宗廟ガイド付き観覧に参加しました!

文化財解説者によるガイド付き観覧は歴史の奥深くを知れて大満足!!

こんにちは!ソウルナビです。ソウルの旅で古宮観光をしたいっていう方は多いですよね!?現在ソウルには景福宮、昌徳宮、昌慶宮、徳寿宮、慶熙宮の5つの王宮が古宮としてありますが、ご存知の通り王宮とは王様の住まいであり、生活場所。今日ご紹介する「宗廟(チョンミョ)」は、王様が亡くなったあと、その霊を祀った霊廟なんです。宗廟は朝鮮王朝約500年間、83名の王様と王妃様の位牌が正殿と永寧殿の2つの建物に祀られ、王室がなくなった今でも1年に1度、5月の第1日曜日に宗廟大祭が行われる、とっても神聖な場所なんです。

2010年5月より時間観覧制を導入!

そんな宗廟は国家最高の祠堂として、その神聖さと尊厳さを維持するため、2010年5月から文化財解説者の案内によって決められた時間にだけ観覧できる時間観覧制になりました。毎週火曜日の休館日と、毎週土曜日の自由観覧以外は、すべて文化財解説者の方と一緒に決められたコースを回ります。「自由に観覧したいのになぁ。」と思われる方もいらっしゃいますよね!?でも大丈夫!1時間という限られた時間のなか、重要スポットをおさえた文化財解説者の方の流暢な日本語での説明は、自由観覧では知り得ない歴史の奥深くを知ることができますよ!それではさっそくナビと一緒にまわってみましょう!

観覧時間・集合場所・チケットはどこで買うの?

観覧時間は?
宗廟では、韓国語、日本語、英語、中国語それぞれの言語の文化財解説者がいらっしゃいますが、日本語の解説による観覧時間は以下の通りです(2012年8月現在)。ちなみに、外国語による案内時間には外国人の同伴者を除く韓国人の入場は出来ません。
9:00 9:40 10:40 11:40 12:40 13:40 14:40 15:40 16:40
(※16:40の入場は3月から9月のみ)
チケットはどこで買うの?
下の写真左は宗廟の正門である外大門。外大門を正面にして、左手にチケットボックスがあるので、まずはチケットを購入しましょう。
正門である外大門(外三門)

正門である外大門(外三門)

外大門の左手にチケットボックスがあります!

外大門の左手にチケットボックスがあります!

集合場所は?
外大門を正面にして、門の右手が集合場所です。チケットを購入したら、こちらで並んで待ちましょう。チケット料金は1,000ウォンです(2012年8月現在)。入場の時間になったら、係の方にチケットを提示し、パンフレットを受け取って入場!
こちら外大門の右手が集合場所。

こちら外大門の右手が集合場所。

入口で日本語のパンフレットをもらって、いよいよ中へ!

入口で日本語のパンフレットをもらって、いよいよ中へ!

所要時間は約1時間!こんな感じでコースを回ります。

観覧時間は約1時間。下の写真の順序通りコースを回ります。終了10分前に一度トイレ休憩があります。それでは文化財解説者の方と一緒に世界遺産の宗廟を回ってみましょう!
1.神香路(シンヒャンノ)、御路(オロ)、世子路(セジャロ)
石畳が3つに区分されていて、真ん中は歩行禁止の案内板があります。そして3つある道の真ん中の道が左右の道よりも少し高くなっています。この3つの道にはそれぞれ意味が込められていて、最も高い真ん中の道を「神香路」、東側を「御路」、西側を「世子路」といいます。「神香路」と呼ばれる真ん中の道は、亡くなった王様や王妃様の魂が通る道。祭礼を執り行うために王宮から宗廟に来た王様は進行方向右側、王世子(皇太子)は進行方向の左側を歩き、そのほかの人たちは石畳ではなく両側の土の地面を歩きます。昔から大切に考えられている神香路。今も出来れば真ん中の一本は歩かないようにしましょうね。

