かつて有数の港町として栄えた江景。名産の塩辛&日本にゆかりのあるどこか懐かしい風景を探してプチトリップ!
こんにちは、ソウルナビです!皆さんはチョッカルってご存知ですか?韓国の食卓に欠かせないのがキムチですが、そのキムチと同じくらいよく食べられているのが塩辛類のチョッカル。韓国の塩辛はイカかやタコはもちろん、アミ(小エビ)、小魚、魚卵や腸などさまざまな種類があります。今回ご紹介する街は、韓国で最大の塩辛生産地として知られる江景(カンギョン)。韓国の西部、黄海(ファンヘ)へと流れる錦江(クムガン)の河口にある小さな田舎町なのですが、朝鮮王朝時代は平壌や大邱と並ぶ朝鮮三大市場の一つとして栄え、日本統治時代には商業の中心となり、近代的な建物が建ち並び、多くの日本人が住む町でもありました。現在は塩辛の町として季節になると、チョッカルを求めて観光客が押し寄せます。それでは、開発されることなくどこか懐かしい風景があちこちに残る、日本にゆかりのある町、江景にさっそく行ってみましょう!
江景(カンギョン)は
江景は韓国の中部の忠清南道(チュンチョンナムド)論山(ノンサン)市にあります。電車で行く場合は国鉄龍山(ヨンサン)駅からセマウル号に乗り、江景駅で下車。約2時間30分かかります。バスはソウルから直接江景に行く便はなく、高速ターミナルから論山高速ターミナルに行き、そこから一般バスに乗って江景に行くルートとなります。所要時間はトータルで2時間40分ほど。
ひっそりとした町に並ぶチョッカル屋さん
韓国最大の塩辛の産地!と聞き、江景の中心地にやってきましたが人が少ない!お店も赤や黄色の大きな看板に○○商会とあって派手だけれど、とにかく静か~でも、このゆるさが田舎町の魅力でもありますね。チョッカルの季節は10月前後。それ以外はこんな雰囲気なのでしょう。
■マンナ食堂
町歩きをする前に、まずは腹ごしらえから。韓国のマスメディアにもたくさん取り上げられている「マンナ食堂」でお昼を食べることに。こちらはチョッカル販売店と食堂、そして精肉店の3つを経営、チョッカルペッパン(塩辛定食)がとても有名なのです!
ペッパン(定食)となっているメニューはすべて2人前から。チョッカルペッパンを頼むと、塩辛がちょこっとのった小皿が次々とテーブルに並べられていきました。その数、15種類前後。そして味噌汁を含めキムチなどのおかずも10数種類出てきます。小魚を発酵させた味噌状のものからおなじみのたらこまで、ぱっと見ただけでは何の塩辛かわからない!お店の人は忙しいので話しかけるのも気が引ける・・・ホタルイカやとびこ、魚の腸、小魚とたくさんあって、ご飯がすすみすぎて困ってしまいます!ナビはご飯2杯半食べてしまいました。まさにごはん泥棒!ダイエットなんて忘れましょう、この際。
それでは昔の風景を探して歩きましょう
先ほどもちょこっとご説明したように、江景は朝鮮王朝から日本統治時代にかけて大変栄えた町でした。しかし1960年以降はすっかりさびれてしまい、現在に至ります。そのため、日本統治時代以降の建物があちこちに残り、ある意味町全体が博物館。論山市はそのような近代建築物を観光資源として活用し、毎年10月に開かれるチョッカル祭りと共に人々に知ってもらおうとPR活動を積極的に進めています。パンフレットや看板などの整備はまだまだ(!)ですが、建物は一つのエリアに集中しているので、ぐるっと運動がてら歩いてまわってみましょう!
