しばさきのキムチとバット~日韓野球考・第7回「野球選手と兵役」

1993~1994年にオリックスブルーウェーブにタイ・ゲイニーという外野手が居た。パワフルな打球を飛ばす一番打者として1993年の8月の月間MVPを獲得するなどして活躍したのだが、そんな彼が1985年に『ドラフト』された日のこと。6月のドラフト当日。サウスカロライナ州の自宅で吉報を待っていたゲイニー家の電話が鳴った。受話器を取ったのは彼の母だった。
電:『おめでとうございます。息子さんがドラフトされました』。
その声を聞いた彼の母は泣き崩れてしまった。様子がおかしいと思った彼は受話器を母から奪い取り
ゲ:『ウチの母に何を言ったんだい?』
電:『君がドラフトされたって言っただけだ』
母:『ウチの息子が・・・』
ゲ:『で、どこから?』
電:『ヒューストンアストロズ』
ゲ:『ママ。ドラフトって野球のことだよ。僕がヒューストンアストロズに指名されたんだ』
母:『徴兵じゃなかったの?』

彼が球団広報誌のドラフト特集でコメントしていたことなので、真実かアメリカンジョークかはわからないが、同じ『ドラフト』という単語でも兵役と野球のそれとでは意味がまったく違う。前置きが長くなったが、今日のテーマは野球選手の『ドラフト』でも兵役の方を書いていこうと思う。

韓国国民の義務として納税、教育、国防が3大義務として大韓民国憲法に定められている。その中でも兵役は第39条に定められているので、まずは条文を紹介しよう。
第39条(国防の義務)
1.すべて国民は法律が定めるところにより国防の義務を負う
2.誰でも兵役義務の履行によって不利益な処遇を受けてはならない

この条文はつまるところ、野球選手も国防の義務を負っていることを意味する。大学時代に兵役に行かずにプロ野球選手になった者の多くはプロ野球界に足を踏み入れてから2~3年経つと入営対象者となり、身体検査が待っている。そこで健康な男子とみなされた場合、兵役に就くことになる。兵役に行くと約2年の間、野球をすることが出来なくなる(兵役でなく公益勤務というものもあるのだが野球生活を中断することは間違いない)。高卒でプロに入って2年目、3年目というのはプロ野球選手として最も大切で、技術も体力も伸びる時期である。単純に日本のプロ野球で考えると、西武ライオンズの松坂投手が3年目の2001年シーズンの途中に兵役に行ったとな
ればどうだろうか?韓国のプロ野球選手が直面する問題の大きさが分かって頂けるかと思う。
具体例を紹介しよう。1998年シーズンが始まる前、私は韓国のプロ野球選手名鑑をパラパラと見ていた。シーズンが始まる前に新しいメンバー表をめくるのは日本でもアメリカでもプロ野球ファンにとって新しいシーズンに向けての大切な儀式で、新戦力や辞めていった選手のチェックをするうちに、新たなシーズンに向けての気持ちが高鳴ってくるものだ。
新人、移籍、復帰の選手には○や△などの印がついていることが多いのだが、そのシーズンのOBベアーズの選手のところを見ていると、25イ・ドヒョン捕手の欄に(軍保留)という文字がハングルで入っていた。その時はグンホリュウというのが何を意味することか分からなかったのだが、その後チャムシル野球場の売店で買ったベアーズイヤーブックのイ・ドヒョン選手の紹介を見てみると『~97年シーズンは主に指名打者として出場し、44安打、5ホームランを放ったが、昨年シーズン途中に男の義務を果たすため軍に入隊した。ファンは寂しくなるが、彼はいつかグラウンドに戻り、愛するファンに会えることを待ち焦がれ、今は臥薪嘗胆している』と書かれていたことで、初めて彼が兵役に行ったことが分かった。記録によれば97年シーズン、8月12日に入隊し、99年10月11日に除隊されている。入隊前の7月30日にテグで行われたサムスンライオンズ戦で2打数1安打2打点(決勝打)の活躍を見せていたというから、現役バリバリの選手でもいきなり軍隊に行ってしまう事になるのだ。
LGツインズ団長のチェ・チョンジュン氏の球団10周年記念の著作『LG野球話』の23章『プロ野球選手の兵役問題』によれば、多くの選手は2年のブランクが選手生命の終わりを意味すると恐れているのだという(もちろん軍隊に行って戻ってからも活躍する選手は多い。しかし、戻って活躍できない場合はもっと多いのだという)。プロ野球選手でもアマチュア時代に国際大会などで活躍すると兵役が免除されたり、 尚武という国軍体育部隊で競技を続けることが出来るケースもあるが、 そうでもなければ大きなリスクを背負って2シーズンを中断することになる。
兵役が無い日本のプロ野球の場合でも選手生命の平均は約7年。7年から単純に2年を引くと5年である。18歳でプロに入って25歳で解雇されるとしたら、そのうちの空白の2シーズンは大きい。もちろん他の職業でも大なり小なりのリスクはあるのだが、プロ野球は社会への公益性の面から、陸軍出身者が多くを占めてきた歴代KBO(韓国野球委員会)総裁が兵役の軽減を求めてきたが、実現には至っていない。
もっとも、2年のブランクを恐れる選手にも兵役に行かなくて済む場合がある。健康診断にパスしなければ良いのだ。野球選手の多くは肘、肩、腰などに故障を抱えていることが多く、故障の程度によっては軍務に就くのが困難であると判定され、兵役免除になるケースがある。そこに目をつけ、故障が軍務に就けない程度であるという診断を下してもらうよう軍医へ口利きをして兵役を免除させてやるという『甘い誘惑』を囁き、選手から金品を巻き上げるブローカーが暗躍し、社会問題に発展したこともあった。
私を含めた日本人は兵役といわれてもピンとこないのが正直なところだ。しかし、人類が世界平和を完全に実現できていない現状では『国防』は必要である。実際のところ、日本列島を守っているのは自衛隊、在日米軍、そして韓国軍であると言えるわけで、そのことを考えると、完全に私たちと無縁の問題でもないのではなかろうか。今回はプロ野球を平和に楽しめる環境を感謝するにあたって、韓国の若者が兵役に就いている現実を少し考えてみた。皆さんはこの現実をどのように思いますか?

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2002-02-08

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