2.中池塘(チュンジダン)
望廟楼(マンミョル)の横にある池で、1443年(世宗25年)に造られたもの。四角形の池の中には丸い島がありますが、これは天円地方(空は丸く、地は四角い)思想を表しています。大部分の宮廷の池には松の木が植えられていますが、ここ宗廟にはイブキが植えられています。イブキは韓国語でヒャンナム。ヒャン(香)+ナム(木)で香木、お香の木と呼ばれています。その名の通りイブキは木の幹の赤い芯がお香の材料になります。祭礼のとき最初天に向かってお香を焚きますが、その香りに導かれて天からこの世に魂が降りてくると言われています。お香を焚くことは神様を迎えるという象徴的な意味があります。

3.香大庁(ヒャンデチョン)
香大庁は、香庁と執事庁で構成されていて、香庁は祭祀の前日に王が宗廟祭礼に使用するお香・祝詞・幣帛(へいはく)と祭祀礼物を保管する所で、執事庁は祭祀をつかさどる執事官たちが待機する場所。間に南北に長い庭を挟み、東側と西側に建物が配置されていますが、現在は出入りが制限されています。現在は1年に1回だけ祭礼がありますが、昔は季節ごとにもっと定期的に行われ、その前日までにお香・祝詞・幣帛の3つの礼物を揃えて、この中に保管しました。お香を保管したことから、この建物の名前を香大庁と言います。建物の形も王宮と比べるとシンプルな形で、本を伏せたような形の屋根が特徴。この建物だけでなく、宗廟の建物はどれも赤と緑という基本色である2色だけが使われ、模様なども描かれていないので、全体の雰囲気は少し落ち着いて地味な印象。こちらが生活場所ではなく、亡くなった方を祀る霊廟なので、意図的に装飾などを控えているとか。

4.斎宮(チェグン)一帯
斎宮は王が王世子とともに祭祀を行う準備をした所で、御斎室ともいいます。庭を中心に北側に王が祭礼の準備をした御斎室、東側に王世子が祭礼の準備をした世子斎室、西側に御沐浴庁があり、塀で囲まれています。こちらは王様が祭礼を行う前に斎戒沐浴を行った場所。身を清めて祭礼の衣装に着替えたあと、ここで祭祀時刻を待ちました。現在は昼間のうちに祭礼が行われますが、本来は魂が降りてきやすいとされる一番静かな夜中の1時に始まります。こちらで身を清めたあと祭礼服に着替えて、この場所で祭祀時刻を待ち、他の人々は香大庁の中で待機します。夜中1時という正確な時間を守るために、昔は水時計を用意して、太鼓などで起きる時間、集合する時間、式に出る時間まで細かく知らせました。
・御沐浴庁
斎宮の西側(写真左)にある御沐浴庁は、王様が最後に身を清めた場所。湯船などは残っていないので、どんな方法で沐浴したか正確には分かりませんが、最後に髪と体に水をかけるくらいの儀式として行われたのではないかと言われています。御沐浴庁を含む斎宮は、正殿の神室の数を増やすため増築する度に、東の方へ、東の方へと移動して建てられたそうです。
・ドゥム
御斎室を正面にして左手には「ドゥム」があります。「ドゥム」とは韓国語で、口の大きい甕のこと。火事を起こしにきた火魔が水に映る自分の顔に驚いて逃げるという呪術的な意味があり、火事が起こったとき中の水は防火用水として用いられました。
御斉室の中には、祭礼服に着替えた王様の人形や

