戦跡、手つかずの自然、給水塔、近代建築、廃墟、鳥、駅舎...半島の歴史を直に感じられる歴史の旅に行ってきました
こんにちは、ソウルナビのるみです。今回、知り合いの方が定期的に主催する街歩きツアーで、少々遠出して江原道(カンウォンド)の鉄原(チョロン)に行くことを偶然知ったるみ。るみはずっと鉄原に行きたかったのですが、タイミングをなんとなく逃していたので、速攻で参加することに。鉄原は北朝鮮との軍事境界線沿いの町。非武装地帯(DMZ)や民間人統制区域があるために手つかずの自然が多く残り、今では渡り鳥の飛来地として有名なところです。また北朝鮮軍が南への侵入用に掘った第2トンネルなどの朝鮮戦争の戦跡を周る安保ツアーがあり、多くの観光客がやってきます。今回のツアーは、鉄原が生まれ故郷の詩人、閔暎(ミン・ヨン)先生をゲストに、いろいろな話を聞きながら鉄原の持つ歴史を深く知るのが目的。「鉄馬は走りたい」という言葉で知られる京元線関連の文化遺産、かつて栄えていた鉄原の中心街(近代文化遺跡通り)などをポイントに周ってきました!
詩人、閔暎先生のプロフィール
いつもニコニコ、ひょうひょうとした雰囲気の閔暎先生。キャスケットを小粋にかぶったかわいらしいおじいちゃま、なんて思っていたのですが、プロフィールを見てびっくり。先生の人生は半島の歴史そのもの。静かに怒れる小さな巨人とも言われているすごい先生なのです。
1934年江原道鉄原生まれ。3歳の時に旧満州へ渡り10歳まで過ごした後、1945年から1950年までソウルの明洞でタバコ売り、南大門市場で魚屋などの店員として働く。朝鮮戦争勃発により釜山へ避難、埠頭で日雇い労働、印刷所で働く。休戦を迎えると再びソウルに戻り、活字関係の仕事を経て出版社に勤務。1959年、「現代文学」の推薦で文壇に登場。1983年に韓国評論家協会文学賞、1991年には万海文学賞を受賞。代表作は「断章」(1972年)、「龍仁を通り過ぎる途中で」(1977年)、「あざみの花」(1987)など。韓国を代表する有名な詩人です。
今回のスケジュール
民間人統制区域内のスポットも周るため、事前に団体観光としてしかるべきところへ申し込み、韓国最北端の白馬高地駅からバスで移動しました。今回のツアーの流れは以下の通り。
京元線逍遥山(ソヨサン)駅 → 白馬高地(ペンマコジ)駅 → トゥルミ館、月井里(ウォルジョンニ)廃駅 → 鉄原平和展望台 → 李泰俊(イ・テジュン)文学碑 → 旧鉄原市街地 → 漢灘江(ハンタンガン)観光事業所、昼食 → 孤石亭(コソクチョン) → 到彼岸寺(トピアンサ) → 朝鮮労働党舎 → 漣川(ヨンチョン)駅、漣川給水塔 → 新炭里(シンタンニ)駅
それでは出発~
待ち合わせは、地下鉄1号線の終点、逍遥山(ソヨサン)駅。るみは地下鉄1号線新吉(シンギル)駅から向かったのですが、ソウル郊外の北の終点、逍遥山まで行く電車はこの日1時間に2本のみ。早めに来たものの、結局30分待つことに。各駅停車のためかかった時間は1時間20分。逍遥山駅からは非電化単線のローカル線に。5両編成の気動車で、旅気分が出てきます。白馬高地(ペンマコジ)駅まで乗車時間は約1時間。途中、分断を象徴する38度線を越えたことを示す(38度線を越えていますが、北朝鮮というわけではありません)38度線の碑があるとのことですが、るみはまったく気づきませんでした(汗)。途中駅でハイキング客が多く降りて行きます。のどかな田舎風景が続き、空気もよく平和な雰囲気。
■白馬高地駅京元線の終着駅。2012年11月に開業した、とってもきれいな韓国最北端の駅です。現在は新鉄原(シンチョロン)と呼ばれる新市街地から離れており、民間人統制区域ぎりぎりのところにあるため、周りには本当に何もありません! 1日に約10本(※2013年6月現在)の列車が発着します。駅名は激戦が行われた「白馬高地の戦い」の戦地が近くにあるのに由来。ホームの先頭部分に有名な「鉄馬は走りたい」の看板が。 るみはスタンバイしていた観光バスに乗り込みました。ちなみに白馬高地駅からは、朝鮮戦争の戦跡や観光スポットを周るシャトルバスに乗ることができます。
しばらく進むと検問所が見えてきました。地雷のサンプル表示が緊張感を呼び起こします。いよいよ民間人統制区域内に突入!若さあふれる兵士さんがバスに入ってきました。ツアーの主催者はお疲れ様と何本かの冷たい水とお菓子を渡していました。
駅前広場にはシャトルバス(有料)が
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地雷の例が検問所に!
