しばさきのキムチとバット~日韓野球考・第15回「がんばれベアーズ番外編」

第15回「がんばれベアーズ番外編」

昨年(2005年)、日本で長年贔屓にしていたチームである神戸ブルーウェーブ(前身は阪急ブレーブス)を失ってからというものの、球春が近づいてくるのが少し憂鬱になった。我がチームには永遠に『開幕戦』というものが来ないのだ。パシフィックリーグの日程表に自分のチームの名前がないということは辛く、球場に足を運ぶ回数自体はさほど減ってないにしろ、日本の野球にどこか冷めてしまったのは事実である。今年もそんな憂鬱な春がやってきた・・・筈だった。

そんな気持ちに春風を吹き込んでくれたのは、旧正月に送られてきた斗山ベアーズ球団マーケティングチームのチョ・ソンイル次長からのメールだった。チョ・ソンイル次長とは、昨年夏、私がソウル市にある脳性まひ患者の福祉施設の子供たちと、そこで働く人たち合わせて50人を蚕室野球場で開催されたベアーズ主催の公式戦に招待したときに、施設側との調整や座席の確保や記念品や食事の準備に尽力して頂いたベアーズ球団のファンサービス部門の次長である。メールの内容は『3/5から3/7まで東京出張に行きます。ワールドベースボールクラシック(以下、WBC)の韓国国家代表チームの応援です。KBO(韓国野球委員会)の知人にチケットを確保してもらうので一緒に東京ドームに行きませんか?』というものだった。

このメールを受け取るまで、私はWBCという大会には懐疑的だった。町別対抗戦の文化でやってきた野球で国籍別対抗戦をやったところで意味があるのか?ソウルのチームでアメリカ人と韓国人がプレーするのを日本人が応援するというような野球の面白さを殺して、サッカーのようなナショナリズムが前面に出るようなことをやっても面白いのだろうか?良いバッターで打率が三割、優勝チームで勝率が六割程度の確率が悪いスポーツを三週間程度のトーナメントで優勝を決めて何が面白いのか?野球とは肌寒い春から燃えるような夏を経て実りの秋へなだれ込むペナントレースが面白いのであって、夏の甲子園のような世界一強運なスポーツチームを決めるような味のない大会なんてごめんだ・・・せいぜいその程度に思っていたのだ。それに馬鹿高いチケットの値段である。ネット裏指定席二万円、外野席でも五千円である。料金表を初めて見た私は韓国の料金表(ウォン表示)の値段と見間違えたのではないかとゼロの数を数えなおしたくらいである。西武ドームのライオンズファンクラブ会員の指定席料金が二千円である。日本のプロ野球公式戦の指定席料金は正規で払ってもせいぜい四−五千円である。一万円札で入場料と飲食代が出ないなんて、とても野球を楽しむ値段ではない。そこまでの大金を払ってまで見に行く気にはなれなかった。

