味)1時間だ。

予定変更
チェックインの後部屋に荷物を放りこむと、すぐに水原に向かうことに。水原華城は基本的に時間制限がない。地下鉄の駅に向かう。1号線「鍾路3街」。
水原への鉄道便は地下鉄と国鉄の選択肢がある。ソウル駅からの場合(料金は別として)所用時間では国鉄の「ムグンファ」か「セマウル」、運行間隔では地下鉄だ。翌日行く予定のナミソムのこともあり、予行演習も兼ねて国鉄を選択、ソウル駅へ向かう。
乗車券売り場窓口で、一番早い列車を案内されたが時刻を見ると2分後。初めての上に子供連れ。やむなく30分後の「ムグンファ」を購入。空港到着後、かなり緊張の連続でイライラもたまっていたが、ひとまずほっとする。下の娘が隣接のショッピングモールの入り口にある、アクセサリーのワゴンに興味津々。
子供たちを妻に任せ、私はたばこを吸いに表へ。たばこをふかしている私の元へ40歳前後の男性がやってくる。身なりはさほど悪くない。おもむろに手に握られた硬貨を見せた。物乞いだ。首を横に振ると去っていった。
中に戻り、改めて乗車券とガイドブックをつけ合わせ、必要事項を確認する。下の子はアクセサリーの購入は諦めたようだ。彼女の中で値段が折り合わなかったらしい。売店でミネラルウォーターとビールを購入。ベンチで休むこと数分の後、電光板の乗車する列車の表示の前に赤ランプがついた。改札開始だ。
自動改札に乗車券を通しホームへ向かう。隣のホームにはKTXが入っている。その前で少女が駅員と話をしている。ちょっと映画のような光景。ホームはヨーロッパ様式の低いタイプ。我々は指定の号車を捜し乗りこんだ。列車は釜山行きだ。
座席を向かい合わせに直す。座席下のペダルを踏んで回せばよい。座席の幅は、日本の在来線特急と変わらないが、車体が広い分通路が広い。席に着き売店で買ったビールを開ける。緊張が解け「韓国が自分の手中に入った」ような気になる。前回のオランダ良好のときも同じだが、その国で自分の意思で移動が可能なことが(身体で)理解できると、精神的にかなり落ち着く。列車は定刻発車。運行速度はかなり速い。30分の旅を楽しむ。

水原(スウォン)
駅前の様子はHPで観てはいたが予想を超えて開けたイメージだ。階段を降りた目の前に、模範・一般それぞれのタクシー乗り場がある。若干不安もあったが一般を選択。運転手にガイドブックを見せる。運転手はちょっと困惑した表情で「??門」といいながらガイドブックの門の写真を指差した。華城の何処に車を着けるか知りたかったらしい。何処でもよい。近くまで行けば何とかなる。運転手にうなずいて見せる。北西砲楼付近に車は着いた。
曇り空、時に小雨交じりの中、城壁に沿って歩く。緩やかな丘の稜線に沿って建てられた城壁は万里の長城のミニチュアを思わせるが、木造の楼閣が多いことや、楼閣や門の形にあまり規則性がないことがやはり独特な感を持たせてくれる。月夜ならば韓国版「荒城の月」といった風情になろう。城壁の外と内の風景も異なり、内側に古さを感じる。
実は帰国後、大いなる反省を強いられたのがこの水原である。出発前「田舎の方を見たい」という妻の希望を元に郊外を中心に韓国内の予定を立てたが、「ソウルの出城」的なイメージでしか捉えていなかった。実際ガイドブックの情報も極めて断片的で、中心に行宮(宮殿)があり、周囲を囲む城壁と楼閣がセットになっていることは、帰国後初めて知った。次の機会があればぜひ「水原の全容」を確かめてみたい。
「長安門」を過ぎ「華紅門」につく。妻が水彩画の題材用に写真に収める。
子供たち二人は少し飽きてきたのか退屈そうな様子。付近で空車のタクシーも見かけたが、今度は城壁の外側をたどって歩くことに。外側は公園として整備されている。立ち寄ったトイレもとても清潔で一安心。城壁は外側から観るほうがが美しい。日本と時差はないが、東京より西に位置するため日の暮れるのも遅い。午後七時を回ってもかなり明るい。「長安門」前でタクシーを拾い駅へ向かう。
帰りは地下鉄を利用。地下鉄といっても京釜線の脇を複々線で乗り入れる構造で、漢江(ハンガン)を渡るまでは地上を走る。川面を渡る車窓からのソウルの夜景が綺麗だ。


