三清洞・北村周辺の洞内名の由来

三清洞はここに来ると山も清く(山清)、水も清く(水清)、人の心まで清くなる(人清)~3つが清い(三清)という意味からつけられた名前!!

こんにちは。ソウルナビです。李氏朝鮮時代の二大王宮といえる景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)の間に位置し、清渓川(チョンゲチョン)と鍾路(チョンノ)の上の方にある洞内(村)という意味で北村(プッチョン)とし知られているこの地区は、李氏朝鮮時代そのままの韓屋が集まっている韓屋保存地区!!今でも多くの枝別れしたような小道が昔の姿そのままに保存され、約600年の歴史を持つ都市、ソウルの生き証人としての風景を如実に見せてくれています。現在の北村(プッチョン)地区は行政洞としては嘉会洞(カフェドン)と三清洞(サムチョンドン)の大きく2つの洞(日本でいう町)に分けられ、法定洞としては斉洞(チェドン)、桂洞(ケドン)、昭格洞(ソギョクドン)、司諫洞(サガンドン)など11の洞に分かれています。今日はこの北村地区に位置する11の洞の名前と、それに関連する由来についてお伝えします。ちなみに法定洞とは昔から伝えられ、個人の権利・義務および法律行為時に住所として使用される洞のことをいい、行政洞とは住民の便宜と行政能率のため適正な規模と人口を基準にして洞事務所を設置・運営する洞のことをいいます。行政洞・嘉会洞は法定洞である嘉会洞、斉洞、桂洞、苑西洞(ウォンソドン)で構成され、また行政洞・三清洞は法定洞である三清洞、八判洞(パルパンドン)、安国洞(アングットン)、昭格洞、花洞(ファドン)、司諫洞、松洞(ソンヒョンドン)で構成されています。
1.嘉会洞(カフェドン) : 李朝初期、漢城府(当時のソウル)を5府52坊の区画に分けたとき、北部10坊のうちの1つであった嘉会坊(カフェバン)の名前をそのままとり命名!「嘉会」とは嬉しく楽しむ姿のことをいいます。
2.斎洞(チェドン) : 憲法裁判所がある斉洞は李朝初期の村の名前であったチェッコルを漢字で表記したもの。チェッコルという名称は1453年(瑞宗・ソジョン1年)、首陽大君(スヤンデクン)の一派が癸酉靖難(ケユジョンナン)という乱を起こし、瑞宗を輔弼する皇甫仁(ファンボ・イン)らを誘いだし殺害した時に彼らの血が流れて生臭い匂いが町に立ち込めたため、人々が家にあった灰で道を覆ったことからついた名前といわれています。
3.桂洞(ケドン) : 現代グループ本社と中央高等学校がある桂洞は李氏朝鮮時代、医療機関だった済生院(チェセンウォン)があったところ。当初は済生洞(チェセンドン)だったのが桂生洞(ケセンドン)に変化し、それが短くなって桂洞(ケドン)になったそうです。
4.苑西洞(ウォンソドン) : 昌徳宮の西側、垣根を挟んである苑西洞は、昌慶苑(チャンギョンウォン・植民地時代に昌徳宮に動植物園があり、昌慶苑の名で呼ばれた)の西側にあったためにつけられた名前です。
5.三清洞(サムチョンドン) : 高麗時代、ここに道教のテチョン(太清)、ハチョン(上清)、オクチョン(玉清)の3位を祀った三清殿(サンチョンジョン)があったことに由来します。また、ここに来ると山も清く(山清)、水も清く(水清)、人の心まで清く(人清)なり、3つが清いという意味でサムチョン(三清)といわれたと伝えられています。だから洞の名前も三清洞!!
6.八判洞(パルパンドン) : 景福宮の北東にある八判洞は李氏朝鮮時代、8人の判書(パンソ、正二品の官位で、現在でいう長官・次官・市長と同じくらいの官職)が住んでいたため、つけられた名前です。
7.花洞(ファドン) : 正読(チョンドッ)図書館がある花洞は李氏朝鮮時代、ここを花開洞(ファゲドン)と呼んだことに由来します。花開(ファゲ)という名前がつけられたのは、ここに火器都監(ファギドガム)という役所があったたためという説と、掌苑署(チャンウォンソ)という草花を育てる役所があり、そこで多くの花を育てていたためという2つの説があります!
8.昭格洞(ソギョクドン) : 李氏朝鮮時代、ここに道教に関連する行事、および三清殿の祭祀を主管する官庁である昭格署(ソギョクソ)があったことに由来します。
9.司諫洞(サガンドン) : 李氏朝鮮時代、ここに言論機関の役割を果たしていた司諫院(サガンウォン)があったことに由来します。
10.松洞(ソンヒョンドン) : この地区に松の木がわんさか?入ってきたため、松と名付けられたそうです。
11.安国洞(アングッドン) : 地下鉄3号線安国駅の北側にある安国洞は李朝初期、この一体に(安国坊(アングッパン)という地名があったことからつけられた名前です。
以上、北村地区の洞の名前と関連する由来についてお伝えしました。洞名の由来から分かるように、ここは李氏朝鮮時代、高官や王族、士大夫(官吏)が住んでいた高級住居地で、当時、漢陽(ハニャン・ソウルの昔の名前)の政治・文化・行政などの中心地でした。そして現在、ここ北村地区をひとことでいうと、「1つの生きている巨大な野外博物館」と表現しても過言ではないほど。みなさんもソウルにいらしたら是非、一度、北村(プッチョン)地区を訪れてみてくださいね~!以上、嘉会洞の韓屋村からソウルナビがお伝えしました。

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記事登録日:2003-04-02

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