■旧韓一銀行江景支店
チョッカルの店が並ぶ通りに突如現れる赤レンガの建物。1913年に韓一銀行江景支店として開業、その後いろいろな銀行が入り、そのあとはチョッカルの倉庫として使われていたのですが、2012年9月に江景歴史館としてオープンしました。この建物を改修して残すことに反対する声も多かったとのことですが、江景で最も優美でランドマークともいっても過言でないかも?中に入ると、江景の人々の生活用具などの展示を見ることができます。
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旧江景労働組合
1925年に建てられた労働組合事務所の建物。日本統治時代は水運の現業に従事する人たちの労働組合があり、多いときは三千人もいたとか。中央入口の三角の庇や、桟瓦葺は日本の建築様式の特徴です。建物全体の構成は韓国伝統家屋の韓屋(ハノク)っぽいですよね。もともとは二階建てだったそうです。建物の後ろは広い公園になっています。
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北玉監理教会
1920年代の韓洋折衷様式で作られた、韓国初期の教会。儒教思想の影響を受けて入口が二つ設けられ、男女が別々に入り、間に布を引いて別々に座っていたそう。赤レンガの外観でありながら、韓屋の特徴ある反りのある屋根に、中に入ると天井のむき出しになった垂木に目がくらみそう(中は入れず、窓からのぞいただけですが)。教会近くには壁画があり、牧師や信徒たちが当時の日本兵らに抵抗する姿などが描かれています。
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江景邑通り
現在玉女峯路(オンニョボンノ)と呼ばれる通り(さらに細かく言いますと35番、36番キルの交差点あたり)は、昭和の映画セットそのままといえるほど、古い建物が並んでいます。商店もあるのですが、どこもかなりゆるく営業していて、というか、営業しているのか謎なくらい静か。この通りの東側に、かつて大変栄えていたという江景市場の跡があります。この市場は朝鮮戦争で大方破壊され、その機能を失いました。
ここでは日本で大正時代末期から昭和のはじめにかけて流行した木造2階建ての店舗兼住宅、俗に看板建築と呼ばれる建物を見ることができます。建物の前部分が平坦なのが特徴で、モルタルや銅板でしあげ、そこに直接商店名が入ったりします。看板を兼ねた壁のある家というのは、韓国ではまず見られない(はず)。興味深いのは、こういった建物は日本統治時代のものではなく、朝鮮戦争後の1954や1955年に建てられているということ。そして新たに看板をつけているのが面白い!
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旧南一堂韓薬房
日本統治時代に市場があり、かつて大変にぎやかだった場所に建つ、和韓折衷様式の二階建ての建物。南一堂(ナミルダン)という韓薬の店が最初に入っていました。1923年築なのですが、当時でも二階建ての韓屋はとても珍しいものだったといわれています。現在は薬局の子孫である延寿堂乾材大藥房(ヨンスダンコンジェテヤッパン)が建物の管理をしています。
ラストは学校内に残る建築
玉女峯路(江景邑通り)を、江景のメインストリートとも言える開闢路(ケビョンノ)のほうへと向かいましょう。ここには江景の小・中・高学校が並んでいます。登録文化財に指定されている建物を2つ、紹介します。
■江景中央初等学校講堂
1905年に開校した江景中央初等学校(小学校)内にある講堂は、左右対称のバランスのよい赤レンガ造り。1937年に建てられました。角に白いレンガが並べられ、単調な建物のアクセントになっています。建物の側面にまわると、壁のところどころに朝鮮戦争当時の銃弾の跡が。こんな場所でも戦闘があったかと思うとなんとも言えない気持ちになります。
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公立産業高等学校校長官舎
江景産業情報高校敷地内にある、1931年に建てられた当時の校長の官舎。赤レンガ造りの地上一階建てで、屋根は韓国の伝統韓屋(ハノク)スタイルに、傾斜の強い日本の屋根のスタイルがミックスされ、とっても不思議な形をしています。家の周りの庭が大変広く、当時の校長はこんないいところに住んでいたのだなあ、と知ることができます。
足を延ばして珍しい教会にも行ってみよう!
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ナバウィ聖堂
江景は、全羅北道益山(イクサン)と接し、車で約7分ほどで益山市華山(ファサン)のナバウィ聖堂に行くことができます。この教会、「あんぱん」「九尾狐外伝」などのドラマやミュージックビデオの撮影地としても知られ、熱心なファンが訪れることでも有名。韓洋折衷様式で韓屋のスタイルでありながら、ゴシック様式の赤レンガの建物で大変ユニークな形をしているので、足を延ばしてみるのもよいでしょう。1906年に建てられ、1916年に現在のような形になりました。
江景は小さな町なので、がんばれば歩いて回れるかな?いい運動になると思います!
チョッカル好きの人が質のいいチョッカルを求めて訪れる江景。流通の変化とともに内陸水運の町としてはすっかりさびれてしまいましたが、今でもチョッカルの生産地としてその名を全国に知らしめています。1996年から始まったチョッカル祭りは、年を追うごとに規模が大きくなっているとか。写真はその祭りの公式キャラのエビ将軍。ナビが好きな韓国ゆるキャラの一つです(笑) 祭りの期間中は、江景の近代歴史ツアーのシャトルバスも運営されたりするので、興味のある方はぜひチェックしてみてくださいね。以上、江景はいかがでしたでしょうか?一度食べると止まらないチョッカル定食と、映画のセットのような古い町並みが皆さんをお待ちしています!以上、ソウルナビでした。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2013-09-24