fuktokの韓国民俗村比較訪問の旅(2007年8月)

安東河回村と慶州良洞村を3日間で廻ってきました。

8月12日(日)
テジョンから安東(アンドン)、そして河回村(ハフェマウル)へ


大田(テジョン)滞在4日目、イベントは前日無事終了、いよいよ民俗村訪問への旅立ちです。朝6時前に起床して、市内の儒城(ユソン)温泉にあるホテルを出発。まずは今年春に延長された地下鉄の儒城温泉駅まで歩き、1100ウォンの切符で大田駅に向かいました。今日の行き先は慶尚北道の安東(アンドン)市郊外にある河回村(ハフェマウル)。大田市内の東部バスターミナルから直通バスが出ていて(1日12便)所要時間は2時間半。
大田駅からはタクシー(3000ウォン)で東部バスターミナルまで行きバスの切符を買います(12,300ウォン)。発車は7時半、定刻に出発しで乗客はたった5人でした。座席は3列リクライニングシートで快適。国道1号:京釜高速道路の大田ICから入って、しばらく南に走ります。空は曇り、今にも雨が降りそうな天気。バスは亀尾(クミ)市で高速を下りて市内を抜け、東に向かい、しばらくして架山(カサン)ICから国道55号線に乗って目指す安東へ。安東一帯は1999年にエリザベス女王が訪問してから一躍世界的な注目を浴びるようになった地域で、特に女王が泊まった河回村は、韓国儒教文化の歴史を残す古い家並みの民俗村として人気のスポットです。

10時過ぎに安東バスターミナルに到着し、今回道案内をしてくれる柳(リュ)さんと待ち合わせ。柳さんは大田の大会で毎年お世話になっている忠南大学の金先生の奥さんの家族で、河回村の柳一族の子孫です。安東周辺には観光名所が多いのですが、時間の制約で屏山書院(ピョンサンソウォン)と河回村に絞り、車での案内をお願いしました。市内を出て国道34号線を西へ、醴泉(イェチョン)、聞慶(ムンギョン)方面へ進み、豊山で脇道に入ると辺りは一面陸稲畑。河回村と屏山書院の分岐を左へ曲がると、道も未舗装に変わりました。対向車が来たら、すれ違いも出来ない狭い道です。我々の車も屏山書院の近くで観光バスに出っくわし、30mほど後退を余儀なくされました。

11時、屏山書院のかなり広い駐車場に到着。柳さんについて書院の正門「復礼門」から入ります。屏山書院は文禄慶長の役当時に朝鮮の首相だった柳成龍が引退して儒学を教えた学校跡です。門の両側は百日紅(ペギロン)の花が満開です。今回、あちこちでこの花を見かけましたが、無窮花(ムグンファ)とともに韓国では良く見かける花のひとつです。
門を抜けるとすぐ目の前がお目当ての晩對楼(マンデル)ですが、あいにく3グループ位の見学客に占拠されていました(笑)。あとでじっくり見ることにして、正面の立教堂、その奥の尊徳祠を外から見学します。尊徳祠は年1回、祭祀の時だけ使う場所なので普段は鍵が掛かった門の外から見るだけです。 立教堂の縁側に腰掛けて晩對楼を見下ろし、柳成龍がここで学生たちに儒教の教えを説いた数百年前に思いを馳せました。
少し人が減ったので靴を脱いで晩對楼に上がります。屋根と柱と木の高床だけの開放的な構造、正面に洛東江を挟んで屏山が迫って来ます。昔は木がもっと低くまばらで眺めが良かったのでしょうが、現在は木の勢いがやや煩わしくて、川が余り見えません。