しかし、メールを受け取ってからは『一度も見ないで文句を言うのもどうか』と考え直し、チョ・ソンイル次長には東京出張を歓迎する旨の返事を出し、初めてのプロ野球国際大会を待った。
3/5日曜日。試合当日。チョ・ソンイル次長と東京ドームでの待ち合わせは試合開始一時間前の17時。少し早く行って東京ドーム内にある野球体育博物館を見学し、時間が余れば記念グッズでも見に行こうかと思い、16時に地下鉄南北線後楽園駅に到着した。地下鉄を降りるなり電話が鳴った。声の主はチョ・ソンイル次長である。『今どこにいますか?もう少し早く来ませんか?』私は駆け足で地下深い南北線のホームから地上を目指し、約束場所に一時間前に到着した。
久しぶりに会ったチョ・ソンイル次長は昨年と変わらない笑顔で迎えてくれた。頭には水色の韓国代表チームのキャップ、KOREAと大きく書かれたシャツ姿である。私にKOREAと書かれた応援用風船棒とタオルと入場券を手渡して『さぁ11番ゲート(レフト側)応援席に行きましょう』と外野席方向を指差した。その瞬間に私はどういう席でどのように観戦するのかを悟った。これは韓国のテレビニュースに映るかもしれないなと思った(実際には日本のテレビ放送にも映ったらしく、私の実家も婚約者の実家も大騒ぎだったと後で知った)。ゲート前に列を作っている韓国人の団体の列に加わり、韓国チームの調子や初日に怪我をした韓国チームの四番打者(我がベアーズの四番打者!)、キム・ドンジュ選手の状態から私の結婚のことまで話題にしながら開門を待った。
国際大会ということで、日本ハムファイターズの公式戦よりも厳しいボディチェックを受けいよいよ入場である。座席はレフト側韓国応援席49通路9列534番。韓国からの応援ツアー参加者200名、そのツアーの添乗ガイドとKBO関係者に囲まれたバリバリの応援席である。当たり前であるが、そこでは「ハングル」しか飛び交っていない。試合前から応援用の風船を膨らませて盛り上がっている。韓国から来た新聞社のカメラマンが時折レンズを向けると、応援団長(普段はベアーズの応援団長)がリードを取って応援の練習にも熱が入る。応援席には韓国プロ野球各チームのユニフォームを身に着けた人も少なからずいる。そこで応援団長は『おい、そこのLGファン!LGのイ・ビョンギュ選手の応援はどうやるんだ?』『起亜のイ・ジョンボム選手の応援はどうするんだ?』と聞いて、各スター選手の応援コールの予習もばっちり。フィールドで練習する選手にもスタンドのファンにも緊張のプレイボール時間が迫ってくる。『うわー緊張してきたなぁ!まるで韓国シリーズが始まるみたいだよ!』チョ・ソンイル次長も興奮気味である。『韓国シリーズと言えば・・・去年の韓国シリーズは心が痛かったです』と言うと、『それは言わんといてぇな』という表情で私の肩をぽんぽんと叩いた(※2005年の韓国シリーズに進出したベアーズは三星ライオンズに4連敗で破れてしまったのだ)。
いよいよ試合開始20分前。試合前のセレモニーが始まった。両チームのメンバーが紹介され一塁と三塁のライン上に並ぶ。以前に患った病のせいで足と左手に後遺症が残る韓国代表キム・インシク監督がゆっくりと歩いてくる姿が痛々しい。現在はハンファイーグルスと国家代表チームを率いる彼もかつては1995年、2001年のベアーズを韓国シリーズ優勝に導いた名将である。痛々しい姿はむしろ彼の韓国野球に対する愛情のようにも感じられ胸が熱くなった。続いて両国国歌の斉唱。私も韓国国歌(愛国歌)を歌う。蚕室野球場に通ううちに覚えた韓国国歌である。さぁ、いよいよプレイボールである。

試合は日本チームのペースで進む。初回にツキのない内野安打で一点を失い、さらに二回には九番打者である福岡ソフトバンクホークスの川崎選手のホームランで二点を追いかける展開になった。やはり日本には勝てないのか・・・そんな雰囲気が韓国応援席に漂い始める。しかし私は全盛期のブルーウェーブ、つまりイチロー選手が引っ張るチームで長嶋読売を倒した頃のブルーウェーブの試合を見ているような気分で見ていた。『なぁに、このままくらいついて行けば、そのうちひっくり返せるはずだ。残りイニングはまだまだあるじゃないか』と頭の中で日本語でつぶやく(この日、私はほとんど韓国語を使って過ごしていた)。
そして試合はその通りに展開していくことになる。四回。日本は二死満塁と攻める。千葉ロッテマリーンズの西岡選手が弾き返した打球はライトへ。ライト線に切れて行く難しい打球をSKワイバーンズのイ・ジニョン選手がダイビングキャッチ。チョ・ソンイル次長や私や周りの韓国側応援席が立ち上がって拍手をするのは当たり前であるが、多くの日本人の観客も大きな拍手をしてくれた。『どうせ勝つのは日本さ!韓国にもいい選手がいるんだな』という拍手に聞こえなくもなかったが(この雰囲気をもう少しわかりやすく理解したいのであれば、東京ドームのジャイアンツ戦を思い浮かべて、日本を読売と置き換え、韓国をパ・リーグに置き換えて読んでみると良い)、このファインプレーから韓国チームにも応援席にも活気が戻ってきた。

