石窟庵は吐含(トハム)山の中腹に位置し、名前の通り、切り出した石をドーム型に組んで作られた石窟寺院です。創建は751(景徳王10)年、当時の新羅の宰相、金大城(キムデソン)によるものといわれています。もともとは仏国寺に付随する庵として建てられた石屈庵は中央に巨大な本尊を置き、周囲には仁王像、四天王像、菩薩像などを配置、石窟でありながら通常の寺院が兼ね備える条件を十分に満たしています。近くまで行くと木造の前室の後ろが古墳のように丸く盛り上がっているのが見え、この下に巨大な本尊仏が鎮座しています。
韓国の三宝寺刹の一つとして知られる海印寺(ヘインサ)。その中にある仏教の経典の経版が八万大蔵経板。これらは高麗王朝高宋23(1236)~38(1251)年の間に作られた木版本で、当時モンゴルの侵入から国を守ろうと祈願して作られたもの。もともとは1011年から1087年にかけて作られましたが1232年に焼失、その後また復元されました。大蔵経とは仏教の経典をすべて経版にしたもので、その版数は81340枚、本にすると6791冊。また大蔵経が保管されている蔵経版殿(チャンギョンパンジョン)も世界文化遺産に指定されています。これもまた古く、創建年度は明らかになっていませんが、李朝初期の1488年頃ではないかといわれています。4棟ある蔵経版殿はいずれもその建築様式が非常に優れているとされています。
新羅(B.C57-A.D935)の首都であった古都慶州(キョンジュ)の歴史と文化を伝えるさまざまな仏教遺跡、王京遺跡が保存されている遺跡地区。2000年12月に世界遺産として登録されました。遺跡は大きく5つの地区に分けられ、仏教美術の宝庫である「南山(ナムサン)地区」、王宮がある「月城(ウォルソン)地区」、新羅王朝の古墳群が分布する「大陵苑(テヌンウォン)地区」、新羅仏教の中心である「黄龍寺(ファンニュンサ)地区」、王都の防御施設の中心である「山城(サンソン)地区」に区分され、52の指定文化財が含まれています。
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コインドル(支石墓)とは世界的に分布した古代の石墓の一種で地域によって時代や形態が違う巨石記念物の一つ。韓国では青銅器時代を代表する墓の一つとして、全国に約30000余りのコインドルが分布していると言われています。その中で世界遺産に登録されているのがコチャン(高敞)・ファスン(和順)・カンファ(江華)の3ヶ所。この3つは密集分布図、形式の多様性からも、コインドルの形成と発展過程を究明するためにも重要な遺跡といわれ、さらに先史時代の文化性を把握できるだけでなく、社会構造や政治体系はもちろん、当時の人々の精神世界を垣間見られるという点からも、先史時代研究の重要な資料となる保存価値の高い遺跡といわれています。
「高敞コインドル遺跡」は韓国でももっともコインドルが集まっている地域で、全羅北道高敞郡の東西約1700mの範囲に442のコインドルが分布しています。また「和順コインドル遺跡」は全羅南道和順郡の渓谷にそって約10kmに渡る範囲に500のコインドルが集まっています。また「江華コンドル遺跡」は仁川広域市江華郡の山に沿い、約120のコインドルが分布。ここには長さが7.1m、高さが2.6mの韓国最大のコインドル「北方式支石墓」があります。
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朝鮮時代、宮廷で生活していた王と王妃の死去後、その肉体は「王陵」に葬られ、霊魂は「宗廟」に祀られました。王陵は全部で44基あり、韓国の王陵の中でももっとも完全な状態を維持している遺跡として、すべて史跡に指定されています。また、519年という長い期間、王朝が続いたのもめずらしく、また歴代の王と王妃のお墓がすべて残っている点や、祭祀がまだ受け継がれている点が高く評価され、44基のうち40基が2009年に世界文化遺産に登録されました。北朝鮮地域にある厚陵、京畿道の英陵•寧陵、江原道の荘陵を除くと、すべてソウルの4大門から100里の中にあります。
2010年、韓国の歴史村として世界文化遺産に登録された安東河回村と慶州の良洞民俗村。韓国を代表する氏族村であり、両班(貴族)村として知られる河回と良洞は、朝鮮時代(1392年~1910年)に両班文化がもっとも栄えた朝鮮半島の東南部に位置しています。両村とも、韓国の氏族村の中でも長い歴史を誇り、それぞれ伝統的な風水の原則や儀礼、村行事なども現代まで守り続けています。また昔の家、東屋、寺院などの建物の多くがそのまま残っています。