明洞(ミョンドン)夕食
夕食は「ビビンバ」ということになり、ガイドブックを頼りに明洞の「古宮」へ向かう。20時を回って子連れの夕食には遅めの時刻だが、ソウルの飲食店のほとんどが24時頃まで開いている。店はさほど混み合ってる様子もないが二階に通された。
大人用に「ビビンバ」を二つ。上の娘に「石焼ビビンバ」を一つ。下の娘は取り分けで。ビールと「韓酒(マッコリ)」も頼む。子供用の飲み物も考えたが、出されたお茶が美味しく、それで良しということに。
暫くすると「もやしスープ」が注文をしない子供を含め各人にと、小鉢が5つくらい並ぶ。目を引いたのがグレーの豆腐のようなもの。ガイドブックで観たものだ。団栗の実から作るもので、ほのかに甘くとても美味しい。キムチは定番だ。本題の「ビビンバ」はコチュジャンを和えた挽肉が口に残る辛さで、早くも上の娘が「放棄」を宣言。私の器にやってきた。味は問題なかったのだが、辛さ二倍の私の「ビビンバ」は結構厳しい。口に残る辛さは韓酒でも消ない。一番さめるのが「もやしスープ」だった。
ここで飲んだ「韓酒(マッコリ)」は、一般的な低度数のもの。味は乳酸飲料といってよく、妻と二人で一つを頼んだが、用より先にお腹が膨れていく感じだ。


徒歩、ホテルへ
夜の街をぶらつく…、といっても、仁寺洞(インサドン)のホテルへ向かってだが。
ショップの並ぶ通りを歩きながら最初に足を止めたのが「クルタレ」のお店の前。「ソウルナビ」の「仁寺洞屋台めぐり」をプリントアウトして持っていたことに加え、出発の二日前テレビの韓国紹介番組で登場していたので、直に解った。こちら(明洞)のものは支店?それともこちらが本店?
私達家族四人と、韓国人女性とアメリカ(?)人男性が足を止めたところで直に実演が始まった。作業(実演)をする若いお兄さんと別の仕事をしていたお兄さんが倍・倍に数をカウント。最初に日本語、次に英語、生地を折り返す、リズミカルにこの行為が繰り返される。曖昧な記憶だが最終カウントは「一万・・・」。
若いカップルは去っていったが、我が家では上の娘が自分用に一箱、妻が土産用に二箱購入。上の娘の分は、出来立てを見てる前でパッケージしてくれた。
「英語なら英語だけ、日本語なら日本語だけだとやりやすいんだけど、両方混じると難しい」
実演のお兄さんのコメントでした。
北へ向かう。清渓川畔に出る。橋の下にある絵(図案)に目が止まった。李朝時代の装束らしい。この辺の情報は、「韓国観光公社」の無料ガイドブックにくわしい。帰国後じっくり読むことにして、橋を渡る。すると目の前の路上に現れたのはピアノの鍵盤。特に意味はなさそうだが、子供たちが喜んでその上を歩いた。
オフィスビルの合間を縫うように歩きながら、ホテルへ向かう。地図が離せない。
「鍾路(チョンノ)」へ出た。屋台が目に付く。「玉子のキンパブ」発見。ビビンバをほとんど口にできなかった下の娘の夕食代わりに購入。一本売りかと思い一本を手に取り、下の娘に持たせると、屋台のおばさんが慌てて残りの二本にはさみを入れ、一口サイズに切ってくれる。シート一枚につき三本が乗っていた。三本売りだった。
酢飯ではない海苔巻(玉子巻き)は、すしと言うよりおにぎりのよう。ただしおにぎりのように塩気の多い具材は入っていないようだ。こちらは娘にも好評だった。
「タブコル公園」と、道路をまたぐように建つ「楽園商街」がホテルへの道しるべ。脇道を方向を頼りに進むとそこは「餅屋街」。色とりどりの餅が並ぶ。そしてホテルへ向け道を折れると海鮮料理の店が数店軒を連ねている。向かいがホテルだ。


「ホテルクラウン・インサドン」
ホテル(部屋)にはこだわらないのが我が家の旅行のパターンだ。これは国内でも同じ。必要且つ十分な設備があればよい。それよりむしろ立地の方が問題で、(街中での)夕食後、ホテルへの移動に高額な料金がかかるほうが無駄なような気がする。
今回の選択もそのような条件からで、結果満足の行くものだった。四人家族、ツインが二部屋。妻と上の娘、私と下の娘に別れた。同じフロアだが、部屋はやや離れていて、妻の側はシンプルな内装の角部屋(窓が二つ)、私のほうはやや派手な内装(装飾)の部屋(窓一つ)。子供たち曰く「お姫様ベッド」。
早朝から動いてかなり眠かったが、入浴を済ませてからベッドについた。ふたりとも暴睡。翌朝は7時に出発だ。
翌朝は6時頃目が覚めた。2泊3日の行程から、やはりこの日がメインになる。テレビを付け、NHK・BSにチャンネルを合わせた。暫くの後子供を起こし支度の催促。昨夜の残りのキンパブを食べさせる。6時45分。ドアがノックされる。妻が絵画素材用の撮影を兼ねて、散歩に出た。
旅先での散歩は日課に近い。前回のオランダのときも、朝のアムステルダムを歩いた。今回は残念ながら、寝入っている娘を起こすのも可愛そうで、ギリギリの時刻まで寝かせておいた。


