ガイドのごんちゃん、カール、ジミーと一緒に周るDMZ・英語ツアー!
-名前 : 京子 -出身地 : 新潟県新発田市 -在韓歴 : 1982年から25年間韓国に行っています。回数は・・・・分かりません。頻繁に行っていたときには、1泊2日で2ヶ月に1度の割合で訪韓していました。イミグレーションのおじさんに「トランジットか?」と聞かれました。最近は年に2、3回のペースです。 -趣味 : エアロビクスに旅行。 -コメント : 韓国が好きです!!今まで韓国に行って嫌な思いをしたことがありません。「冬のソナタ」から始まった韓流ブームは大歓迎!お隣の国です。仲良くしなきゃあ。 -
ホテルのフロントに日帰りツアーのパンフレットが置いてあった。
買い物はした。時間はある。
韓国をより良く知るために、DMZツアーに参加することにした。
DMZとはDEMILITARIZED ZOON非武装地帯のことを言う。
板門店ツアーに参加したことはあるが、今回の目玉は、北朝鮮が掘ったといわれているトンネルに入る。
ベルリンの壁が壊され、ソビエトが崩壊した今、朝鮮半島を分断する38度線が、世界でもっとも緊張している国境だと思うのだ。
宗教、民族紛争はいたるところで起きているが、同じ民族にもかかわらず、他国の綱引きで引き裂かれてしまった傷は深い。今でも親子、兄弟、親戚が会えずにいるのだから。
チャン・ドンゴンさんとウォンビンさん主演の映画「ブラザー・フット」と、ソン・ガンホさん、イ・ビョンホンさん、イ・ヨンエさんの映画「JSA」を見ると、だいたいその歴史がわかる。
色々な旅行社がDMZツアーを敢行している。ホテルのフロントで予約してもらうと、明日は英語のツアーになるという。まあ、なんとかなるだろうと、申し込んだ。
朝7時30分、ミニバンが迎えにきた。ツアーガイドは、私が日本人だと分かると、
「ごんちゃんと呼んでください」と言った。ごんちゃんは、2年間の徴兵を終えた後、2年間オーストラリアに留学していたそうだ。その時に、日本人の友達が「ごんちゃん」と名づけてくれたと言う。
ルネッサンスホテルで2人ピックアップし、今日のツアーは3人。
ジミーは、左の耳に2つのピアス。髪を逆立て、アーミー柄のハーフパンツ。
カールは、ブルーのワイシャツに皮のハーフコート、Gパンに革靴。
二人は同僚だそうだが、洋服の趣味は全然違う。
始めての出会いは、お互いかなり緊張する。
仲を取り持つのは、ごんちゃんの役目。
二人が乗り込むとすぐに私を紹介してくれて、「どちらからですか?」と聞く。
「僕達、フィンランドから来たんです」
「今までの私の人生の中で、何年の人生かは世界のトップシークレットだけれどね。始めて会ったフィンランド人だわ」と私が言うと、
「おー、今、僕の背中にフィンランドが重くのしかかってきたぞ!責任重大だ!」とジミーが叫び、あっという間に、私たちはごんちゃんを入れて4人、仲良くなった。
その後、「ジミーです」「カールと呼んでください」「キョウコです」と自己紹介したのだが、
「フィンランドでジミーって、良くある名前なの?」と聞くと、
「本当は長い名前なのだけれど、仕事柄、アメリカを始めアジア各国を回るから、ジミーにしているんだ」
と言っていた。後で教えてもらったのだが、彼らは、ノキアのビジネスマンだった。今日の夜、アメリカに発つのだという。今月末には日本に行くよと言っていた。
フィンランドでは、同棲は当たり前、子供がいても籍を入れないカップルも多い。
財布はきっちり別々。
「私、結婚式の夜に、給料全額振込みの旦那のキャッシュカードを取り上げたわ」と言うと、
「日本らしいね」と笑った。
さあ、DMZツアーの始まり。
今日は朝から雨。
すっぽりと雨雲に覆われ、霧雨が降っている。
景色は期待できないが、この4人なら楽しくなりそうだ。
左がジミー、右がカール。すっかり仲良くなった、私たち。この後もツアーは続く。
フィンランドのビジネスマン、ジミーとカールは仕事柄、よく日本にも行くそうだ。
ミニバンの外は雨。景色を楽しめないとなると、車内での会話が弾む。
「テリヤキって美味しいよね」とカールが言ったことから、
ツアーガイドのごんちゃんが訊いてきた。
「テリヤキのテリは鳥か?」
ちょっと待って、この人たちが言っているテリヤキっていったい何なのだ?