御斉室の中には、祭礼服に着替えた王様の人形や

椅子が展示されています。

椅子が展示されています。


5.典祀庁(チョンサチョン)一帯
典祀庁は祭礼を行うときの供え物を用意する所で、普段は祭祀に使う什器を保管しました。四角い庭のまわりに「口」形の建物が建てられ、庭には礼物(供え物)を準備していた石臼などの跡が残っています。1395年(太祖4年)、宗廟を建てるときに一緒に造られましたが文禄の役のときに焼失し、1608年に再建されました。
・守僕房(スボッパン)
正殿の東門の隣にある守僕房(写真左)は、宗廟を守る官員たちが住んでいた場所であり、正殿の一角のなかで最も素朴な建物。守僕房の前には、饌幕壇と省牲位があります。
・饌幕壇(チャンマッダン)、省牲位(ソンセンウィ)、祭井(チェジョン)
饌幕壇(チャンマッダン)
饌幕壇は祭祀のときに捧げる供え物をあらかじめ検査する壇です。宗廟祭礼には生物も使用したので、特別に注意しなければならなかったため、天幕を張って帳をかけて清潔に保っていました。

省牲位(ソンセンウィ)
省牲位は祭物である牛・羊・豚を検査する所で、供えても良いという判定が下されたあと手入れしました。それらの肉は調理はせずに肉の塊が生のまま供えられます。胃袋、腸、肺などの内臓類は煮込んでから供えます。しかし豚の場合は内臓の形が人間に似ているので忌まわしいと考えられ、豚は内臓ではなく皮を煮込んで供えます。人工的に何かを作るより自然のまま供えたほうが格式が高いということで、現在でも生のままのお肉を供えるという昔ながらの祭祀料理が再現されています。

祭井(チェジョン)
典祀庁の東側には、祭祀に使う井戸である祭井があります。祭井の周囲には塀を囲って人々がむやみに出入りすることができないようにしています。
・祭器と供え物
宗廟祭礼は国家祭礼なので祭器も特別に製作、管理されました。祭祀料理はお酒を含めて約40種類ほど。英祖のときに作成された「宗廟儀軌」によると、祭物は米や粟、きびなどといった穀物を4種類、餅5種類、果物5種類、脯2種類、塩辛4種類、肉7種類、塩漬けのキムチ3種類、味付けしていない汁3種類、基本的な発酵食品、酒などが供えられます。またキムチは今のキムチとは違い、唐辛子粉やニンニクなどの薬味を使っていないシンプルなもの。祭物は先史時代の風習に従って生物や塩漬け、または発酵したものを使います。