朝食
妻が戻り、そのまま出発する。「参鶏湯(サムゲタン)」も考えたが、漢方薬の苦手な妻が敬遠。この時間に開いている近い店、と言うことで「ヘジャングッ」に挑戦。「清進屋(チョンジノッ)」へ行くことに。歩いて10分弱だろう。朝の街歩きは気持ちがよい。が、空は生憎の曇り。暑すぎるのも困り物だが、できれば傘のお世話にはなりたくない。地図を頼りに店の近くまで来た。「清進屋」の文字を探すが見つからない…はずで、看板はハングル表記のみ。ガイドブックの写真とつけ合わせて、目の前の店が目的の店と判明。
ドアボーイというわけでもなさそうだが、入り口椅子を出し腰掛けていたオジチャンがドアを開けてくれる。落ち着いたと言うより活気のある雰囲気の店内。七割方のテーブルが埋まっている。メニューは壁に掲示(確かカタカナの表記も)。大人二人、子供二人の四人連れだが、注文は二つ。特にいやがられる様子もなく、丼が二つに付け合せのキムチ(カクテキ)が直ぐに出てくる。
臭みもくどさもなく、とてもあっさり。上に乗るモツはおそらくセンマイだろう。表皮の黒い椎茸を刻んだように見える。これがとても美味しい。ソンジも思っていたような(レバのような)味ではなかったが、貧血気味の人にもよさそうなことは確かだろう。粉唐辛子と塩がテーブル上にあったが、使わずに食べた。子供たちも親からの取り分けで食べる。


コンビニと地下鉄
地下鉄1号線「鐘閣(チョンガク)」駅へ向かう。入り口前にコンビニ(韓国系)があり覗くことに。特に(品揃え的にも)日本との違いは感じられない。下の娘は好物の「カッパえびせん」ハングルパッケージを購入。地下に下りた。
目的駅は「佳陵(カノン)」(旧議政府北)駅。この往復の車内ではソウル地下鉄名物に出会った。
最初は古新聞の回収。オジサン二人組みで網棚の新聞を回収しながら車内を進んで行く。乗客も慣れたもので、読み終えた新聞は手渡していた。次がキャンディ売り。これは知的障害者らしき若い男性。市販のキャンディ(個別包装)の袋から一つずつ取り出し、首から下げた証明書を見せながら半ば押しつけるように乗客一人一人を回って行く(物乞いに近い)。私の目の届く範囲で購入者はゼロ。
帰路では靴下売りのオジサン。車両中央にやってくると引いてきたカートを置き口上と共に商品を見せる。そしてその車両の乗客一人一人に勧めて行く。これが地下鉄車内販売の基本スタイル。こちらも購入者ゼロ。次がバンタナ。こちらはオバチャンで、数名の高齢女性が購入。ただし、購入者の一人がつり銭をもらう前に下車駅に到着してしまい、何やらホームから叫んでいる。無常にも地下鉄のドアはしまり…。販売者のオバチャンは、「折り返してつり銭を届けるからで待っていろ」とでも言っていたようだが…結末は不明。最後は傘売りのオジサン。こちらは降ったり止んだりの天候でよく売れていた。

「大長今テーマパーク」へ

駅を出てバス停を捜す。駅前にそれらしきものは見当たらないが、「歩道橋を渡ったところ」というHPの記事を頼りに大通りを捜すとそれは見つかった。時刻表通りなら15分くらいでバスは来るはず。パーク開園の10時には十分だ。バスを待つ。路線番号は30番。
このバス停から30番のバスは二系統あり、一つは目的地に行かないことは分かっていた。最初にきた30番のバスの運転手にテーマパークホームパージのプリントアウトを見せると、顔の前で手を横に振った。二台目の30番のバスも結果は同じ。だが運転手サンが何やら言いた気に、運転席前のボードを指差していた。経由地を示すボードらしく、それのない30番のバスに乗ればいいらしい。
そこへその様子を見ていたオジサンがこちらに。二台目のバスが来る前、バス停前で乗客を下ろしたタクシーの運転手で、乗車を誘われたがそのときは断った運転手だ。場所柄我々の目的地は理解しているようで、様子を見ていたようだ。「一万二千ウォン」と交渉を持ちかけてくる。「海外の街中で日本語で離しかけてくる人間には要注意」これは世界共通の旅の心得だ。気をつけなければ行けないパターン。ただ人は悪相でもなく、人数もこちらが多い。事前に調べた駅からパークまでのタクシー料金は「約一万ウォン」だ。
「一万!」
というと渋い顔をした。
「一万一千」
交渉成立。千ウォン=140円の話しだが、向こうの言い値でないことがこの場合重要。
車はバス停の先10メートルくらいの路地に止めてあった。出発。メーターは作動させない。この状態を日本では昔「エントツ」といった。空車表示を筒状の紙で覆って走るためだ。
車窓の景色は直に郊外のものに変わった。日本で言う「里山」に近い緩やかな丘陵地帯に入って行く。畑の緑も丘の緑も、車の通行帯が違うことを除けば、日本の何処かに居るように思わせてくれる。牛舎も見えホルスタインも居る。空気の臭いも有機肥料を使っている畑の臭いだ。20分弱でパークに到着した。
約束通りの金額を支払うと車は戻っていった。ちなみにパークからの帰路メーターを回したタクシーの料金は13,000ウォンを超えていた。

