仁寺洞の歴史と遺跡

伝統の町、仁寺洞の歴史をたどってみよう!

こんにちは!ソウルナビです。仁寺洞は鍾路2街から安国洞ロータリーまでの700mほどの通り、「インサドンギル(仁寺洞メインストリート)」を中心にお店やレストラン、ギャラリーが並んでいる伝統と現代の芸術文化が共存する街。今では現代的なビルも建ち並び、1日に国内外の観光客が10万人訪れる人気の観光スポットですが、李朝時代は美術活動の中心地として栄えた町だったとか。その頃から変遷してきた仁寺洞、その歴史と今も残っている歴史の足跡を今日はたどってみましょう!

仁寺洞の変遷史をたどってみよう!

 李朝時代から現在の仁寺洞になるまで、ちょっと歴史をたどってみました。
<李朝時代>
北村(プッチョン)と鍾路(チョンノ)の間にあるこのエリアはもともと中人(李朝時代の貴族と庶民の中間階級の人)が住んでいた住宅街で、李朝時代初期から美術活動の中心地として栄えてきたそう。

<1930年代>
インサドンギル(仁寺洞メインストリート)周辺に書籍、古美術に関連した商店街が建ち並びはじめ、骨董品通りとして知られるように。   

<1950年代>
6.25戦争(朝鮮戦争)以降、現在の楽園商街アパートの場所に楽園市場ができ、その後ピョンヤントッチッ(平壌餅屋)ができてから数軒のお餅屋さんが建ち並び、今の「トッチッコルモッ(お餅屋さん通り)」ができあがったとか。

<1970年代>
最初の近代ギャラリーである現代画廊が開館すると、常設の展示販売場形式の画廊が次々とでき、ギャラリー通りとしても知られるように。

<1980年以降>
骨董品、古美術、画廊、古家具店、民俗工芸品店など続々とできてきて、名実ともに伝統文化芸術活動の中心地に。また、1986年に大学路が文化芸術ストリートとして指定された後、1988年には仁寺洞が「伝統文化ストリート」に指定されました。

仁寺洞の文化遺跡を巡ってみよう!

