KFCの済州島旅行記 牛島編

珊瑚の浜辺で泡盛乾杯一気飲み!

登場人物紹介
前 : 八田氏@K・F・C
年齢 : 26
国籍 : 日本
性別 : 男性
職業 : コリアン・フード・コラムニスト
担当 : カメラマン&旅日記係
口癖 : 写真撮るから動かないで!
別名 : 居酒屋で韓国語を学んだ男

名前 : トナリさん
年齢 : 30歳
国籍 : 韓国
性別 : 男性
職業 : 大学院生
担当 : 運転手&一気飲み振興係
口癖 : 飲まなきゃでしょう。
別名 : 5次会の帝王

名前 : スミレさん
年齢 : 28歳
国籍 : 韓国
性別 : 女性
職業 : ウェブデザイナー
担当 : 交渉係&食料確保主任
口癖 : 眠い……。
別名 : 飲み会のしんがり

名前 : 石田さん
年齢 : 28歳
国籍 : 日本
性別 : 男性
職業 : 大学院生
担当 : 会計係&済州島ガイド
口癖 : お腹減ってない?
別名 : 酒ビンを枕にする大学院生

1日目

釜山に着いてからチケットの関係で1日無駄にし、やっと乗れた船で済州島まで11時間。20日早朝に済州港へ到着し、そこから牛島(ウド)行きの船が出ている城山浦(ソンサンポ)までタクシーで1時間。城山浦からさらに牛島行きの連絡船に乗って15分。僕は長い長い旅を終え、ようやくみんなの待つ牛島に到着した。遠いだろうとは思っていたが、事前の想像をもはるかに越えて牛島は遠い島であった。連絡船からは、石田さんが最高に美しいといった牛島の姿が見えた。あそこが角であのあたりが鼻先かなあ。フェリーの中からやっとたどり着いた牛島の姿をしみじみと眺める。ふと後ろを振り返ると、そこは済州島八景にも数えられる城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)があった。ここからの朝日は本当に素晴らしいと聞く。
船が牛島港に到着した。漁船を一回り大きくしたような連絡船からは観光客とおぼしき人たちが続々と降りていく。大学生らしきグループ、家族連れ、カップルなどなど。やはりこの美しい離れ島を訪れる観光客は多いのだろう。
僕は港の公衆電話から石田さんに電話を入れた。
「到着しましたあ。今、牛島港です!」
「あ、着いた。じゃあ珊瑚沙(サノサ)海水浴場ってところまで来てくれるかな。僕らその近くに昨日は泊まったんだ。港からだと……歩いて1キロぐらいかな。」
 歩いて1キロ……。ここまで来るだけでも大変な苦労だったのに、まだ歩けってかい。背中に抱えていた大荷物はこれまでの長い行程の疲労を吸い込んで、さらにずっしりと肩にのしかかってきた。このとき、僕は石田さんに対し軽い殺意を覚えた。

畑仕事をしているおじいちゃんやおばあちゃんたちに道を尋ねながら、僕はヨタヨタと牛島の道を歩いていく。黒い溶岩を積んで作った石垣に白い道。石垣で囲まれた畑。そして海を越えて遠くに見える済州島。おおおお、これは本当に美しいぞ。
空が広いのも素晴らしい。なにしろこの島はもっとも高いところでもわずか132m。高いところがないということはその分、視界をさえぎるものがないということ。自然、目の前にも空が現れ、空そのものがすごく広く見える。
 海岸線沿いに出たところで、道の先に白い浜辺が見えた。距離的にもあそこが珊瑚沙海水浴場だろう。道を離れて砂浜を歩く。と、遠くから「おーい」と僕を呼ぶ声が聞こえてきた。浜辺を見下ろすベンチに3人が並んで手を振っている。僕は「来たぞお!!」とひとつ大声で叫んで、みんなの元に駆け寄った。
「いやあ、よく来たねえ」
とスミレさんがにっこり笑う。ああっ、苦労はしたけど来てよかった。
「海みてごらん。海。」
 スミレさんが海のほうを指差した。珊瑚沙海水浴場という名前の通り、そこは真っ白い珊瑚の浜だった。そして海は鮮やかな碧色。海の深さによって色が微妙に変化していく本当に水のきれいな海だ。韓国本土では絶対に見られない、南国のビーチが牛島にはあった。
「すごい!」
思わず驚嘆の声をあげる。
「だが、ここではないのだ。」
海の美しさに息を飲んだ僕の横で、トナリさんがつぶやいた。
「え?」
「トナリさんは大学の卒業旅行で1度この牛島に来ているんだけど、そのとき見た海がものすごくきれいだったっていうんだよ。で、きっとこの珊瑚の浜だろうと思って来てみたんだけど、やっぱり違うんだって。」
 石田さんが解説を入れてくれる。
「だから、これから裏側の浜辺に行くことにしたんだ。」
「え……。」
 ようやく珊瑚沙海水浴場に着いたばかりだというのに、一同はさらに別の海水浴場に出かけると言う。しかもその海水浴場は島の反対側。いくら小さい島とはいえ、西の浜から東の浜まで横断するにはけっこう距離があることだろう。
「じゃあ、歩こうか。」
トナリさんがにやっと笑った。
その笑顔に対し、僕はさらなる殺意を抱いた。