パークにて
開園の10時より幾分早かったが、すんなり入ることが出来た。入り口付近の売店はまだ準備中だったが、声をかけてくる。時間にはアバウトな様子。パーク内は基本的によくできたセット。テレビドラマを見ている限り気にならないが、実在の王宮より、スケールダウンしてあるようである。順を回る追って観て回る。建物そのものより、ここでよくあれだけ撮影したものだと感心してしまう。限られたスペースなので、親も子も緊張感が解けるのがありがたい。街歩きも楽しいが、特に子連れの場合、親子ともども緊張を強いられるのも事実だ。 順を追って歩く。子供たちのメインイベント。チャングムの衣装(仮装)に挑戦。料金(5,000ウォン)を支払ってチケットを購入。衣装を選び着替えさせてもらう。上の娘は医女の衣装を選択。下の娘は…残念ながらサイズの関係で選択の余地はなく女官見習の衣装を着た。二人の後を追うように、日本人が次々やってくる。オプショナルツアーや、現地ツアーの観光客が到着し、追いついてきたようだ。衣装を身に着けるのはほとんど女性で、一人の男性が武官の衣装で現れると、写真撮影用のモデルに引っ張りだこになっている様子がおかしかった。
残りのエリアを一回りして入り口に戻る。途中駐車場に止まっていたタクシーに声をかけると、乗車を断られた。予約か貸切の車らしい。事務所でバスの時刻を尋ねたが、タクシーも呼んでもらえるということなので、タクシーを選択。到着までの間、事務所内にかけさせてもらった。


「加平(ガピョン)」へ
「清涼里(チャンニャンニ)」には昼前に着いた。11:45の列車に間に十分間に合う。乗車券の売り場に並ぶ。行き先を告げると「スタンダップオンリー」と告げられる。指定券は完売。立ち席券のみだ。その旨を家族に告げ顔を見回す。ただ一人下の娘が異を唱えた。「ネクスト・トレイン」窓口の女性に告げた。
出発前の予定では、この日の午前中は見学時間の決まっている「昌徳宮(チャンドックン)」見学で、11:45発のムグンファのチケットは事前に購入しておきたかったのだが、予定を変更したため、事前購入は諦めた。昼食も車中で済ませれば時間が稼げると考えていたがいたしかたない。次便までは1時間、駅前に出て昼食に。本場(?)の「ロッテリア」を覗いてみることに。
店内は母子連れのグループで混雑しており、テーブルは一つだけ空いていた。テーブルを確保してから二人ずつ注文することにする。表の看板以外特に日本との違いはないが、カウンターの店員サンとのやり取りが(英語)がスムーズに行かず、別の店員と何やら「自分の英語は…」と話している雰囲気だったのがおかしい。私と下の娘の分を無事注文。妻と上の娘も無事注文できたようだ。
清涼里の駅舎はロッテデパートとつながっている。時間の関係で中には入れなかったが、外から見る限りデパートというよりは日本の「イトーヨーカドー」といった感じだ。
売店でビールを購入し改札開始を待つ。人が多い。
改札を終えホームに下りて行くと、隣のホームから、二三十人の軍服の若者が上がってきた。軍隊も夏休みなのだろうか。乗車券を片手に座席を捜すと、最後尾車両の最後尾の四つだった。
ここでちょっとしたトラブル。座席の背もたれの後ろにオジサン(50歳くらい)が、座席と壁の間に入りこむようにして立っている。立ち席乗車券の乗客らしいことは直に分かったが妻と下の娘を頭から覗きこむような位置どりに、二人は当然落ち着かない。但し相手に悪意がある風でもなく、これが韓国スタイルと言われてしまえばそれまでだ。列車は発車。そのオジサン、直に空席を見つけて移動したが、次の駅でその席の乗客が来るとまた戻ってきた。
列車は山間へと入って行く。線路は単線。電化されていないせいか、同じムグンファでも昨日のそれより遥かに遅い。曇り空が恨めしいが、列車のたびは悪くない。途中小さな駅をいくつか通過し、上り列車とすれ違いながら京春線をゆく。川沿いになると特に景色が美しい。「清平(チャピョン)」に到着。降りる人が多い。大半が若いカップル。手にはお土産のような箱?。新婚サンの里帰りの季節なのか?。雲行きが怪しい。
定刻に加平に到着。ホームは一つ。階段はなくスロープを下り上りの線路を横切ると改札口だ。かなりの乗客がここで降りた。若者のグループが多い。駅舎内は文字の書かれた短冊のような色紙が天井から一面に釣られている。七夕を想像する。駅前の乗り場からタクシーでナミソム(船着場)へ向かった。

