古宮の日本語無料ガイドツアーに参加しよう!

韓国最古の古宮を日本語でまわる!

こんにちは!ソウルナビです。今日は韓国の最古のお宮、景福宮の日本語ガイドツアーに参加してみたいと思います。景福宮(キョンボックン)とは朝鮮王朝の正宮であり、ソウル市内にある5つの古宮の中でも1番歴史が古い韓国の代表的な宮殿文化財。史跡第117号にも指定され、一年中たくさんの観光客が訪れる人気の観光地です。昨年(2003年)から宮中の復元工事がスタートし、行くたびにところどころ観れないところがあったりしますが、ずっと工事をしていた景福宮の1番大きな宮殿、勤政殿が最近完成したとのことで、さっそく行ってきましたョ!
日本語無料ガイドを利用しよう!
季節は春!まだちょっと肌寒さが残るけれど、天気のいいぽかぽか陽気。宮内は韓国のいろ鮮やかな春の花々に彩られ、さらに美しい景観が期待できるんではないでしょうか(^-^)今日ナビが参加しようと思っている日本語ガイドツアーとは、地元のボランディアガイドさんが無料で景福宮の案内をしてくれるもの。初めて来た人にはとっても便利なツアーなんです。毎日(休館日の火曜日を除く)数回のツアーがあり、広い景福宮中のメインの建物を中心に回る約1時間10分のコースです
(・・・時間の詳細はこちら)
<興礼門(フンレムン)>

<興礼門(フンレムン)>

<光化門(クァンファムン)>

<光化門(クァンファムン)>

<チケット売場> <チケット売場>

<チケット売場>

参加するには?
まず光化門(道路沿いの門)と興礼門(フンレムン)の間の大きな広場の右端にチケット売場があるので、そのでチケットを買ってから正面にある興礼門(フンレムン)をくぐります。するとすぐ右に案内所があるので、その前で待っていればOK!
<無料ガイド参加者の待ち合わせ場所> <無料ガイド参加者の待ち合わせ場所>

<無料ガイド参加者の待ち合わせ場所>

ちょうどナビが行った時も入口の光化門(クァンファムン)にたくさんの昔の守門将がいたのですが、景福宮ではこの「朝鮮時代宮城門開閉および守門交代儀式」が時間別に行われているで、皆さんもチェックくださいね!
*無料ガイドの時刻表(韓国語・日本語・英語)
*観覧時間・観覧料・定期休館日情報
*朝鮮時代宮城門開閉および守門交代儀式
*もし旅行日程が日本語ガイドの時間に合わない場合、携帯用の音声案内機もあります(貸出料:2,000ウォン)。借りたい場合はチケット売場のすぐ隣りにあるのでご利用くださいね。
興礼門(フンレムン)の左には国立古宮博物館が!
こちら景福宮には全国各地からの旅行者をはじめ地元の学生、世界各地からの観光客などたくさんの人が見学にやって来ています。いろんな国の言葉が飛び交っていますが、皆さん最初の興礼門(フンレムン)の前で記念撮影!そうそう、この興礼門に向かって左には国立古宮博物館があります。地下鉄3号線キョンボックン(景福宮・Gyeongbokgung・327)駅5番出口を出るとすぐ目の前。こちらも時間がある方は是非ご覧下さいね。韓国の王宮文化に関するありとあらゆるものが展示されています。(※以前ここに国立中央博物館がありましたが、2005年10月竜山家族公園に移転しました。)
*国立古宮博物館
日本語無料ガイドツアースタート!
さて、看板のところで待っていると10分ほど前から「日本語無料ガイドツアーに参加する方は集まってください」という日本語での案内放送が流れはじめます。その呼びかけてで集まったのは日本からのおじさま方。今日ナビはそのおじさま方と一緒に景福宮をまわってみたいと思います!まず日本語がとっても上手な地元のガイドさんに景福宮全体図の前で景福宮とコースの説明をしてもらったら、ツアースタートです!
『景福宮とは、ソウルにある5つの古宮の中でももっとも古く、規模の大きい朝鮮王朝の正宮で、1395年、朝鮮王朝27代目の太祖の時に創建されました。位置は「背山前水」といって後ろに白岳山(ペガッサン)、前には清渓川(チョンゲチョン)という昔流れていた川があり、風水の理念にかなった場所に建てられています。宮殿には東西南北の4つの門があり、東門は文班(※文官)、西門は武班(※武官)の出勤用、北門は昔から人が出入りすると良くないといわれ封鎖されており、南の光化門は王が通る門でした。』
○永済橋(ヨンジェギョ)~国王と一般人の境~
『こちらは今は水が流れていませんが、その昔は明水といって心の汚れを落としてくれるというとってもキレイな川が流れていたんです。これは橋を境に一般人と王とを分け隔てたものでもありました。また石橋の横に狛犬のような動物の石像が寝そべって川の方を見ていますよね。これはヘテといって想像上の動物で宮殿を守っていました。このヘテについては後で詳しくご説明します。』
<今は水が流れていない川>