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トゥルミ館、月井里(ウォルジョンニ)駅有刺鉄線のついたフェンスが長く続くエリアにやってきました。このあたりは、「鉄の三角地」と呼ばれ、金化(北朝鮮)と平康(北朝鮮)、鉄原(韓国)を結ぶ三角形の地域は朝鮮戦争当時、激戦地となりました。1988年、展望台として建てられた建物は2009年に改装してトゥルミ館になりました。トゥルミは韓国語でタンチョウヅルのこと。人が立ち入らないためあたり一帯は渡り鳥の飛来地としても有名です。施設内には鉄原平野に生息する動物たちのはく製が展示されています。
トゥルミ館の前にある月井里駅は民間人統制区域内の最も北にある(非武装地帯に一番近い)簡易駅。現在の駅舎は朝鮮戦争で廃駅になった場所から移転し、1988年に復元されたもの。駅としての機能はありません。
駅の前には使われていない線路と、再び「鉄馬は走りたい」の看板、そして戦争で爆撃を受けてぐにゃぐにゃに曲がった列車の残骸が残されています。月井里駅の線路前で閔暎先生が、代表作「あざみの花」を詠み始めました。この詩は戦争で夫を失った寡婦たちを鉄原平野に咲くあざみの花にたとえたもので、戦争の悲しみが表現されています。分断されて自由に行き来できなくなってしまった故郷を思って胸がいっぱいになられたのか、先生は最後泣いていました。
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鉄原平和展望台先ほどのトゥルミ館に代わって新しく作られたのが鉄原平和展望台。こちらはモノレールで移動です。1階は展示館、2階は観覧館となっていて、関連ビデオ(韓国語)を観るようになっています。非武装地帯が一望できるのですが、その自然の美しさは言葉では表現できません!二重になった有刺鉄線が続いているのですが、こんなに景色が良いところはなかなかない・・・戦争と平和の共存。ちなみに基本的に風景の撮影は禁止。ただ展示館の方も見て見ぬふり・・・
■李泰俊文学碑次に向かったのは鉄原は大馬里(テマリ)出身の小説家、李泰俊(1904~?)の碑。1930年代に優れた短編を発表して評価されながら、1945年以降は政治活動に身を投じ、共産主義者となっていち早く北へ行ってしまい、戻ることのなかった小説家として知られています。功績を再評価する意味合いもこめて、生誕100年を記念し、2004年に閔暎先生が発起人となって碑が作られました。
建物は渡り鳥を観察するところ
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説明を聞くツアーのメンバー
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農産物検査所(登録文化財第25号)
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旧鉄原市街地日本統治時代、鉄原は江原道北部地域の交通の要衝として大変栄えていた街でした。田んぼや草が生い茂る土地が広がるまっすぐな道のところどころに看板、そしてコンクリートの塊が。このあたりは鉄原の町の中心地だったところで、戦争で街は壊滅したものの、かろうじて残った建物や遺構が点在しています。
両サイドには「地雷」とかかれたプレートがかかったロープがはってあります。その中の木を見てびっくり。鳥がいっぱい!バスの乗り降りが自由にできないため、車窓からパチリ。
のどかな田舎風景ですが地雷が…
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大きな鳥がいっぱい!