6.正殿(チョンジョン)一帯
・版位(パンウィ)
宗廟の正殿と永寧殿の東門の外、そして廟庭の東北側には特別に作った四角い台があります。版位と呼ばれるこの台は、王と王世子が祭礼をするとき、しばらく足を止めて礼を表する場所です。祭祀を行う準備をしたり、祭礼の準備が終わっていない場合、ここに立って準備が終わるまで待っている、一種の待機場所でもあります。祭礼のときに王と王世子は御斎室で斎戒沐浴をした後、御斎室から御路を通って、正殿の東門前にある殿下版位(チョナパンウィ)と世子版位(セジャパンウィ)に行き、しばし足を止めて祭祀を行う準備を整えます。王が使う版位は殿下版位、王世子の版位は世子版位といいます。
・正殿(チョンジョン)
正殿とは歴代王室の位牌(神主)が祀られている所で、国宝第227号に指定されています。正殿は王と王妃の死後、宮廷で三年喪に服したあと、その位牌を移して祀る建物で、宗廟で最も中心となります。正殿の庭に入る門は三ヶ所にあり、南門は神門で魂が出入りする門。東門からは祭礼のときの祭官が出入りし、西門からは楽工、踊りを踊る佾舞員が出入りします。正殿には朝鮮を建国した太祖、在位中の王の4代先祖、歴代王の中で特に功績が大きい王と王妃の位牌を祀りました。正殿は内部に祀る位牌の数が増加するに従って、何回かにわたって横に増築しました。増築によって、部屋だけでなく門や石畳、階段すべて中心を移動しました。
建物の前にある横109m、縦69mの広い月台は正殿の品位と荘重さを表し、月台の真ん中には神門から神室につながる長い神路が南北に伸びています。祭官と執事官たちは月台に立ち並んで祭礼を行います。母屋である神室の両側には倉庫と付属室を設けました。荒い石畳が敷かれている月台と、この上に重みのある屋根を支えている宗廟の姿は、崇高で古典的な建築美の極地を成します。
祭礼
祭礼のとき、王様は東の門から入ってきて、右の階段をのぼり一番左側の第1室の中に入り、お酒を一杯供え、祝詞を読み上げたあとにお供えものをします。第1室が終わったら次の第2室に入り、同様に最後まで続けます。王様の次には王世子が第1室から最後まで祭礼を行い、最後は臣下たちの中でトップの人が祭礼を行います。今より建物が短く部屋数が15室のときで、夜中1時頃に祭礼が始まり、終わったら夜が明けていたという記録が残っているとか。しかし現在祭礼を行うときはそれほど時間もかからず、2時間くらいで終わります。それは現在韓国には王様がいないので、一度目のお酒を供えるとき、神室ごとにそれぞれの王様の子孫たちを19人配置、1人1室を担当し同時に行うので昔より時間が短くなったとのこと。
神位奉安図
正殿には19室に19人の王様、30人の王妃様を祀っています。一番左の第1室は朝鮮王朝を建国した太祖、李成桂(イ・ソンゲ)の位牌が祀られ、反対に一番右の第19室は27代目で朝鮮王朝最後の王様と王妃様の位牌が祀られています。宗廟には正殿と永寧殿があり、そこに歴代王25人と、亡くなってからその功績を認められて格上げされ位牌が祀られた人たちを含む、合計35名の王様と王世子の位牌を祀っています。王妃様を合わせると83名にもなるとか!27代続いた朝鮮王朝ですが、こちらに歴代王25人の位牌が祀られている理由は、10代目「燕山君(ヨンサングン)」と15代目「光海君(クァンヘグン)」は、暴君として廃位された王様であるため、ここには祀られなかったからです。