ファインプレーの後の五回に一点を返し、迎えた八回に元・千葉ロッテマリーンズのイ・スンヨプ選手がツーランホームランを放つ。3対2。ついに逆転である。今季から読売に移籍することになったイ・スンヨプ選手。公式戦が始まったら思いっきりブーイングを浴びせるつもりだが、この大会までは応援してやろうと思い大声で応援した甲斐があった。レフトの一角だけを占めている韓国応援席は大変な騒ぎである。逆に日本を応援するファンは日本の勝利という『予定調和』が崩れ去りそうだという事実を受け入れられないのか焦りの色が見える。そんな雰囲気の中、元・ブルーウェーブ投手で昨シーズンはニューヨークメッツにも在籍したク・デソン投手(今季から韓国球界復帰)がのらりくらりと日本打線を料理して、ついに最終回を迎える。韓国応援席は歴史的勝利が近づくにつれ緊張感が漂う。マウンド上にはク・デソン投手に代わって、長年メジャーリーグで活躍してきた国民的ヒーロー(現・サンディエゴパドレス)パク・チャンホ投手が上がる。九回裏ツーアウト。打者は日本野球史上最強の野球選手イチロー。私にとっては神戸ブルーウェーブの英雄でもある。イチロー選手とパク・チャンホ投手の対決を東京の屋根の下で見ているという事実だけでも興奮である。結果はショートフライ。パク・ヂンマン遊撃手がウイニングボールを掴んだ瞬間、私とチョ・ソンイル次長は抱き合い、周りの韓国人の喜びも弾けた。

1991年。初めて開催された韓日プロ野球のオールスター戦。韓国はスター選手をずらりと並べてきた上に、来日前にプサンで合宿まで行って乗り込んできた。対する日本は・・・当時最高の投手だった近鉄バファローズの野茂英雄投手も顔見世に一塁ベースコーチを努めるだけ。しかし韓国は2勝4敗で勝ち越すことはできなかった。1995年も気合の落差は激しく、中日ドラゴンズの二軍選手(シーズン0勝投手)が先発するなど日本は真剣勝負を拒否。しかし2勝2敗2分。そして10年の時が流れて・・・ついに真剣勝負の日本から勝利を掴み取ったのである。一発勝負で両国の野球のレベルを論ずる気はないが、新しい歴史の扉が開いたことには違いない。1997年からの韓国プロ野球ウォッチャーとして素直にこの勝利は嬉しいものだった。
試合が終わってからも球場の外では『てーはんみんぐっつ!』の大合唱は続いた。多くの日本のファンが『韓国は強かった』と握手を求めてきたり、一緒に『てーはんみんぐ!』とコールをしたりしている風景に私は嬉しくなった。一緒に外に出たチョ・ソンイル次長に韓国からのツアー参加者が『アメリカも一緒に行きましょうよ!』と声をかける。『そんな!アメリカに行く飛行機代を持ってるのかい?俺はどのみち開幕戦の準備をしなきゃいけないから無理だよ』。そう、韓国のプロ野球ペナントレースもいよいよ来月から始まるのだ。『ホテルに向かう団体バスに乗り込まなければならないので早く行かなければならない。すまないね。短い時間だったけど会えて嬉しかったよ!新婚旅行でソウルに来いとは言えないけど、蚕室野球場で待ってるから来るときは電話をくれよ!』と最後に熱い握手を交わして、チョ・ソンイル次長と東京ドーム前広場で別れた。チョ・ソンイル次長が追いかけた韓国からのツアー客の列では『てーはんみんぐっつ!』コールが続いていた。熱い春の一日から私の今シーズンは始まった。
追記:
今回のWBCは選手の出場資格が次のように定められた。

選手は下記のいずれかに該当する場合、各チームへの出場資格がある。
・本人が当該国の国籍を有する
・本人が当該国の永住権を有する
・本人が当該国で生まれた
・本人の親のどちらかが当該国の国籍を有する
・本人の親のどちらかが当該国で生まれた

この規則により、メジャーリーグの選手はイタリアなどの野球が盛んでない国の代表選手に強引に分けられたが、 日本代表チームにも数人の在日韓国人選手が名前を連ねることができた。これは喜ばしいことである。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2006-03-15

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