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遅めのおひるごはん
気がつけばもう1時半すぎ!お昼は漢灘江(ハンタンガン)観光事業所近くの「イムコッチョンガーデン」で川魚料理をいただくことに。メギメウンタン(なまずの辛い鍋)がいい具合に煮込まれ、おいしそう!暑いときに熱くて辛いものをフーフーいって食べることを韓国では以熱治熱(イヨルチヨル)といい、暑さに負けない知恵とされています。さっぱりとしたナマズと澄んだ赤いスープがポイントです~
イムコッチョンは昔このあたりで活躍した盗賊の名前
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汗を出しながら熱い料理をいただきます
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おなかいっぱいになったあとは付近を散歩。漢灘江観光事業所は鉄原の戦跡をめぐるツアーの玄関口になっていて、一般ツアーに参加した場合は必ずここで申込の確認が行われ、目的地に向かうようになっています。事業所の周りには観光案内版や戦闘機などの展示コーナーも。
おなかもいっぱい、それではツアー後半!
■孤石亭(コソクチョン)孤石亭は新羅時代に建てられた楼閣で、鉄原平野を横切って流れる漢難江の中流に位置しています。朝鮮戦争でオリジナルは消失し、現在あるのは1971年に再建されたもの。この楼閣よりも孤石亭は川の真ん中にある奇岩が有名で、緑の中の階段を下りていくと、ばーんと奇岩が眼下にあらわれ、インパクト大! このあたり一帯は韓国で唯一の玄武岩産出地としても知られているんですって。遠くからはボート遊びを楽しむ人たちの笑い声が聞こえてきます。階段の上り下りがなかなかハードだけど、来てよかったなあと思う景勝地です。
■到彼岸寺(トピアンサ)
こちらも新羅時代に作られたお寺。「彼岸に到る」でトピアンサと読みます。なんとなく響きがいいですよね。寺へと続く門をくぐると一面の山あじさいが。とても趣があります。
865年、新羅時代末の名僧である道詵国師が作ったとされる国宝63号指定の鉄造毘盧舍那仏坐像(てつぞうるしゃなぶつざぞう)がとっても有名。韓国に現存する鉄仏三体のうちの一つと言われています。また宝物(※国宝と重要文化財の間)223号指定の高さ4.1メートルの花崗岩でできた三重石塔は、中にいる蛙が出てくるのを見るといいことがあるそう!
■朝鮮労働党舎
鉄原をめぐるツアーのメインともいえる朝鮮労働党舎。朝鮮戦争前の38度線で南北が分かれていた時代、北朝鮮が民間人の思想統制を行っていた朝鮮労働党鉄原郡の党舎で、1946年に完成。戦争の際に激しい爆撃を受けましたが、堅固な建物は外壁が残りました。訪れたこの日、キリスト教関係者が讃美歌を歌う行事が行われていました。戦争の悲惨さを伝える遺構として2002年5月、登録文化財第22号に指定されました。
ちなみに党舎のすぐ近くに鉄原第一監理教会の跡があります。こちらは日本の近江八幡を中心に活躍したアメリカ人建築家、ヴォーリズが設計した教会で、こちらも大変貴重な近代遺産です。実はヴォーリズが韓国で作った146もの建造物は朝鮮戦争でほとんど消滅してしまい、現在は梨花女子大学とこの教会しか残っていないそう!ヴォーリズは日本ではとても人気な建築家なので、建築好きはぜひ訪れたいスポットです。
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漣川(ヨンチョン)駅、 漣川給水塔いよいよ最後のスポット、漣川駅へ向かいました。白馬高地駅から4つ目の駅。バスを降りてまず目に飛び込んできたのが蔦に覆われた給水塔! 漣川駅は1914年に開業した京城(日本統治時代のソウル)と元山(ウォンサン、現在は北朝鮮江原道の道庁所在地)間を走る京元線の中間地点。当時走っていた蒸気機関車の給水地として円筒型と箱型の給水塔が作られました。二つとも登録文化財に指定され、駅前は公園になっています。
最後は新炭里(シンタンリ)駅へ。汽車のほとんどがこの駅で折り返すため、こちらで逍遥山行きを待ちます。この駅は白馬高地駅ができるまでは韓国最北端の駅だったところで、韓国内ではあるけれど北緯38度線よりも北に位置しています。