「キョウコは日本に住んでいるのに、テリヤキを知らないの?」と不思議そうにカールが言う。
説明してもらうと、彼らが言うテリヤキとは、焼き鳥、それもタレ焼きだった。
そういえば、カナダにいる時に、キッコーマンの「テリヤキソース」をよく目にした。
このソースに肉を漬けておき、バーベキューするのだ。
「北米向け日本の味らしきソース」だった。
カナダ人の友人宅に招かれた時、テリヤキソースの鶏肉を焼いてくれ、
「懐かしい味でしょう?」と言われた。
が、甘ったるくて平べったい醤油味の初めて食べるシロモノだった。
テリヤキのテリ・・テリ・・
「照りを良くするために、味醂は最後に入れましょう」の照りだが、英語で訳すと・・
光る?照る?Brightly?Shiningly?Glitteringly? お手上げだ。
「日本ではテリヤキは、魚でも肉でもタレを付けて焼くもの一般を言うのだ」と濁しておいた。
スキヤキもよく食べるよ、とカールが言った。
「家庭でもスキヤキは作るよ」と答えた。
すると、ごんちゃんが
「スキヤキのスキは牛肉の事か?」と訊く。
ちょっと、ごんちゃん、あなたはツアーガイドなのに、どうして私を困らせるような質問ばかりするの?
スキは・・・きっと農機具の鍬から来ているのだと思う。
これでお肉を焼いて食べた事から、スキヤキになったのだよ。全くいいかげんな答えだ。
ジミーとカールが日本に行ってクライアントを前に
「スキヤキのスキは・・・」なんて説明したらどうしよう。
「これは、あくまで一説だからね」と、念を押しておいた。
ミニバンは、臨津閣公園に着いた。ここで、非武装地帯に入るツアーバスに乗り換える。
この公園に、遊園地があった。
ウサギやクマの乗り物は、非武装地帯という言葉から、およそかけ離れている光景だ。
「なんでこんな所に、遊園地があるのだろう?」私のつぶやきに、ジミーが言った。
「これは、北に対するプロパガンダじゃないの?南はこんなに楽しい所だよと誇示しているのだよ、きっと」
ジミー、鋭い所を突いているかも。 板門店ツアーに参加した時に、北のプロパガンダシティーを見た。
近代的なビルが立ち並ぶその光景は、裕福な町、そのものだった。
ところが、ここには人は住んでいない。
同じ時間に電気がつき、消える。住んでいる気配もない。
もしかすると、アノ光景は絵に描いたもので、後ろにはつっかえ棒がしてあるのかもしれない。
自由の橋は、いまだ自由に行き来できず、行き止まりになっている。
第3トンネル博物館では、国境から南北2キロ、4キロ幅の非武装地帯をパネルや模型で
説明している。
ここは自然の宝庫、他の地域では絶滅した種の動物も、ここには生息している。
人が入り込まないということは、こういうことなのだ。
もっとも、入り込まないのではなく、入り込めないのだ。地雷が埋まっているのだから。
今は行き止まりの自由の橋。
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日本語で平和の祈りが書いてあった。
手持ちのハンカチに書いたものだ。
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今は行き止まりの自由の橋。
日本語で平和の祈りが書いてあった。
手持ちのハンカチに書いたものだ。
DMZツアーのハイライト第3トンネルに入る。
北朝鮮が南に向かって掘ったとされるトンネルは4本ある。
なぜか?統一という名のもとに、南に総攻撃を仕掛けるためだったという。
第3トンネルは幅2メートル、高さ2メートル、全長1635メートル。ソウルまで52キロの地点まで掘り進められていた。1時間当たり移動できる軍人の数は、完全武装の場合1万人、非武装で3万人。
