ソウルの廃線跡を歩いてみよう~新村&弘大編!

あの道に昔鉄道が?廃線跡をめぐる、こんなプチ旅はいかが?今回は新村連結線と唐人里線!

こんにちは、ソウルナビです!以前からソウルに残る古い建物を探して歩きまわっているナビですが、そんなナビが最近気になっているのが廃線跡。歩きながら、ここにかつて線路があったんだ~どんな汽車が通っていて、汽車に乗っていた人はどんな風景を見ていたのかな~なんて想像しながら歩くのが楽しみになっています。今、ソウル市内は再開発がどんどん進んでいて、鉄道も効率化とスピード化のために廃線になってしまった路線も。すでにこの世から姿を消してしまい、今はもうかつて鉄道があった痕跡さえよくわからない廃線跡。今回は、学生街としてにぎわう新村と、その隣りの弘大で走っていた鉄道にスポットを当て、歩いてみたいと思います。え、この通りが昔線路だったの?とびっくりする道が出てくるかも?それでは、行ってみましょう~ 
いずれもかつてここに汽車が走っていたかもしれない?光景。 いずれもかつてここに汽車が走っていたかもしれない?光景。 いずれもかつてここに汽車が走っていたかもしれない?光景。

いずれもかつてここに汽車が走っていたかもしれない?光景。

スタートは龍山線の西江駅から

今回のプチ廃線の旅、スタート地点は2012年12月に「オープン」した京義(キョンイ)線の西江(ソガン)駅。この京義線は孔徳(コンドク)と京畿道(キョンギド)の汶山(ムンサン)間を走る路線。京義線には現在始発駅が二つあります。1つがソウル駅で新村駅を経由し、加佐(カジャ)駅に至る京義線本線、もう1つが孔徳駅を出発し弘大入口駅を経由し加佐駅に至る龍山線。こちらの龍山線は最近地下化された新しい路線で、西江駅はその龍山線にある「新しい」駅。
ソウルの廃線跡を歩いてみよう~新村&弘大編! 新村 西江 弘大入口駅 歩きたい通り 電車 汽車 廃線跡 京義線龍山線 かつての線路あとにのびる通路

かつての線路あとにのびる通路

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西江駅の出口付近はきれいに舗装され、ちょっとした公園のようになっています。でも周辺を歩いてみると、古い家がぽつぽつとあります。
実は以前、現在の地下の龍山線の上には、地上を走る龍山線があったのです。この地上の龍山線は2004年から線路撤去が始まり、2009年に完了。そういえば今から十年ぐらい前は、このあたりで汽車が走るのをよく見ていたなあ、思い出したナビ。実は以前、地上を走っていた龍山線にもほぼ同じ位置に西江駅がありました。つまり、西江駅は一度廃止された駅が復活した駅なのです。
新しい西江駅

新しい西江駅

線路が撤去されたころの西江駅

線路が撤去されたころの西江駅

写真の建物は鉄道沿いにあった、おそらく防衛用の施設。地上に鉄道がなくなった今も、残っているんですね。
現在の建物

現在の建物

2006年2月、まだ鉄橋があった頃。

2006年2月、まだ鉄橋があった頃。

それでは、いよいよ廃線跡の探索に出発!今回は新村の新村連絡線と、弘大の唐人里線の線路を探しに行きます!その前に、ここで鉄道の歴史を少しひも解いてみると・・・京義線は1906年、龍山(ヨンサン)から新義州(シニジュ)間が開通。しかし人口の増加と業務効率化を図るため、現在のソウル駅から新村駅を通る、新しいルート(京義線本線)が完成し、龍山~水色(スセク)間は一旦廃止に。しかし1929年、龍山~西江~加佐駅間が龍山線として旅客業務を再開、同年に龍山線と京義線を結ぶ接続路線として新村連結線が、さらに龍山線と唐人里火力発電所(現ソウル火力発電所)を結ぶ唐人里線が開通。地図でまとめると下のような感じになります。この新村連絡線は1975年に廃止、唐人線は1975年に旅客営業を中断、1982年に廃止されました。

新村連絡線を歩く!

今回はその廃線となった新村連絡線と唐人里線を歩いてみたいと思います。まずは新村連絡線から!

新村連結線のルート:西江-延禧-新村

西江駅を出て、目の前にある大通り・西江路(ソガンロ)を渡り、かつての龍山線にそって歩いていきます。龍山線の線路だった枯草生える空き地と並んで、細長い道が続いています。ゆるゆるとカーブを描きながら、少し上り坂の細長い道、新村路第10通り(シンチョンノ10キル)。いかにも線路脇にある道ですが、もしかしたらここに連絡線が走っていたかも?妄想が膨らみます。ただこの時点で、同じようなルートの新村路第12通り(シンチョンロ12キル)も気になります。2つの通りを見比べながら検討しますが、ルート的には第10通りが有力。カンにしたがい第10通りを進みます。
龍山線の線路があったところ

龍山線の線路があったところ

カーブがそれっぽい?