12時を過ぎ、昼飯の時間です。自分としては、一旦案内を頼んだ以上、全て柳さんにお任せする覚悟。3時からの仮面劇に間に合わせて河回村に着ければ、他に希望はありません。ひとりで歩き回る気楽さも大事ですが、柳一族の人に村まで案内してもらえるチャンスなど、もう2度とないはず。
車は屏山書院をあとにしてさっき来た川沿いの細い田舎道を戻り、河回村との分岐の近くにある甜醤(テンジャン)の工場へと入って行きます。こんなところで昼食?と思いましたが、黙って柳さんに続くと、しばらくして何台も車が集まり、合計20人くらいのグループになり、我々も合流して韓国味噌工場の見学が始まりました。(あとで分かったのですが、このグループは柳さんもメンバーになっているインタネット仲間のオフミの集まりでした。)
韓国のあちこちから来た雑多な人間関係の中で、何がなんだか分からずにとにかく挨拶だけしてあとは工場の中を案内されるままに見て回りました。庭には仕込みが済んだ味噌の甕(かめ)が千個以上も並んで圧巻です。一通り見学が済んで、工場内の食堂で皆と一緒に昼食。おかずは安東名物の塩サバと自家製テンジャン・チゲ、かぼちゃのてんぷらにエゴマの葉といったお惣菜。地元の人が普通に食べている昼ごはんという感じでした。

1時半、食事が済んでグループと別れ、いよいよ河回村を目指します。ここから村まではほんの6キロ、道路も舗装されていて快適なドライブです。以前は屏山書院から洛東江沿いに河回村まで行くルートがあったが2003年のがけ崩れで道が寸断され、いまだに通行止めのままだそうです。しばらくすると右手にみやげ物屋のような建物が見え、それを過ぎるとすぐ、村の入り口でした。
旅行者はここで入村料を払って入るのですが、柳さんはこの村出身なので車のままフリーパスで村内に入れます。空は更に雲が増えて今にも雨が落ちて来そうな天気。そのせいか、観光客の姿は少ないようです。まずは今晩泊まる民泊(日本で言う民宿)へ。村内は全て未舗装で、車はとてもすれ違えないような狭い道ですが、外部の車は入れないので、対向車もなく、何とか進むことが出来ました。
ソウルナビのクチコミで調べて日本から電話で予約した民泊は、「南村宅」と背中合わせの場所にある「チョヨンハン・チッ」という家。日本語がすこし話せるハルモニ(おばあさん)がいます。部屋は2つ空いていて小さい部屋が30,000ウォン、大きい方が55,000ウォン。一人なので30,000ウォンの部屋で十分、広さは4畳位です。とりあえず荷物だけ置かせてもらい、柳さんの案内で村内見学に出ました。
柳さんは、この家と彼の家が近い親戚だと言うことを今ハルモニと話して初めて知ったとのことです。河回村の家の7割は柳姓で、それらは広い意味では全部親戚でしょうが、その中でも宗家、分家、そのまた分家といった区別があって、血縁の全部はとても覚えきれないようです。
民泊を出てまずは柳雲龍宗家の養真堂(ヤンジンダン)を見学、柳さんとツーショットを撮りました。ついで斜め向かいの忠孝堂(チュンヒョダン)、その裏の柳成龍遺物展示館「永慕閣(ヨンモガク)」と見て回ります。時間があれば宗家の室内も見せてもらえたのですが、柳さんも3時からまた予定があるため、外観だけで我慢しました。