7.永寧殿(ヨンニョンジョン)
永寧殿の近くまで来たら石畳が2つに別れます。正面の南門は神様の門なので南門に繋がる道は神様の道、東門からは祭礼をとりおこなう人々が出入りし、祭祀官たちは2つに別れた道を右に曲がって東から中へ入ります。西門は身分の低い人が出入りしたので、西門までは石畳はつながっていません。
永寧殿とは1421年(世宗3年)に定宗の位牌を正殿に祀ることになり、正殿の神室が足りなくなって正殿に祀っていた位牌を他の所に移して祀るために新たに建てた別廟。その名前は‘王家の先祖と子孫が共に永く平安(安寧)であるように’という意味を込めています。施設と空間形式は正殿一帯と似ていますが、正殿より規模が小さく、より親近感を感じるように建てられました。正殿一帯と同じく二重になっている月台のまわりに塀を設けて東・南・西の三ヶ所に門を置きました。永寧殿も最初からこのように長い建物だったわけではなく、最初は真ん中の4室だけ建てられ、その両側の屋根の低い神室を増築しました。
中央の4室は太祖の4大先祖である穆祖、翼祖、度祖、桓祖と王妃を祀っている所で、他の神室よりも屋根が高くなっています。左右の神室それぞれ6室には正殿から移してきたとか追尊した王様と王妃の位牌を祀っています。永寧殿は正殿と同じく三面が壁に囲まれていて、内部は仕切る壁なしの繋がっている空間になっていますが、中央の4室と左右の神室の間には壁を置いて区分しています。
神位奉安図
永寧殿には16室に16人の王と王世子(皇太子)、18人の王妃様と皇太子妃を祀っています。真ん中の部屋4室には朝鮮王朝を建国した太祖、李成桂の高祖父からお父様までを祀られています。李成桂の先祖は朝鮮王朝の前の王朝である高麗王朝では臣下の身分でしたが、自分の孫が臣下の身分で高麗王朝を終わらせたあと、新しい朝鮮王朝を開きました。朝鮮王朝を開くことができたのはご先祖様のおかげなので、亡くなった方々を王として格上げし、その霊を神様として祀っています。またそのほかにも王世子(皇太子)のまま若くして亡くなった場合でも、生前にもしある程度の業績があったら、後の王が王世子を王として格上げして位牌を祀ることもあったそう。そして王に息子がいなくて、親戚から養子をもらってその養子が王になると、その王になった方の実の父は王ではないけれど格上げして位牌を祀ることもあります。そのような王を追尊王といいます。宗廟には正殿19室、永寧殿16室の合わせて35室、35名を王として祀っていますが、その35名のうち25名だけが歴代王で、そのほかの10名は亡くなってから格上げされた方となります。
朝鮮王朝最後の王世子(皇太子)、李垠と王妃、李方子様
1910年、朝鮮王朝は終わりを迎えますが、そのときまだ最後の第16室目には位牌が奉安されず空いたままでした。本当は祀られる王はいませんでしたが、近年になって子孫たちが最後の一室に朝鮮王朝最後の王世子(皇太子)夫妻を祀りたいとのことで、最後の王世子夫妻は正殿では祀られず、最初から永寧殿に位牌が置かれました。最後の王世子である李垠(イ・ウン)は11歳頃、人質として日本に渡り日本人と政略結婚します。その相手は日本の元皇族で梨元宮家3代目の長女として生まれた李方子(リ・マサコ)様。二人は1963年に韓国に帰国し、持病があった李垠はその7年後に亡くなり、李方子様が亡くなったのは1989年のこと。方子様は亡くなるまで宗廟の近くにある昌徳宮(チャンドックン)という王宮の中で暮らしました。方子様が亡くなって3年間喪に服したあと、永寧殿に最後に位牌が運ばれたのが方子様。わずか20年ほど前に位牌が安置されました。王世子が亡くなったあと先に位牌を祀り、20年くらい経って方子様が亡くなったので、隣りに一緒に祀りました。たとえ王妃が王より先に亡くなった場合でも、位牌を先に祀ることはせず、王が生きている間は王宮の中で祀り、王が亡くなられた同じ日にこちらに祀られます。
建物に向かって右手に皇太子ご夫妻の位牌が祀ってあります。

建物に向かって右手に皇太子ご夫妻の位牌が祀ってあります。

方子様が晩年を過ごした昌徳宮内にある楽善斎。

方子様が晩年を過ごした昌徳宮内にある楽善斎。

それでは緑の中を歩きながら出口へ向かいます!
たくさんの緑でリフレッシュ!暑い日でも木陰があって涼しい~。

たくさんの緑でリフレッシュ!暑い日でも木陰があって涼しい~。

終了10分前にはお手洗い休憩もあります。

終了10分前にはお手洗い休憩もあります。

なんだかパワーをもらえそう~!

なんだかパワーをもらえそう~!

ここで終了となります。お疲れ様でした~。

ここで終了となります。お疲れ様でした~。

いかがでしたか?宗廟に一番最初に位牌が祀られたのは朝鮮王国を建国した太祖の高祖父で、今から約750年前。そして最後に位牌が祀られたのが1989年。その間83名もの王と王妃の位牌が祀られ、現在も一年に一度、祭礼が行われる宗廟(チョンミョ)。その歴史的価値が認められ、宗廟は1995年にユネスコの世界遺産に、宗廟祭礼と宗廟祭礼楽が2001年人類の無形文化遺産に登録されました。ちなみに宗廟は霊が祀られている場所で、亡骸は別の場所に葬られています。その83名のうち11名は韓国ではなく北朝鮮にお墓があるんだそう。その11名も亡骸は北朝鮮に葬られていますが、霊はここ宗廟に祀られているとか。そんな神聖な場所である宗廟の文化財解説者による案内は、自由観覧だけでは知り得ない歴史の奥深くを知ることができ、オススメです!たくさんの緑でリフレッシュ&身も心もデトックスしてみては!?以上、ソウルナビでした。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2012-08-27

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