「南怡島(ナミソム)」
南怡島は韓国でも人気の観光地らしい。船着場周辺には大きな駐車場とそれを囲むように建つみやげ物店や食堂が並ぶ。日本の地方の観光地のような光景だ。突き当たりに「入島料」の窓口がある。乗船券ではないところが何やらおかしい。この日は大型船1隻と小型船(100人乗り)2隻が往復していた。川面は霧が深く対岸(南怡島)は見えない。船が出るのか心配でもあったが杞憂に終わった。行きは小型船。乗船の頃から雨が本格的になってきた。船内にはビニールガッパを着た韓国人らしい家族連れが何組か。約10分ほどで到着する。
ここで下の娘の大好きな自転車を借りる予定だったが、雨がそれを許してくれそうもない。徒歩では回りきる時間が…。結局カートを選択。
このガイド(運転手)付き電動カート、日本ではゴルフ場などで見かけるものを改造したようなものだ。乗客は四人まで乗れる。料金は一台当たり、コースによって3万、4万、5万ウォン。ドラマ「冬のソナタ」のロケ地を中心に島内を回ってくれる。迷わず5万ウォンのスペシャルコースを頼む。実は今回の旅行の中で一番高額な出費となったのが、このカート代とこの日の夕食代。但し日本の物価からするとやはり安い。一人あたり2,000円を切る値段だ。タクシーに乗る場合でも、4人家族という構成が威力を発揮した。
流暢までは行かないがそこそこ日本語のできるお兄さん(ちょっとカッコよさげ)が運転手兼ガイドだ。若いお兄さんお姉さんが大好きな下の娘がその隣に、残りは後席に乗車。 カートは島内の要所を回りながら、冬のソナタの各撮影ポイント(看板がある)で停車、お兄さんはその都度カメラのシャッターを押してくれる。季節違いと、人の多さにドラマを想像するのはやや困難な状況ではあったが、島内は美しく整備され、保養には持って来い。それぞれの場所で、移動を則されるようなこともない。所用時間に関してはかなりアバウトなようだ。
約一時間程で島内を一周して船着場前に戻った。ただ「ユジンの乗った倒木」を見ていなかった。コース外か、あるいは何らかの理由でもう存在しないのか。念のために(日本語)たずねてみると、意図は伝わったようだが場所を確認するため仲間内と何やら話をしている。場所だけ教えてもらえれば歩いて行くつもりだったが、お兄さんが再び乗車を求めた。
実際倒木は、船着場からかなり離れた場所(カートはそのすぐ側を通りながら通過してしまった)にあった。


バス
このあと「春川(チュンチョン)」にもと欲張った予定を立てていたが、辛味の苦手な二人の娘に「ダッカルビ」は難しそうだ。ハードな移動で疲れも感じていたし、ソウルに戻って夕食にすることに。家族に移動手段を問うと、下の娘が「バス」を主張。来るまでの列車での頭の上のオジサンが気に入らないらしい。逆に上の娘はやや気乗りしない様子(乗り物酔いの不安)だが、何事も体験ということで。
船を下り駐車場内を少し探すと、数台のタクシーが列をなして停車していた。先頭の車に乗りこみ「バスストップ」と継げると理解した様子で車を出してくれた。
加平のバスターミナルは日本の地方の農協のようなたてもので、周囲も平屋の建物が多い。券売窓口は一つ、ベンチには結構な人の数で空席はあまりない。「セオゥル」と行き先を告げ子供(上の娘)の年齢を説明の上人数分の乗車券を出してもらう。乗り場に向かうが発着場所がわからない。忙しそうな係の女性が一人いたので、隙を見てチケットを差し出すと身振りで場所を教えてくれた。その空きに売店でビールを購入。
バスは10分程度でやってきた。運転手に乗車券を見せて乗車。座席指定ではないらしい。最後尾が4列(日本のバスはほとんど5列だが)の連続シートが空いていたのでそこに陣取る。ビニールレザー張りのシートの座り心地は…やや固め。
基本的に韓国の自動車(バスもタクシーも)の運転は荒っぽい。バスも結構揺れる。爆走とでも表現したらよさそうな走行約1時間で、バスはソウル東ターミナルについた。バスターミナルはかなり巨大だ。地下鉄を乗り継ぎホテルへ向かった。