そのあと、柳時元(リュ・シウォン)の生家や「北村宅」を見て3時も近づいたので、一旦村の外に出て仮面劇の会場へと向かい、会場前の駐車場で柳さんに礼を言って別れる頃、とうとう雨が降り始めました。急いで会場に入り、入り口で日本語パンフレット(1,000ウォン)を買って、ソウルナビの情報に従って、入り口左側の席に進み、前から2列目の段に座りました。そちらが劇の正面になるからです。会場は円形で中央部には屋根がなく、観客席は雨を避けられるようになっています。
3時定刻、劇団員の1人が開始の挨拶をするとすぐ、白い衣装の楽団と仮面の行列が登場し、ラッパ、太鼓、銅鑼の音楽に合わせて場内を一周、男の肩に乗った女神が目立ちます。そのあと次々に劇が展開し、毎回違った仮面の登場人物が寸劇を演じますが、言葉は分からなくても動きがユーモラスでとても面白いものです。あらすじはパンフレットに書いてあるのでぜひ最初に買っておくべき。また、最前列に座ると牛におしっこを掛けられるので要注意!(笑)
あっという間に1時間が過ぎ、劇は終了。入場は無料なので、最後に場内を回る「女神」にお賽銭をあげて外に出ました。まだ小雨が降っています。ここは村外なので、今度はお金を払って入村する必要があります。大人2,000ウォン。すぐ横にエリザベス女王来訪記念館があり、当時の写真や、女王の誕生日を祝った料理のサンプル等が展示してありました。

村の入り口を抜けて右手に進むと川沿いに土手道があり、対岸、芙蓉台(プヨンデ)への渡し舟の桟橋が見えます。雨の中、傘を差した人の列が出来ていて、舟の順番を待っている様子。2回待ちでようやく乗船の番が来ました。料金は2,000ウォン(往復)。小さな男の子が集金係。船頭はその子のおじいさんでしょうか? 舟は平底の木船で20人位乗れそう。川が浅いので棹で進む仕組みです。
川幅は60m位あり、村から見ると左から右に流れています。水深は岸の近くでは50cm位しかなく川底の砂が見えます。5時、対岸に到着。案内板に従って、まずは芙蓉台を目指します。川から垂直に30m位切り立った崖で、登り道はかなり急で、階段状の切込みはありますが、サンダルやヒールの靴ではちょっと危ない感じ。頂上までは5分位です。
頂上の見晴らし台からは河回村の全景が見渡せます。雨は止んだけど依然曇り空で残念ながら写真撮影には全く不適、それでも何枚かトライ。川と村を全て収めるには24mmくらいの広角レンズが欲しいです。対岸の駐車場に停まっている観光バスが目障りだが、動かす訳にもいきません(笑)

下に降りて川岸にある玉淵精舎を見学。なんとお堂の縁側で地元の人がバクチをやっていました。これまた写真になりにくい(笑)何とか松の木の陰に人影を押し込めて撮影。この玉淵精舎の少し先に「花川書院」があることをあとからパンフレットで知りましたが、あとの祭り。
5時半、川岸に戻って渡し舟を待ちます。夏場は6時過ぎまでやっているらしい。曇り空だがまだ日没には間があるので、村内を散策しながら民泊に戻ることに。村の西外れに何と!教会がありました。韓国のキリスト教普及率にはいつも驚かされますが、違和感は否めません。村の中心部でないのが救い。
民家は両班階級の瓦屋根と庶民の藁葺き屋根(チョガチッ)に分かれていますが、どちらも敷地の周囲は土塀で完全に囲われています。ここまで境界をはっきりさせる理由は何なのか?でもそのおかげで村の中はどこを取っても絵になる風景です。塀の上にかぼちゃが蔓を這わせ、花を咲かせて大きな実までつけていたりします。

