明洞に行ったら、こんな歴史的建物もチェック!
こんにちは、ソウルナビです。旅行で明洞(ミョンドン)を訪れる皆さん、明洞はショッピングをするだけ、食べるだけのところって思っていらっしゃいませんか?たしかに明洞はソウル一の繁華街のうちのひとつ。ですが実は明洞には韓国の近代史を象徴する歴史的な建物がいくつかあり、中にはリノベーションしてきれいに生まれ変わり、訪れる人たちから親しまれている建物もあります。また韓国の有名な近現代建築家が設計したビルもあるんですよ~ショッピングやグルメの合間にお散歩がてら、腹ごなしにちょっと明洞の建物観光に出かけてみませんか? それではさっそく出発!
■明洞聖堂/ミョンドンソンダン
史跡第258号に指定されている「明洞聖堂」は、ゴシック様式で建てられた韓国最初の煉瓦聖堂で韓国で最も歴史が古い大きなカトリック教会。フランス人のコステ神父の指揮の下、日本統治時代より前の1898年に完成。この明洞聖堂では建物の老朽化に伴い2000年代から補修工事が進められ、2011年からは総合プロジェクトとして4段階に分かれた拡張工事も始まりました。その第1段階のプロジェクトとして2014年9月、YWCA会館の向かいに新館ファミリアチャペルが完成、そのファミリアチャペルとカトリック会館を結ぶスペースを利用して複合文化スペース「1898明洞聖堂」も誕生しました。
■カトリック会館/カトリッフェグァン<A>
明洞聖堂の横にレトロモダンな建物は。韓国の有名な建築家金正秀(キム・ジョンス、1919-1985)が明洞聖母病院として建てたもので、1958年竣工。現在はカトリック会館となっています。当時最新の工法で建てられ、ガラス、アルミパネルを多様に組み合わせた外壁は当時大変目を引いた、といわれています。
■明洞芸術劇場/ミョンドンイェスルクッチャン
日本統治時代、映画館・劇場の明治座として1936年に完成。玉田橘治による設計で、ルネサンス様式の大変優美な姿の建物です。1959年から1973年までは国立中央劇場として使用され、数々の演劇の舞台や歴史的な舞台となりました。しかしその後、国立中央劇場が南山の麓に移転すると現代投資信託証券が入ったオフィスビルとなっていました。しかし2009年6月5日、明洞芸術劇場としてリニューアルオープンしました。
■ある商業ビル<B>
京城株式現物取引所として建てられ、その後大韓証券取引所として使用された3階建ての重厚な建物がかつてありましたが、2005年から撤去がはじまり、現在はきれいなビルが建っています。
■韓国銀行貨幣金融博物館/ハングンウネン・ファペ・クミョン・パンムルグァン
東京駅や日本銀行本店の設計を手がけた建築家辰野金吾の設計で、日本統治時代の1912年に朝鮮銀行として竣工した歴史的建造物です。1945年以降は韓国の中央銀行にあたる韓国銀行の本館として使用されてきましたが2004年、貨幣専門の博物館「韓国銀行貨幣金融博物館」として生まれ変わりました。ただし建物は朝鮮戦争で多くが破壊され、戦後再建されました。建物の中に貨幣博物館があります。
■韓国銀行別館/ハングンヌネンピョルグァン<C>
こちらは1933年、東京火災保険株式会社京城支店として完工した建物。現在は韓国銀行別館として使用されています。設計は渡辺仁で、銀座の和光(旧服部時計店)や横浜のホテルニューグランドを設計した有名な建築家です。外観は韓国銀行本店の建物のリニューアルと共に変わり、現在に至っています。
■新世界百貨店/シンセゲペックァジョン
1930年、三越百貨店京城支店として竣工した建物。鉄筋コンクリート造りの4階建てですが、戦後5階部分が増築されました。1948年の大韓民国建国後は米軍のPX(購買部)となり、その後は東和デパート、そして1969年に新世界百貨店として営業開始し、現在に至ります。2005年、外観を生かした形でリノベーションされましたが、現在も外見や入口、内装に当時の三越の面影を見ることができます。
■ スタンダード・チャータード銀行明洞支店<D>
朝鮮貯蓄銀行本店として1935年に竣工した建物。銀行建築として初の鉄骨・鉄筋の構造を持ち、外壁には花崗岩が使用されました。朝鮮戦争のときの被害が少なく、原型をよくとどめているといわれています。1958年に第一銀行本店、2005年にスタンダードチャータード銀行明洞支店が入り、現在に至ります。
■韓国電力公社/ハングンチョンニョッコンサ<E>
地下鉄2号線ウルチロイック(乙支路入口)駅6番出口すぐ、ロッテ百貨店本店の向かい側にあるのは、1928年に建てられた旧京城電気本社。登録文化財第1号に指定されています。ソウルで初めてエレベーターが設置され、約580個の電灯がつけられた近代を象徴する建物でした。1965年に2階分増築され、今も韓国電力公社の社屋として現役の建物です。
■韓国電力公社別館/ハングンチョンニョッコンサ・ピョルグァン<F>韓国の有名な建築家である鄭寅国(チョン・イングッ)と姜明九(カン・ミョング)が設計し、1962年に建てられました。隣の本館の雰囲気とよく合っています。特徴は景福宮(キョンボックン)の慶会楼(キョンフェル)のような1階部分の柱。現在は駐車場になっていてその存在感は薄れていますが、近代建築と韓国の伝統をうまく合わせようとした建築家の思いが伝わってきます。
■ロッテヤングプラザ
日本統治時代に日本資本の百貨店「丁子屋」として1921年にオープン、独立後の1954年に美都波(ミドパ)百貨店としてうまれかわりましたが2002年、お隣りのロッテデパートに買収され、現在はロッテヤングプラザとして営業しています。基本的な形は昔のままだといわれています。