「辛氏火爐」
夕食へ出かける。20時を回っており、徒歩圏内+子供が食べられるという条件から焼肉に決定。ガイドブックから「辛氏火爐」に決定する。場所は朝食を食べた「清進屋」のそばだ。路地を入ったところにあり幾分心配したが店はすぐに見つかった。店内は幾分込み合っていたようだが、すぐに空いたテーブルに案内される。コ洒落た雰囲気の居酒屋といった店内、テーブル間隔はゆったりしている。
ここのメニューは3種類の肉を組み合わせたセットメニューが特徴。豚肉と牛カルビ+(何だか忘れた)のセットメニューを注文。3人前扱いだという。
料理バサミ片手に、お姉さんが焼いてくれるのはありがたいが、ペースが速く食べるのが追いつかない(韓流と言ってしまえばそれまでだが…)。更に鉄板近くにいた上の娘が結構なペースで食べるので…。親の口に入った量は…。但し肉そのものの質は大変よく、特に豚の三枚肉は美味しかった。ソウル最後の晩餐である。会計時に子供たちは店オリジナルのメモ用紙(貼ってはがせるタイプ)を一つずつもらっていた。下手に買ったものより楽しいお土産。

「北村(ポクチョン)」へ

最終日、午後には帰国。今日のメインは「昌徳宮(チャンドックン)」。朝一番のガイドツアーしか利用できない。パンとコーヒーが恋しくなった私と妻は、適当なカフェを探すが見当たらない。休日(光復節)のせいかもしれない。仕方なくマクドナルドで朝食を済ます。
店を出てとりあえず「光化門」を目指して歩く。「世宗路」の出るあたりから警官(機動隊)とその車両がやたらと目に付く。結果としてはさほど気にする必要もなかったようだが、やはり日本人であることと、その過去を意識せざるを得ない。
「光化門」は生憎工事中のようで、通り側は工事用の鉄板で囲われていた。更に少し歩いたところで子供たちが「タクシー」要求。地図で乗車方向を確かめた後タクシーを拾う。ガイドブックの地図を差し出しながら日本語で「中央高校」と告げると、運転手のオジサンは理解してくれた。ただ、当たりの道には不案内らしく、カーナビに中央高校を呼び出して登録する。車が方向転換。このときは不思議に思ったが、地下鉄「安国」駅付近から中央高校へ入って行く道が南下方向の一方通行であったためと後に理解できた。基本的にこの時点での我々の目的地は「北村韓屋村」ではあったが、地図で見る限り中央高校のすぐそばで、かつ運転手サンに説明できる(自信のある)唯一の目標地点が中央高校だった。
「中央高校?」
運転手のオジサンが日本語で尋ねてきた。日本人観光客の家族連れが、なぜ高校に用があるのか不思議に思ったらしい。
「冬のソナタ」
と答えを返すと、
「オオ、冬のソナタ」といいながらうなずいていた。
カーナビのガイド通りに車は路地に入るべく右折した。前方の景色がいきなり変わる。「北村韓屋村」だ。現在位置が把握できそうなので車を降りようと考えた矢先、進行ができなくなる。狭い路地の前方で住宅工事の車両が停止していた。これ幸いにここで降車。運転手のオジサンは親切に「中央高校」の方向を指差してくれ、車は後進で戻ってい行った。
「北村韓屋村」は文字通り韓国式住宅の並ぶ美しい町並みのエリアだ。ソウルの高台に位置しているため道筋のほとんどが坂が、家々いの美しさをより高めている。今回の旅行の中で「時間が足りない」と痛切に感じたのはこの「北村韓屋村」。さらに初日の「水原」はほとんど触りの部分しか観ていなかったことが帰国後の分かり、口惜しさを覚えた。
鉤辻を曲がり歩みを進める。韓国式住宅の家並みが途切れたあたりで後ろを歩いていた妻から「○○(下の娘)が、ここユジンさんの家だって言ってるよ」と声がかかる。慌しい旅行準備(情報収拾)の中でドラマのロケで使われたユジンの家がソウルにあることまでは把握していたが、このエリアにあることは全く知らなかった。半信半疑で家の前まで行くと一人のオジさんがいた。客引きのタクシーの運転手のように見えたが、近くに車がある様子はない。
「ここがユジンの家だよ」
オジさんが説明を始めた。確かにドラマの家がそこにあった。
実はこのオジさん中央高校前の土産物屋さん。「冬のソナタ」関係のグッズを売っている。校門の前で家族の写真のシャッターを押してくれた後、「お茶でも飲んで」と勧めてくれたが(勿論商売半分)昌徳宮の時間を理由に辞退申し上げた。


ここは何?
「昌徳宮」方向へ坂道を下る。韓国式住宅街は右手になるが、この道からは屋根が見える程度。通りにはまばらに食料品店やクリーニング店などが点在している。
上の娘が腹痛を訴えた。トイレを探す。暫く道を下ったところに韓国式建築の建物を発見。表には看板が出ているが、内容は不明。「ビルや公共施設のトイレは誰でも利用可」との表記を頼りにトイレを借りるべく中に入ってみる。入り口は開け放たれており、入るとすぐに小さな中庭に迎えられる。建物自体比較的新しいもののようだ。トイレは入り口脇にあり声をかけようと人を探すが見当たらない。そのまま借用することにする。一つの部屋の入り口が空いていた。中は8畳程度の板の間で、テーブルの上には何か制作物のための用具が置いてある。このエリア内に数カ所ある体験工房のような施設の一つのようだ。子供たちのためにも、何か一つ二つ体験的なものを旅程に組み込みたかったが、時間と情報の不足のなか、今回はかなわなかった。