民泊の方向に向かって歩いているうちに「南村宅」の前に出ました。民泊とは塀をはさんで背中合わせです。広い庭の中はやや荒れていて、奥の母屋に人が住んでいる気配。観光客に常に覗かれる生活はあまり快適ではないだろうなと同情しますが、今は村全体が観光で成り立っているのも事実。
更に歩き続けて村の南の川沿いに出ました。川原に観光客用のトイレがあり、道沿いにみやげ物の売店がチラホラ。大きなブランコのある公園を過ぎて土手道を北に向かうと、先ほど渡し舟を降りた地点まで戻ってしまいました。丁度村を1周したことになります。そろそろ民泊に戻る時間。
6時半、民泊に戻り、すこし休憩。食堂では日本人客が夕食を食べています。また外に食べに行くのも面倒なので自分もここで食べることに決め、20,000ウォンで「チムタク」を注文、宿泊30,000、朝食7,000と併せて計57,000ウォン。8時半に出来るというので、部屋に入って大田から持ってきた焼酎を飲みながら日記を付けて待ちます。
料理が出来たとの呼び出しで食堂に行くと、40cmはある大皿に鶏が丸々1羽、野菜と一緒に煮てあり、とても1人では食べきれない。先ほどの滞在客がまだ食事中だったので、少し手伝ってもらってようやく食べ切りました。お客の1人は韓国に駐在している日本の会社員、あとの2人は九州から観光で来た熟年夫妻でした。そのほかにも3組くらいが泊まっていましたが、いずれも日本人で、この日はお客全員が日本人だった様子。
食事を終了して部屋に戻り布団を敷く。部屋には懐かしい蚊帳の用意がありましたが、蚊は、いなかったのでそのまま扇風機だけをつけて寝ました。

8月13日(月)
河回村から安東、そして慶州(キョンジュ)へ


5時半、まだ暗いうちに起床、村の夜景を撮ろうと外に出ましたが民家は全て真っ暗、ナトリウムランプの街灯だけが明るい。これでは写真になりません(笑)。6時に街灯が消え、ようやく明けて来た薄明かりの中での写真も、あまりパッとせず、ほどほどに切り上げて川沿いの道を歩き出しました。誰もいない公園でブランコに乗り記念撮影したあと、まだ人影のない村内を歩き廻り、昨日見逃したところをいくつか見て回ることにしました。
望楼のある遠志精舎、ケヤキの巨木がある参神堂など。参神堂は行き止まりの路地の奥で昨日は見つからなかったのが、道路わきの案内板を見つけてようやくたどりつきました。こうした路地の両側も全て土塀なので、近道をしようとしても出来ません。日本の小さな神社の杜などがどこからでも入って行けるのとは大違いです。7時過ぎ民泊に戻り朝食。安東名物塩さばの焼いたものと、テンジャンチゲ、数種類のおかず、終わるとハルモニがインスタントコーヒーを出してくれました。

食後は出発の荷造りをして、自分が泊まった部屋、民泊の庭や周辺の風景を記念撮影。料金は昨日支払っているので、挨拶だけして9時過ぎに出発。安東行きのバスは9時50分発車なので、時間は充分です。村内のバス停前に居酒屋があったので、安東焼酎を買いに入りました。「一品」という銘柄の小瓶で10,000ウォン。ちなみに安東焼酎は普通の韓国焼酎よりアルコール度数が高く45度位あり、すっきりした飲み口の米焼酎です。朝から飲み過ぎは良くないので、少しだけ味わって後は持ち帰りにしました。勘定を払っているところにバスが到着。安東からの乗客はほとんど日本人のようでした。発車まで20分ほどありますが、運転手は乗車して待てというジェスチャー。1,650ウォン払って乗り込みました。ここから乗る客もほとんど日本人。

定刻発車したバスは村の入り口を出たところでも停車して客を乗せ、一路安東に向け走ります。道は川からはだいぶ離れているので残念ながら洛東江は見えません。豊山を経由して10時25分に安東のバス停(市内バス用)に到着。50mほど戻ったところにある市外バスターミナルで11時10分発、慶州行きの切符を買いました。12,000ウォン。まだ時間があるので、安東駅とその近くの5層塼塔を見学することに。駅は市内バス停の先百メートル位のところです。一応、列車の時刻表も調べましたが、慶州行きは昼過ぎまで無し。バスが正解のようです。駅の横手に塼塔の頭が見えたので、その方向に進み、駐車場の中を抜けて近づくと塼塔の周りは小さな公園になっていましたが、それだけ。 本当は少し離れた場所にある7層塼塔も見学したいのですが、そこまでの時間はありません。急いでバスターミナルに戻りました。
慶州行きは6番乗り場。11時過ぎ、バスが入ってきて乗り込むと、これも3列リクライニングシート、乗客は8人しかいません。