下古水洞(ハゴスドン)海水浴場に到着するや、トナリさんが言った。
「うーん。ここでもない。」
「ええっ、牛島には海水浴場2つしかないんですよ。」(後にもうひとつあることが判明)
「ここだったかもしれないし、さっきのところだったかもしれない。」
「…………。」
「それを考える前に、お腹減ったから昼飯にしませんか。」
と石田さん。僕らは海を一望にできる店に入り、コドゥンオチョリム(サバの煮物)とヘムルジョンゴル(海鮮鍋)を2人分ずつ頼んだ。そこには済州島といえば海産物、という単純な思考パターンが働いていたと思われる。ちなみにサバは済州島の名物として有名。サバの煮物、サバのスープ。そして済州島ではなんと痛みの早いサバを、刺身で食べることもできる。済州島に行ったらサバを食え。これは鉄則である。
 ヘムルジョンゴルはまあまあという味だったが、コドゥンオチョリムは「まあ!」という味だった。この旅行に突入してから、どうしたことか異常なまでに腹が減って、腹が減って仕方ないという石田さんが、ヘムルジョンゴルそっちのけでサバをたいらげていく。なかなか減らないヘムルジョンゴルとは対照的に、コドゥンオチョリムはあっという間にすっからかんになった。
「コドゥンオチョリムはおいしかったねえ。特にカボチャがいい味を出していた。」
「え、カボチャ?今のジャガイモじゃなかった。」
「あれ、俺は大根だと思ったんだけどなあ。」
 おいしくは食べたものの、どうやらあまりよくわかっていない一同であった。
食事の後、石田さんがちょっとトイレにたったときにこんな話が出た。
「牛島に2泊するって大学の友達に話したらさ、お前はアホかって言われたよ。」
「あはは、あたしも言われた。牛島なんて半日もあれば全部見て回れる広さだから、もっと他のところを見てきなさいって。」
このトナリさんとスミレさんの会話は実に韓国人らしい。最初の2日間は牛島に泊まり、残りの2泊を済州島のどこかで泊まるという日程は、石田さんによって組まれたものである。昨年来た牛島の美しさに感動した上での2泊とのことだったが、韓国人ならばまずこういう日程の組み方はしない。気に入ったところをじっくり見たい日本人(石田さん)と、せっかちに出来るだけたくさんのところを見たい韓国人という図式がそこにはある。韓国人にとって牛島で2泊というのは衝撃的な日程なのだ。
「あ、でも石田さんには内緒だよ。」
 トナリさんはそう言って、にやっと笑った。