<今は水が流れていない川>

<想像上の動物「ヘテ」>

<想像上の動物「ヘテ」>

○勤政門(クンジョンムン)前の石畳の通路~国王通り~
『これは少し段差がついているのですが、中央の一番高いところが王の通り道、左が文人、右が今の厚生省に当たる政治をつかさどる人たちが通った道です。』
○勤政門(クンジョンムン)の石段のヘテと彫刻~災厄除け~
『この彫刻は平和な時だけに現れる想像上の動物が描かれ、両側にはヘテといううろこに包まれた角のある一角獣で、火と悪を食べてくれる守護神です。また石段に雲のような模様が刻まれていますが、これは王が雲の上の存在であることを表しています。』
○勤政殿(クンジョンジョン)~景福宮の正殿~
☆フォトスポット:勤政殿の正面の少し右側か写真をとりましょう
『ここは、景福宮の正殿であり、公式な国家儀式や祭事を行ったり、国賓を迎える時に使われたところです。建物内部は吹き付けになっていて、現在でいうと高さ22mの7階建ての建物と同じくらいの高さになります。石畳の手前にある鉄の輪は、雨が降った時に大きなテントを引く時の金具です。』
(おじさま:正2より後ろはテントに入れなかったわけだよね~)
○勤政殿内部~朝鮮王朝最高の木造建築~
『建物は樹齢100年の赤松を使い、その当時最高の大工が作ったと言われています。中を見ると、中央の高い台に王が座り、その王の後ろには王を象徴する絵が飾られています。周りに座布団やテーブルのあるところには5人の秘書、書記などが座っていました。』
○勤政殿を守る動物たち
『勤政殿は階段を上った少し高い所に位置し、その石段の柵の角には十二支の動物が宮殿を守っています。しかし干支と最後の2つである犬といのしし(韓国では豚)がいないんです。これなぜだか分かる方いらっしゃいますか?』
(し~ん)。
『え、これはまだ誰も分からないんです。』
(ほぉ~)」
○勤政殿横の水釜~火神除け~
『これは火災の時に防火用水のような役割をしていたもので、いつも中に水が入っていました。また火の神がやってきた時に水面に浮かぶ自分の顔に驚いて逃げていったというように、火除けのために置いたものでもありました。』
○勤政殿横の監視官~厳しい監視~
『勤政殿横には監視官がいつも官内の人々をチェックしていて、行儀が悪かったりすると、減俸の対象になったりしました。昔の給料はお米で配給されたので、お米を半分に減らさることもありました。』
(おじさま:けっこう厳しいねぇ)
○思政殿(サジョンジョン)~130年前そのままの内観~
『思政殿の中は130年前の色そのままの状態で保存されてますので、他の門や建物のように鮮やかな色ではなく、自然の色です。黒は炭、金は金箔など、黄色や白、赤などもすべて自然塗料を使っています。』
○思政殿~鳥よけ~
『宮内での殺傷は縁起わるいとされ、鳥除け用に網や尖った杭を鳥が巣作りしないように設置していました。』
○思政殿の日時計~韓国基準時~
『これを見ると、今の時間比べると30~50分の差があるんです。これは当時東経127度を基準に時間を設定していて、日本の植民地となって以来、日本の東経135度に統一されたからです。』
○千秋殿(チョンチュジョン)~ハングル誕生の地?!~
『ここは世宗大王が学者などを呼んでさまざまな新しい文物を創り出したところ。中でもハングルの研究をしたところとしても有名で、別名ハングル誕生の地ともいわれています。ハングルは世界でも誕生の歴史が明確な言語で、550年という語学の歴史の中では浅い方です。』
○慶会楼(キョンフェル)
☆フォトポイント:池の右手前。ここからだと、今の韓国の1万ウォン札に出ている絵が撮れますョ
『ここは国王と臣下が参席する重要な宴会や外国使臣を接待する宴会場で、国宝第224号に指定されています。池の中央に2つの島があり、東側にある四角い島に慶会楼があります。全部で48本の柱で支えられいて、景色もとてもキレイです。』