11時10分定刻出発。洛東江に突き当たって川沿いに右折し、橋を渡って安東市内をあとにすると、バスは対岸を昨日と逆のコースで進みます。沿道の安東焼酎工場を過ぎ、辺りはりんご畑や陸稲の畑、とうもろこし畑など、のどかな郊外の景色です。空はまた少し曇って来ました。南安東ICから高速道路に入り55号線を南進、大邱(テグ)方面に進みます。
大邱の西、琴湖JCで1号線に入り12時50分、慶州IC到着、ここの料金所は仏国寺を模したのか、瓦屋根の寺院建築風で、手が込んでいます。料金所を出てバスは北に向かい、五陵(オヌン)古墳の横を通って兄山江沿いに市外バスターミナルへ。1時にターミナル到着、安東からは2時間弱です。ここで降りたのは自分だけで、バスはまだ先に進んで行きました。ターミナルの隣に観光案内所があり、そこで日本語の地図をもらって今晩から泊まるホテルの場所を教えてもらうと、歩いてわずか200mもない距離でした。さっそく慶州パーク観光ホテルにチェックイン。設備は古いが値段相応といったところ。ここも日本から予約しておいたので問題なし。フロントには丁度日本語を話すスタッフがいました。 部屋に荷物を置いて午後は世界遺産の仏国寺、石窟庵などの見学をしましたが、その部分は省略。

8月14日(火)
慶州から良洞(ヤンドン)民俗村へ


5時半に目が覚め荷物整理。毎度のことながら旅先では早起きが苦になりません(笑)。6時半、フロントに下りて良洞民俗村への行き方を聞くが今日のスタッフは日本語が話せず、自分の片言韓国語では細かいことまでは聞けません。ともかく昨日と同じバス停で200番系統のバスに乗れば良いとの指示を受け、バスを待つことにしました。
ところが200番系統がなかなか来ません。バス待ちしているアジョシに聞くと、彼はここじゃないといって、市外バスターミナルの方向を指差します。ホテルスタッフと、このアジョシのどちらが正しいのか、あるいは2人とも間違っているのか考えながら、ともかく市外バスターミナルに行ってみました。昨日の案内所は残念ながらまだ開いていません。ターミナルの切符売り場で聞くと、ここでもなく外の通り沿いだというジェスチャー、その指示に従って川沿いの道に出ると、ちょうど200番のバスが通りすぎて行きます。あわててあとを追いかけました。
バスは少し先の停留所で停車して時間待ちの様子。運転手に良洞まで行くかと聞くと、行くとの返事、ただ出発は7時15分とのこと。まだ少し時間があるけど、乗り込んで待ちました。車内の案内板によると200番は慶州市内と安康(アンガン)、杞渓(キゲ)との間を往復しているようです。定刻発車、料金は1500ウォン、乗客は3人。バスは慶州駅を通って北に曲がり、市内をあちこち曲がって客を乗せながら進みます。路線はどうやら学校前を選んでコースを取っている様子。
その後慶州市の東を南北に貫く幹線、国道7号に乗ってようやく郊外に出ました。浦項(ポハン)まで25キロの標識。小降りの雨の中、バスは片側2車線、中央分離帯のある道をかなりのスピードで走ります。途中、浦項行きの20号自動車道と交差し、ひたすら北へ。前の席に座っていたのでスピードメータを見たら、何と針はゼロを差しています! 実際には100キロ近く出ているはず。このバスは本当に大丈夫?
道は一旦右に大きくカーブし、すぐ左にS字カーブを描いて川を渡りました。浦項に向かって流れる兄山江です。渡ってすぐ、川の対岸を戻るように西に向かい、少し走ると前方にまた橋が。この橋の手前で運転手が降りろという合図。良洞に行くのを覚えていてくれたようです。あとは徒歩で北に向かうことを事前にソウルナビの記事でチェックしてあるので、この先は何とかなりそう。幸い雨も上がって時々薄日も差しています。
バスを下りると目の前をハルモニが一人、まだ傘を差して歩いています。その後について広い舗装路を北に向かい歩き始めました。左に杞渓川(安楽川)、右に鉄道の線路があり、プラットホームが見えます。無人駅のようです。5分ほど歩くと、道は鉄道の下をくぐります。その手前に「慶州良洞情報ネット村」というような看板が立っていますがまだ人家は見えません。また少し歩くと左手に学校のような建物(良洞小学校)が見えて来ました。その後ろの斜面には瓦屋根の古そうな家並みも。いよいよ良洞民俗村に到着です。