発見のいきさつは、近くに住む農民が、地下でダイナマイトのような音がかすかにすると届け出た。
調べてみたら、トンネルだったという。
見つけられた北朝鮮側は
「これは、古い鉱山のあとだ」と、いくらなんでも、ものすごい言い訳をした。
さて、トンネルの入り口で、黄色いヘルメットを手渡される。
フィンランド人のジミー、カールそして私の、物見遊山3人組は、やれ、ヘルメットが小さいだの結構似合うよなどと言いながらトンネルを下っていった。
急な坂道を350メートル下る。
「この坂、いったん走り出したら、下まで止まらないね。帰りもここを登ってくるのかなあ」ちょっと
不安そうに私が言うと、ジミーが
「キョウコ、そんな事はないよ。だって、考えてごらん?ここは観光地だよ。お年よりも体の不自由な人も来るんだ。帰りはエレベーターでヒューッと戻るのさ」の言葉を言い終わらないうちに、ずっと下のほうから、年配の方々がふーふー言いながら登ってきた。
「あーー!ゴメン!僕が間違っていた。やっぱりこの道を戻るんだ!マイ・ゴッド!」
その言葉にカールが
「OH!NO!昨日の夜にヘルシンキから到着し、まだ時差ぼけしているぼくの身体には、きついなあ」
着いたばかりなのに、次の日の朝早くから観光するなんて、まるで「ヨーロッパハイライトーパリ・ローマ・ロンドン6日間の旅、見所は全てお連れします」位、ハードなスケジュールじゃない。
いよいよ、トンネルを進んでゆく。
説明パネルを読みながら、「ホー、この穴にダイナマイトを仕掛けたんだって。」
「上から、水が落ちてくるね」と話しながら歩いてゆく。
どうしても遅れがちになる私を、2人は気遣いながら待っていてくれる。
5分も歩くと行き止まりになった。
「なんだか、あっけないね。撮影禁止だけど、ここまで来たのだから、思い出になることをしよう」とジミーが言い出した。まさか落書きするわけにも行かない。
ジミーが右手を出し、私に右手を重ねろという。その上にカールが右手を乗せ、私たちは
「ファイト!OH!」
と試合前の選手のようなことをした。
何のためのファイトなのか・・・深く考えるのはよそう。
「このトンネルを使って、本気で南に攻めてくるつもりだったのかなあ?」独り言のように私が言った。
「いいや、本気で南に逃げてくるつもりだったんじゃないの?」とジミー。
ジミー、わたし、あんたの思考回路大好きだわ。
ドラ展望台からは晴れていると北朝鮮の村が見えるという。
あいにくの雨、霧雨に煙っている。
500ウォンを入れる双眼鏡があった。
あ、ここはドラマ「威風堂々な彼女」の最後のシーンに出てくる所だ。
500ウォン硬貨を入れて見てみても、北朝鮮は乳白色の霧に覆われていた。
ミリタリーサービス(兵役中)の兵隊さんが一緒に写真を撮ってくれる。
なるほど・・・・・一緒に撮りたくなるような男子だ!
それにしても、うしろのおじさん・・・・・気づかなかった!
ドラ山駅は分断された韓国側の駅。ここで行き止まりになっている。
北朝鮮を通れるようになると、プサンから朝鮮半島、中国、シベリアそしてヨーロッパにつながる。
「いつか、ここからヘルシンキに行けるようになると良いね」とカールがしみじみ言った。
ドラ山駅。
ここも兵役中の兵士が立っている。パスポートにドラ山駅のハンコを押してもらった。
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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2007-11-20