「昌徳宮(チャンドックン)」
ソウルに現存する総ての王宮を観て回りたいと思うが、子供たちからの苦情と悲鳴が聞こえてきそうだ。一つに絞るとやはり世界遺産の「昌徳宮」になる。
入場券を購入。今回一番不安だったのが、人数制限による入場不可という事態。次の回になってしまうと、ホテルの集合時間に間に合わなくなる可能性があったが杞憂に終わった。入場券売り場の向かいに売店(ミュージアムショップ)があり、入場開始までの時間をつぶす。手ごろなお土産から書籍、陶器の香炉まで販売していたが比較的しっかりした物が多い品揃えだ。
敦化門前には既に沢山の人。日本語ガイドのツアーなのでほとんどが日本人ということになる。入場が開始される。この日は人数が多かったようで、2班編成。後ろの組に入る。 王宮内は中国(北京)の紫禁城のように直線的な建物は位置ではない。ランダムな配置の建物を回廊で結んであるといったイメージだ。過分な装飾も少なく、実用美の集大成といった雰囲気で好感が持てる。但し敷地は広い。配られたパンフレットを片手に地図で現在置を確認しながら進む。それぞれの建物も印象的だが、階級表示のされた石の広場が当時の政治システムを想像させる。またガイドツアーの休憩地となる池のほとりは「チャングムの誓い」のロケ場所、美しさと共にドラマのシーンを思い起こさせてくれるポイントだ。時間的都合がつけば、木曜日の自由散策でもう一度訪れてみたい。  出口付近にも別のミュージアムショップがあり私以外はまたお買い物。もっともこのあとは特に予定がなく昼食とショッピング、そして定刻までにホテルに戻ればよい。


免税店
時間に若干の余裕がありそうなので、タクシーを拾い免税店に。特に買い物の予定はなかったがツアーのおまけが出るのでそれ目当てだ。残念ながらパンフレット掲載の「アニメ版チャングムのストラップ」はもらうことができなかった。買い物特典もあったのでここでキムチを購入。多少割高な買い物になったが、いずれ購入の予定だったのでここで購入。帰国日空港受け取りも出来るようだが、当日午後の便ということでその場で保冷剤を入れ包装してもらう。このときはこのキムチが元で手荷物検査に引っかかることは全く想像できなかったが。
受付で特典の韓流スターのクリアファイルをもらい外に出る。タクシーで仁寺洞に向かうが、途中入ろうとした路地に人だかり。複光節の集会か何からしい。揃いのTシャツを着た集団が道をふさいでいる。Uターン。

「仁寺洞(インサドン)」
12時前の仁寺洞はそれなりの人出。入り口(北側)で車を降りた。下の娘がお友達に配るコマかなお土産の調達がメイン。小雨が降ったり止んだ入りの天候で、店の人達が表のワゴンにシートを掛けたり引っ込めたりの状況だ。
小柄のせいもあるのか、小さな下の娘が商品を店員に差し出し、自ら財布を空け支払いをしようとすると、少し驚いていた店員もいたが、おおむね親切である。ほとんどの店で数字(金額)程度の日本語は問題なく通じるらしい。仁寺洞のお店ではストラップや飾り結びのついた小物袋、扇子や団扇、スプーンや箸、レターセットなど、比較的安価な韓国らしい小物が手に入る。下の娘は財布の残りと渡す人数を比べながら、熱心に選んでいた。 休息を兼ねて韓国茶を体験することに。店を探す。TVでも紹介されていたその店「チルシル」はすぐに見つかった。メニューを見ながらお茶を選ぶのだが、なかなか難しい。各人が一つずつ重複を避けながら選ぶ。私はどうせならという冒険心から棗の入ったホットタイプ。最初の飲み口はよいのだが、その渋さは最後に来るほど重くなる。身体にはよさそうだが量は半分で良いというのが素直な感想。お茶には一つずつお菓子(和菓子風)が選択できる。こちらの選択権は子供らに譲った。
ショッピングの再開。昼食はお腹の空いたものが各自周囲の屋台で済ませることに。
最初に手にした屋台メニューは「プールパン」。HPで観た印象よりかなり小ぶりだ。皮のモチモチした雰囲気はたこ焼きのそれで中は白餡。ともかく熱い。次の「ハッパ」は奮発してスペシャルを購入。ソーセージ入り海苔巻さつま揚げといったところか。子供はポッキ(カルメ焼きの型抜き?)を購入したが…うまく抜けなかったようで。
下の娘のショッピングも終了した(所持金を遣いきった)ようで、ホテルに戻ることに。