小学校を過ぎて右手にある村の会館兼案内所に着いたのは8時過ぎ。会館の中にはまだ誰もいません。(帰りがけに再訪したら、男の人が出て来て、日本語の立派なパンフレットをくれました。最初にこれがあったらずっと効率的に見て回れたものを・・・)壁に村の地図が貼ってあり、赤や黄で着色してある家がどうやら文化財指定らしい。その位置を大体頭に入れて外に出ました。地図によると会館の前の道が東西にのびる村の大通りで、その北側には狭い畑があります。この谷道をはさんで村は北向き斜面と南向き斜面に大きく分かれ、南向き斜面には南北に走る小道がいくつかあるという地勢で、主要な古家は当然南向き斜面に点在しています。国の宝物に指定された3軒の古家も全て南向き斜面にあります。
8時10分、まずは北向き斜面の家から見て回ることに。天気は曇り、相変わらす小雨が降ったり、晴れ間が出たりの不安定な状態で写真撮影には微妙な条件です。うまくやれば晴れから雨までの違った写真が撮れるのですが、なぜか太陽が欲しいときに雲が懸かることが多い(笑)。会館のすぐ裏に古家が1軒あり、早速、門から中を覗いて見学開始、この後見て回る古家も同様ですが敷地は周囲を塀で囲われているので、人が住んでいる家を見るのは門外からに限られます。この家(二香亭)は現住の古家で住人の気配がありました。
二香亭を回った東側に「講学堂」という19世紀半ばに建てられた書堂があり、ここは無住なので近くまで寄って見ることが出来ます。更に東に進むと同じく無住の「心水亭」に出ます。この村の出世頭、李彦迪という人が16世紀に弟のために建てたもので、門から入って左、西側に突き出した柱だけの空間がとても良い。ここから見た対斜面の家々や遠くの杞渓川の流れは確かに心を水のように静めてくれそうです。今は大きな木が茂って視界が狭まっていますが、それもまたひとつの雰囲気です。
心水亭を出て、通りに戻ると、食堂がありますが、平日の午前だからか人影は見えません。子犬が一匹、路上に寝そべっているだけ。縁側に唐辛子を干している家もあります。静かな村です。更に東に進むと「杜谷古家」という案内板がありました。小道を入って行くと大きな家で、人の声がするが門は閉まっています。河回村と違ってここ良洞村は、住民の生活が観光より優先しているという感じがします。その善し悪しは別として、外国から訪れるものにとってはちょっと敷居が高そうです。その奥に杜谷影堂という建物があり、こちらは無住で門も開いていました。9時、道の南側はここまでにして、いよいよ北側に移ることに。