『慶会楼の背後に聳え立つ山の麓に、現在のブルーハウス(※青瓦台・大統領官邸)が見えますが、その当時はあそこまでが敷地の一部でした。ちょうど位置的にはお庭だったところといわれています。』
*慶会楼の前には写真屋さんや売店などあり。
○康寧殿(カンニョンジョン)の前~宮女たちの住まい~
『宮殿内の男性は1番少なくても1人、多くて12人の宮女がいました。その宮女たちがここに住んでいました。』
○康寧殿(カンニョンジョン)~国王の寝室~
『昔は挨拶で康寧という言葉を使っていて、国王が健康で安らかになる場所、つまり国王がお休みになられる場所を現しています。その当時、国王は外部の敵から身を守るため一所で寝ることはなく、数箇所の殿を移動しながらお休みになられました。また康寧殿の中は家具や家財道具などは一切置くことはありませんでした。それも敵が家具などの後ろに潜む危険を予め防ぐためです。中はオンドルの利いた9つの部屋が碁盤の目上に並んでいて、その中央の部屋で国王の部屋で、周りの8つの部屋は女官が宿直していました。食事は毒味などのために3人の宮女と一緒に1日に5回摂られました。朝晩の2回は韓定食のような豪華な食事をされ、その間の3回はお粥などの簡単な食事でした。』
○交泰殿(キョテジョン)~王妃の寝室~
『ここは康寧殿のすぐ後ろにあった王妃の寝室です。王妃の住まいなだけに、景福宮の中で最も華麗に飾られ、表は両儀門(ヤンウィムン)で康寧殿と通じ、裏には人工庭園である峨嵋山(アミサン)が広がっています。普段は建物左側で生活していましたが、国王が来た時だけ右側に移動されました。その右側はお産をするところでした。』
○峨嵋山(アミサン)の煙突~交泰殿の裏庭+オンドルの仕組み~
『景福宮のすべての建物はオンドル部屋になっていて、下の方に炭を焚く窓、後ろにはその煙を外に排出する煙突が立っています。交泰殿も裏庭の方に回ると、オンドル用の炭の焚き口があり、地面の下には煙の通路が張り巡らされています。』
『交泰殿の裏庭は、限られた人だけ出入りできるプライベートなお庭でした。傾斜面には長く整えられた石を4段に積んで花壇を造り、段の上には梅、ボタン、ユスラウメ、クロフネツツジなどの花の咲く木や松の木、エノキ、ケヤキなどを植え、園林が造られました。
また煙突の前に大きな木がありますが、昔から家の真ん中に木を植えることは縁起が悪いとされてきました。なぜならば漢字で"困る"という時を書くと、中央に"木"があり、つまり貧困を意味することになるので、木を植える時は真ん中を避けて植えられました。』
今日のおじさま方はガイドさんに頼んでもともと1時間10分のコースを1時間にしてもらい、ここまでで解散~!
『韓国でのさようならでお別れしましょうか?韓国語では、送りだす人が去っていく人に向かって"アニョンヒカセヨ~"、去っていく人が送ってくれる人に向かって、"アニョンヒケセヨ~"といいます。それでは、アニョンヒ、、○×△#&%。ではさようなら。』
それから1人ぽつ~んと残ったナビは、ガイドさんの案内で最後の見学地、香遠亭(ヒャンウォンジョン)へ。
○香遠亭(ヒャンウォンジョン)~国王の散歩道~
☆フォトポイント:手前ちょっと左から撮るといい絵が撮れますょ。
『ここは、1867年に高宗が乾清宮(コンチョングン)を建てる時に作ったもので、池の真ん中に島、その上に東屋を造り、陸と島の間に木造の橋を架けて散歩を楽しんだところです。ウェガリ(あおさぎ)がいつも1人で寂しそうに佇んでいるので、昔ここで亡くなった妃の化身だといわれています。』
国立民俗博物館あり!
香遠亭を背に左側に行くと、国立民俗博物館があります。こちらも時間がある方は是非どうぞ。韓国の伝統民俗の研究・保存・普及・宣伝の役割を担っている伝統生活史博物館です。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2004-04-26

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