1990年代に入ってどんどん開発が進められ、昔の面影はずいぶん無くなってきているといわれていますが、まだ、仁寺洞のあちこちに昔の史跡が残っているんですョ。その文化遺跡を巡ってみましょう!
タプコルコンウォン(タプコル公園)
ここは1897年、大韓帝国の総税務司だった英国人J.M.ブラウンが造った広さ15,720?のソウル初の近代式公園。現在はいつもおじいちゃんをはじめ地元の人の憩いの場として親しまれていますが、韓国の歴史的事件の1つともいえる「3・1独立運動」が始まった場所としても有名。園内には3・1運動記念塔、3・1運動レリーフ、天道教の指導者で独立運動家としても有名なソン・ビョンヒの銅像などがあり、韓国の独立精神を後世にも伝える史跡公園でもあり。園内の中央にある「八角亭(パルガクチョン)」は3.1独立運動時に独立宣言書が読まれ、この公園を起点として独立運動が全国的に運動が広がっていきました。
ウンヒョングン
高宗(コジョン;李朝第26代王、1852~1919、在位期間1863~1907)の父、興宣大院君(フンソンテウォングン;1820~1898)の私邸で、高宗が生まれて王位に就く12歳までを過ごした場所。史跡第257号に指定され、2,148坪の敷地内に建物6棟(本体5棟、廊下1棟、総414坪)が建ち並んでいます。現在では昔に比べて規模もかなり縮小されてしまいましたが、雲?宮は興宣大院君の政治活動の本拠地で、韓国近代史において欠くことのできない歴史的な遺跡の一つ。
スンドンキョフェ(勝洞教会)~3・1独立運動の記念碑~
もともとは朝鮮時代の金弘根大臣の屋敷跡。1904年に勝洞教会がここに移転、2001年にソウル有形文化財第130号に指定されました。1919年の3・1独立運動のとき、この教会の学生たちを中心に大々的な学生運動が行われたところとして記念碑が建てられています。1939年にはこの教会に朝鮮神学校が創立。1969年には礼拝室の増築工事を行い、その後教会の土地を拡張して教育館を建立。煉瓦造りのこの建物は何度か部分的に修理したものの、基本的な形体や構造は昔のままで保存状態がいいそう。
・ 住所:ソウル市鍾路区(チョンノグ)仁寺洞(インサドン)137
ミン・ヨンファン(閔泳煥)の自決跡
泰和ビルの横にある独立宣言遺跡地。3・1独立運動のとき、乙巳条約に反対して独立宣言式を行ったところがこの仁寺洞194番地。ここで韓民族代表33人が独立宣言書に署名し、韓龍雲先生が宣言書を朗読した泰和館があったところでもあり。このビルの前には条約に反対して自決したミン・ヨンファン(閔泳煥)の碑があり、直筆の公開遺書も飾られています。
・ソウル市鍾路区(チョンノグ)仁寺洞(インサドン)194−27(泰和ビル前)
耕仁美術館~パク・ヨンヒョ(朴泳孝)の屋敷跡~
耕仁美術館は1983年12月に開館。以前は1997年にソウル市民俗資料18号に指定された韓国伝統家屋の展示館があって、これは朝鮮第25代目の王である哲宗の婿、「パク・ヨンヒョ(朴泳孝)」の家だったそう(彼は韓国の国旗である太極旗を制作したことでも有名)。ソウルの8大名家の一つとしても有名なところだったのですが、これらは南山コル韓屋村に移転。現在、美術館にはその後に新しく作られた展示館が建っています。
・住所:ソウル市 鍾路区(チョンノグ)寛勲洞(クァンフンドン)30−1
・電話番号:02-733-4448(耕仁美術館)
ミンカダホン(閔家茶軒)~慶雲洞の閔翼斗家の邸宅~
ここは1938年、ミン・ボシクという人が2人の息子のために同時に同じ形の伝統家屋を2棟建てましたが、そのうちの南側にあった家屋は1994年に月渓洞に移転され、ソウル市の民俗資料第16号として保存されています。残りの閔翼斗家は現在、ソウル市民俗資料第15号に指定され、フュージョン料理と伝統茶を楽しめるレストランとして運営する一方、お庭のあちこちに作家の彫刻作品を展示、また2~3ヵ月ごとに美術展示会や小規模の音楽公演なども行っているそう。こちらの家屋の特徴は、外観と造りは韓国の伝統様式を維持しながら、トイレや浴室を中に設計し、各部屋を廊下でつなぐなど西洋の住居様式を導入した点。それで韓国最初の改良韓屋として知られています。
・住所:ソウル市鍾路区(チョンノグ)慶雲洞(キョンウンドン)66―7
・電話番号:02-733-2969(ミンカダホン(閔家茶軒))
ソウルの中心点の標識石
現在のハナロビルの隣り、仁寺洞194番地に縦横40cmくらいの正四角形の花崗石が一つ置かれていて、その周囲を直径15cmくらいの正八角形の柱4個が取り囲んでいるのが見えます。これが、「ソウルの中心点・標識石」。ソウルの真ん中であることを示した石で、建陽元年(1896年)に建てられたもの。標識石の右横にある烏石にはそのことがしっかり記されています。
・住所:ソウル市鍾路区(チョンノグ)仁寺洞(インサドン)195−4(ハナロビル)
天道教中央大教堂
この建物は1918年に施行、1921年に完成した天道教の大教堂。当時はまだ今のような高層ビルがなかったので、明洞聖堂、朝鮮総督府の建物とともにソウルの三大建物として知られていたそう。工事着工資金は天道教の信徒からの募金によって集められた約30万ウォン。しかしちょうどその頃、3・1独立運動の中心団体として活動していたために、工事費を独立運動資金にあてて工事がずいぶん遅れたとか。
・住所:ソウル市鍾路区(チョンノグ)慶雲洞(キョンウンドン)88
旧朝鮮日報社屋(現在の農協ビル)
1926年に建てられた朝鮮日報の社屋。現在は農協ビルになっています。
いつもにぎやかな仁寺洞メインストリートだけ歩いていたナビですが、史跡や伝統家屋を探して細い路地裏を行ったり来たりしていると、昔の仁寺洞の姿がなんとなく思い浮かべられるような気も。また、赤レンガの建物、昔ながらの伝統家屋、記念碑など、そんな昔の名残りを感じさせるモノの背後には、近代的なビルがそびえたっていたり、町の変遷も直に感じられるかも。皆さんも、ちょっと時間があったら、仁寺洞の歴史をたどって歩いてみてはいかがですか?以上、ソウルナビでした。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2006-07-21

ページTOPへ▲

その他の記事を見る