通りをまた少し東に行ったところで北に入る小道を見つけ、まずはここから。(後でパンフレットを見ると、ここは「内谷」という道)100mほど進むと「守拙堂・養拙亭」という案内板があります。それに従って、かなり急な坂道を登ると突き当たりに李彦迪の4番目の孫が建てたという「守拙堂」がありましたが、ここも現住のため門とその横の縁側しか見ることが出来ませんでした。縁側に祭祀の時の装飾でしょうか、藁で飾った門のようなものが作ってあったのが目につきました。ここの半月庭園というのがパンフレットには載っていますが、入り口が封鎖されていて入ることは出来ません。
塀の外側を回って裏山の方に足を伸ばすと、尾根筋に出て、そこから西側の谷(勿峰谷)とその手前の古家を見下ろすことが出来ます。のどかな山村風景です。引き返して守拙堂の下の養拙亭をちょっと見てから通りに下りました。内谷をもっと奥まで行けば更にいくつかの古家を見ることが出来たのですが、そのときはパンフレットが無くて、分からなかったのが残念です。
9時半、通りに出て西に戻り、次の谷道:勿峰谷に入りました。通りの途中に以前は赤い屋根の教会があったようですが、今は取り壊されていて、ありません。景観保護のためには大変良い判断だと思います。さっき尾根から見たときに、対斜面に真っ青なFRPの簡易トイレ?が見えていましたが、観光客用の設備にも、もう少し配慮をして欲しいと思います。配慮といえば、村内の道路脇に立つ電柱も、何とかならないものでしょうか? 河回村では電線を地下に埋設して、電柱を極力減らしていましたが、そのおかげで村内どこにカメラを向けても、邪魔な電柱や電線が画面に顔を覗かせることはほとんどありませんでした。
閑話休題。勿峰谷には宝物指定の「無添堂(ムチョムダン)」があります。通りから曲がって北に進むとすぐ右手の小さな丘の中腹に立派な塀囲いの家がありました。そこも見学しようとアプローチの道を上って行くと「現住家屋につき見学謝絶」の立て札が立っています。仕方なく元の小道に戻ると、韓国人親子4人のグループに出会いました。この親子が今日、村の中で話した最初の人たちでした。挨拶をすると話しかけてきたので、片言で日本から来たと伝えると、自分たちはソウルから夏休みの旅行で来たとのこと。この村には無住を含めて160軒の家があるそうですから、人口は5百人位でしょうか。小学校だけは立派ですが人の姿をほとんど見ません。たまに庭先で作業をしている人を遠くから眺める程度。 親子と別れて谷間の道を進み、150mほどで右側に門とそれに向かう階段道が見えて来ました。無添堂です。谷の東斜面に建っています。

門を入るとかなり広い庭で、右側に今も人が住んでいる棟があり、左に無添堂、更に斜面の上には先祖を祀る祀堂のような建物が見えます。ここは李彦迪の父親が住んでいた家とのこと。今もその子孫が住み続けているのでしょう。無添堂は心水亭と同じようにL字型の配置で、向かって左に突き出した高床の部屋があります。さっき守拙堂の裏山から見えたのはこの無添堂でした。
10時、無添堂を出てその奥の対聖軒(現住)を覗き、通りに戻ました。次は「香壇(ヒョンダン)」(これも宝物指定)、村一番の屋敷です。朝、村に入ってきた時から小学校の後ろの山に見えるこの建物がいやでも目に付いて、気になっていたのですが、もうひとつ気になったのは、屋根の修理のためにトタンの覆いがかぶさっていたからです。2007年一杯は補修工事で見学できないし、外観もトタンの覆い屋根のため、写真にならないのは残念です。門前まで坂道を登って塀際から見下ろすと、村の入り口、村会館から小学校、川沿いのバス停へ続く道が見えます。

失望の香壇をあとにして第3の宝物古家「観稼亭(カンガジョン)」に向かいました。村に入ったときに最初に目に入った丘の中腹の古家です。ここが良洞村の西外れで、小学校はすぐ目の下になります。チャングムでおなじみ、中宗王の時代の廷臣、孫仲暾が住んでいた家で、宝物に指定されるだけあり、西を流れる杞渓川の流れが見下ろせる眺めの良い立地で、正面に村の南の山:聖主山が望めます。立派な門をくぐると西側が高床の四阿(あずまや)風な亭、奥には祠堂もあって両班の家としてひとつの典型を示しているそうです。 私もここが一番気に入りました。10時半、観稼亭見学終了。今も子孫が住むという藁葺き屋根の家を過ぎ、通りに戻る手前に小さな祠のようなものが見えたので立ち寄って見ました。あとでパンフレットを見ると、戦で殉死した孫氏の先祖を讃えるための碑閣:族忠碑閣とのこと。