「じゃ、あたし寝るから。」
 と海を目前にして早々昼寝に入ったのはスミレさんである。この人は完全な深夜体質で昼間はほとんど眠りながら行動している。食後にと買ってきた缶コーヒーをぐーっと飲んだかと思うと、次の瞬間にはもう寝息をたてている。実に不思議な人だ。このあと僕と石田さんとトナリさんはいくらか海に入って遊んだが、スミレさんは結局ほとんど寝ていた。僕らは泳いだり砂浜に絵をかいたりしながらひとしきり浜辺で遊び、その後海水浴場の右手に見える飛陽島(ピヤンド)という突端のような島へ足を伸ばした。
島とはいっても、橋でつながっており歩いて行ける。民泊ひとつがあるだけの、さらに小さな島である。ただでさえ小さい牛島に、さらに寄りそうような飛陽島。ただしここから見る海が素晴らしかった。突端の島であるため、視界に障害物がなにもない。ただただ海だけが見える。僕らは石を組んだ高台のような場所で海をみつめ、のんびりとした時間を過ごした。
4人の中で唯一交渉能力にたけたスミレさんが、民泊のおばちゃんとのやり取りの末、3万ウォンで部屋を借りることに成功した。この日の夕食代が4万6千ウォンであることを考えると、これは破格の値段である。1人あたり7500ウォン。日本円にして約750円の宿泊費だ。
「狭い上に、シャワーのお湯が出ない。」
とスミレさんはぶつぶつ言っていたが、それまで過酷な船旅を続けていた僕にとっては、揺れない床があるだけでも幸せだった。エアコン完備とまではいかないものの扇風機があり、テレビもついている。料理をする場所や食器関係も揃っており、この値段だったら充分じゃないのと僕は思った。
 部屋で荷物を下ろし、僕らはシャワーを浴びた。それぞれがシャワーを浴びる間、見ていたMBCのドラマを最後まできっちり見終えたところで、一同「さて」という雰囲気になった。夕食は数時間前にしっかりとっている。夕食は夕食。宴会は宴会できちんと分けるのが韓国式だ。しかも今日はせっかくの旅行。ここは盛大に飲まねばならない。話を聞いたところによると、昨日も珊瑚沙海岸の浜辺に出てビンビールを大量消費したという。実はこの3人、僕の友人の中でも特にのんだくれな人たちなのである。ちょっとだけ脱線して彼らの逸話を紹介してみる。
まずトナリさんこと、人呼んで「5次会の帝王」。この人は飲み会と聞けばどんな遠くであれ、またどんなに遅い時間であれ必ず駆けつけてくる。いかなる事情があるとはいえ2次会で帰るような軟弱者は許さず、自分が奢ることになってもいいから5次会までは飲みたいという剛の者である。
 次にスミレさんこと、人呼んで「飲み会のしんがり」。例え朝まで続く飲み会であっても、途中で帰ることは絶対にしない。2次会、3次会と段々人が減ってくる中で、ふと気がつくと必ずスミレさんがいる。夜がふけていくに従ってテンションがあがる、完全深夜体質という女傑である。
 そして石田さんこと、人呼んで「酒ビンを枕にする大学院生」。論文を読むよりも、焼酎のラベルを眺めている時間のほうが多いとウワサされている。彼の下宿に遊びに行った友人によれば部屋一面に焼酎の空きビンが転がっていたという。飲み会だけでは飽き足らず、1人でも酒盛りをしてしまうアル中1歩手前の猛者である。
 最後にわたくしK・F・Cこと、人呼んで「居酒屋で韓国語を学んだ男」。留学中は連日明け方まで痛飲し、2日酔いのまま授業に出ることがほとんど。飲むほどに韓国語がなめらかになり、特に記憶がなくなってからの韓国語が最も流暢だとされる。その飲み方は韓国人が恐れをなして逃げるほどとも言われる飲み会の申し子である。

そんな4人が旅行に来たのだから、飲まないわけがない。それも激しく飲むに違いない。僕はそう思って、密かに日本から酒を持ちこんできた。持ってきたのは沖縄の泡盛である。韓国を代表する南国の島で同じ南の島の酒である泡盛を飲む、というのはなんとも風流な話ではないだろうか。済州島を訪れる日本人は多かれど、牛島まで来る日本人はそうたくさんではあるまい。その中でさらに泡盛を飲んだ人物といえばこれは皆無だろう。史上初、牛島で泡盛を飲む宴会。これはネタ的にも素晴らしい。アルコール度数43度。10年寝かせた古酒という、相当にグレードの高い泡盛を僕はザックに忍ばせて割れないよう大事に牛島まで持ってきた。
「む。これは米で作った酒だね。」
 トナリさんがフタを開け、匂いを嗅いで言う。
「おお、それがわかりますか。泡盛はタイ米を原料にして作るんですよ。」
「これは上質のマッコルリの香りに似ているねえ。」
 と言ってトナリさんはグフグフと幸せそうに笑った。
借りてきた焼酎用のグラスに泡盛を注ぎ、一同目の高さでカンパイ。ふと横を見ると石田さんが真剣な面持ちで泡盛の匂いを嗅ぎ、陶然とした表情を浮かべている。僕も香りを少し楽しんで、グラスに口をつけようとしたその時。
「うん、これはうまいっ!」
 見ると満面の笑みを浮かべたトナリさんのグラスは、すでに空になっていた。うわっ、この人、43度の泡盛を焼酎グラスで一気飲みしてる。日々25度の焼酎を日常的に一気飲みしている韓国人とはいえ、アルコール度数で倍近い泡盛を同じペースで飲んでしまうとはやはり5次会の帝王。
「ああっ、なんてもったいないことを……。」
 泡盛の価値を知る石田さんの口からため息にも似たセリフがもれる。
「うん。おいしいね。」
 見るとスミレさんのグラスもすでに空だった。こうなってはもう仕方がない。僕と石田さんは顔を見合わせた後、同時にグラスの泡盛を一息で干した。
 ゆっくり味を楽しみたい日本人。ぐいっと景気よく飲みたい韓国人。旅行に来て生活をともにすると、細かい文化的な違いが現れて面白い。この後はグラスの酒をぐいぐいあおる、いつも通りの宴会。夜12時を過ぎて始まった宴会は明け方5時まで続き、4合ビンに入った泡盛はあっという間になくなってしまった。意識の朦朧とした状態で洗い物をし、眠りにつく直前、石田さんの「明日は8時に起きて9時に出発」というセリフを聞いたような、聞かなかったような気がする。

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関連タグ:八田靖史

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2002-10-18

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