「空港1」
集合時刻には早かったがロビーには既に迎えの係員が到着していた。ホテルに預けておいたスーツケースに雑多な購入品を詰める。渋滞の心配もあり子供たちにトイレだけは済ませるように指示。マイクロバスに乗りこんだ。
市内はパレードが始まっていた。大通りの片側が規制されている。期せずしてパレードの車窓見学となった。日本仁としては複雑な思いに駆られる光景でもある。途中二個所のホテルで帰国者をピックアップの後、「仁川空港」へ向かうはずだが、バスは「金浦空港」へ向かっていた。運転手の勘違いらしくツアーの係員が文句を言っている。「金浦空港」も車窓見学。時間的には問題なく「仁川空港」に到着した。
チェックインを済ませた後、また買い物。入国審査前のこのエリアには百貨店の支店形式の売店があり、入国審査後の免税店より、食品等の品揃えがよさそうだ。韓国海苔、お菓子、イカの塩辛(キムチ)等を購入。日本円も使用可能で手持ちのウォン総てと不足分は日本円で支払を済ませた。
手荷物検査へ向かう。
子供達、妻、私の順で進んだが私の手荷物が引っかかった。土産品の詰まった手提げから先ほど購入したイカの塩辛の瓶が取り出され「キムチ?」と尋ねられる。うなずく私にカウンターで預けてくるように指示が出された。航空会社のカウンター職員は手馴れた様子で小さな瓶をダンボール箱に詰め、手続をしてくれた。
再び検査を受けなおすと今度は昼間免税店で購入した箱入りが引っかかった。「最初に二つともだめだといってくれよ…」。諦めてもう一度カウンターに向かおうとすると、係員が待つように指差しながら、上司らしき係員と相談している。「ドンワ」という購入した免税店の名が繰り返し聞こえる。日本語が堪能な係員はその場にいないらしい。私には最初、「免税店なのに(機内持ち込み不可を)きちんと説明していなかったことを怒っているように感じたが、違っていた。購入時のレシートの提示を求められた後、上司のOKが出て、持ち込み可能となった。免税店での購入品であることと、商品が未開封であったことで「通過OK」と判断されたようだ。
このご時世、いたしかたないことではあるが、みやげ物品に関してはもう少し(旅行社の)現地係員等から分かりやすい説明が欲しいものだ。韓国とキムチ類は切っても切れないだろうに。残念ながら私達の担当現地ガイドからは化粧品等の説明しか受けてはいない。

「空港2」
入国審査後、更に免税店を覗く。ブランド品中心の店が多い中、食料品や雑貨の品揃えがよさそうな店を探す。ここでは「マッコリ」を購入。「武者(プジャ)」ブランドのちょっと高級品。度数は10%。個人的には一般的な低度数のものより、こちらの方が口に合う。会社の土産としても持参したが、やはり同じ評価が多かった。
搭乗ゲートへ向かう。時間にはまだかなり余裕がある。妻が途中の売店で缶入りの「シッケ」を見付けた。数本を購入。手近なベンチに腰を下ろし飲んでみた。
少し早いがゲートに向かおうと動く歩道に乗っていると左手に、何やら体験コーナーのような一角が。よく見ると無料の表記の元、子どもを中心に、団扇に色付をしている。慌てて戻る。
韓国製の団扇に花の図柄が印刷されており、各自が見本を参照に色付をしているのであった。慌てて空席を探し、子ども達を座らせる。余裕のあった時間が一気に不足になった。慌てて色付をする子ども達。「大人の分も団扇だけもらえないか?」と時計を指差しながら頼んでみたが…無理な要求であった。団扇はかなりしっかりしたもので、帰国後も残暑の中活躍していた。
搭乗口へ急ぐ。搭乗は開始されていたがまだかなりの人が列をないしていた。

帰路
前列三人掛けを妻と娘達が、後列の窓側に私という座席配置になった。疲労感はあったが眠気はほとんど感じない。事前に調べて分かっていたことだが、個別モニター(ゲーム)のない機体に子ども達はやや不満だったようだ。「テレビがない」という女性(大人)の声も聞かれた。
機体が日本上空に差し掛かる頃には闇に包まれた。連なる地上の明かりが日本海の海岸線を示している。「子どもみたいに覗き込んで」と妻にからかわれたが地形が分かるようなところで飛行機の窓側の座席に座った記憶がない。時が進み「あれ何」と妻から問われた時窓には利根川河口(銚子付近)が映し出されていた。成田空港近郊で花火大会が開催されており、打上げ花火の出迎えの中無事着陸。降機…のはずが…
入国審査へ向かう途中上の娘が腹痛を訴える。それを見かけたJALの地上係員が心配そうに声を掛けてくれた。別の用途で用意されていた車椅子を勧めてくれたがさすがにそれはお断りして娘をトイレへ行かせる。係員からは健康相談センターに行くように強く勧められ指示に従う。特に問題はナシ。只の食べ過ぎか。「異変が起きたらすぐに医療期間にかかるように」との注意を頂く。
入国審査を過ぎ預け入れ荷物の受け取りへ向かうと、ターンテーブルは既に停止、我々の荷物(3つ)だけが集められ係りの男性が持ち主の登場を待っていた。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2008-01-08

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