この後、案内所に寄ってパンフレットをもらったことは既に書いた通り。また空が暗くなり、雨がポツポツと降り出す中、慶州行きのバスに乗るため来た道を引き返しました。15分ほどで杞渓川に架かる橋まで戻り、道を渡って橋のたもとのバス停でポンチョを着て本降りになった雨をしのぐこと10分余り、橋の向こうの安康(アンガン)の方から201番のバスがやって来ました。往きと同じつもりで1500ウォンを入れると運転手は500ウォン釣りをくれます。このバスはいわゆる一般バスで、料金が安いらしい。座席バスと比べて、椅子席が少ないのが相違点のようです。(往きのバスは前向き2人掛けシートが通路の両側に並んだタイプ)
バスは降り出した雨の中、来た道を逆に走って慶州市内に向かいます。途中、追突事故の直後らしい現場を通り抜けたりしながらバスは100キロくらいのスピードで飛ばしますが、慶州の手前で渋滞に入りました。また事故か?と思ったら数分で渋滞は解消。どうやら自然渋滞のようでした。

8月15日(水)
慶州からソウル、仁川、そして帰宅の途に


11時半過ぎ、慶州駅前に到着。ここで降りて明日のソウル行きの時刻を確認し、あとは民俗工芸村、慶州博物館、大陵苑を見学しましたが、それはまた省略。午前半日4時間の良洞民俗村見学でした。費用は往復のバス代2,500ウォンだけです。

翌日、慶州からソウル、仁川へは電車、KTX、地下鉄、A‘REXを使ってみました。そのルートとスケジュールは下記の通り:
7時10分、ホテルをチェックアウト。タクシーをつかまえて慶州駅へ。料金は1,200ウォン。窓口で7時44分のセマウルで東大邱まで、そこからKTXに乗り換えソウルまでの切符を買う。44,100ウォン。
7時40分、セマウル号入線、7時44分、定刻発車、発車のアナウンスは無い。
8時52分、東大邱駅9番ホームに到着、下車して同じホームでソウル行きKTXを待つ。
9時2分、KTX入線。9時3分定刻発車。9時52分テジョン駅停車、10時34分、光明(クァンミョン)停車、10時51分、定刻ソウル駅7番ホームに到着。慶州駅からは3時間5分です。
一旦駅を出てロッテマートでみやげを買い、地下鉄駅へ降りて金浦空港行きの切符1,300ウォンを買う。
13時50分、地下鉄1号線仁川行きに乗り、新吉まで行く。14時15分、新吉で5号線に乗り換え。14時25分、5号線乗車、金浦空港に向かう。14時50分、金浦空港駅到着、仁川空港行きA’REXに再度乗り換え、3,100ウォン。ソウル駅からは合計4,400ウォン。安い。14時55分、発車。途中、桂陽、黔岩、空港荷物ターミナル駅に停車して、15時27分、終点の仁川空港駅に到着、所要時間32分、ソウル駅からは乗換えを含め、97分でした。リムジンバスと比較すると、バスが順調に行ったときは70分ですが、渋滞のリスクを考えると、地下鉄利用も悪くありません。値段は半額以下です。
地下鉄空港駅から上に上がると、そこは空港ドームの地下1階でした。空港ターミナルのB1フロアとは連絡道でつながり、出発ロビーとはエスカレータで結ばれているのでとても便利です。

以上、慶尚北道、民俗村比較訪問の旅でした。




上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2007-09-21

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