カーブがそれっぽい?

龍山線を横に見ながら進みます

龍山線を横に見ながら進みます

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でもこの勾配を登るのはきついかなと思いつつ・・・



焼肉通りとしても知られる有名なキチャキル(汽車通り)と交差します。キチャキルはすぐ近くで竜山線と交差していました。すぐ近くにある竜山線の線路跡をチェック。するとまっすぐ西江方面に向かう線路跡の左脇の方に、なにやら少し線路ぽいところが。もしかして、これが新村連絡線の跡かも?
キチャキルを過ぎ、第10通りをさらに進みます。気になるのは交差する道との段差。この段差はなんだろう?
やがて通りはゆるやなかカーブとなります。これも鉄道っぽい?脳内列車は進みます。
ソウルの廃線跡を歩いてみよう~新村&弘大編! 新村 西江 弘大入口駅 歩きたい通り 電車 汽車 廃線跡 京義線龍山線 気になる段差。

気になる段差。

ソウルの廃線跡を歩いてみよう~新村&弘大編! 新村 西江 弘大入口駅 歩きたい通り 電車 汽車 廃線跡 京義線龍山線 妄想列車は進みます。

妄想列車は進みます。



大通り・新村路(シンチョンノ)に出ました。鉄道もかつてこの通りを超えたはず。反対側を見てみると、真向かいに道はないけれど、少し左にずれた教会のわきに、さらにのびる道・新村路第9通り(シンチョンロ9キル)が見えます。横断歩道を渡り、その道に向かいます。

ここで気になるのが、さきほどのずれ。線路跡はこの新村路第9通りではなく、すでに住宅として再利用されているのではないか・・・そこで次の十字路で確認してみることに。右に曲がってみると、意外と坂道。かなり高低差のある土地にあることがわかります。この一番高いところに汽車が通っていたかも・・・しかしその先に古そうな家も見えます。振り返ると、先ほどの十字路がかなりくぼんでいることに気が付きます。もしかしてこれは人為的に作られたのかも?
ソウルの廃線跡を歩いてみよう~新村&弘大編! 新村 西江 弘大入口駅 歩きたい通り 電車 汽車 廃線跡 京義線龍山線 かなりくぼんでます。

かなりくぼんでます。

疑念を残しつつ、新村第9通りをさらに進みます。このあたりは最近アスファルトで舗装されたらしく、路地でありながら意外とキレイ。以前、この道は砂利が顔をのぞかせたコンクリート面があちこちで見られたとのこと。その砂利ってもしかしたら鉄道に関係にあったものかも?でも、この道幅は鉄道が通るにはちょっと狭すぎる。やっぱり、道の右手にある、いま住宅があるあたりが線路で、この道は線路の脇道だった気が。

小さな交差点を過ぎます。この先、道は不思議なカーブを描いています。やっぱり、この道は線路跡ではなく右の住宅地があやしい。疑念が広がります。

さらにずんずん進むと右手に不思議な空き地が見え、正面に京義線本線が見えてきました。この不思議な空き地は高い位置にあり、道で途切れていますが、その先には同じ高さで京義線とつながっています。この駐車場は明らかに線路跡でしょう。この新村連絡線と京義線が合流するあたりには延禧(ヨニ)駅があったとか。振り返るとこの空き地は住宅地に続いています。やはり住宅地が元線路跡であるようです。
ソウルの廃線跡を歩いてみよう~新村&弘大編! 新村 西江 弘大入口駅 歩きたい通り 電車 汽車 廃線跡 京義線龍山線 謎の駐車場

謎の駐車場

高さは京義線とほぼ同じ

高さは京義線とほぼ同じ

ソウルの廃線跡を歩いてみよう~新村&弘大編! 新村 西江 弘大入口駅 歩きたい通り 電車 汽車 廃線跡 京義線龍山線

さらに京義線に沿って歩くとあるのが旧新村駅。こちらの古い駅舎は1920年に建てられたもので、登録文化財第136号に指定されています。だいぶキレイになっていますが、当時の雰囲気を伝えています。現在は駅でなく観光案内センターとして利用されています。
2000年3月の新村駅。まだ現役だったころです。 2000年3月の新村駅。まだ現役だったころです。

2000年3月の新村駅。まだ現役だったころです。

唐人里線跡を歩く!

次は唐人里線を目指しましょう!

唐人里線のルート:西江-細橋里-放送所前-唐人里 

さきほどキチャキルとの交差点から、枯草に覆われた龍山線跡に沿って、弘大方面へ進みます。このキチャキル(臥牛山路第32通り・ワウサンロ32キル)と龍山線とぶつかるあたりには昔踏切があり、その踏切周辺に焼肉屋さんが集まっていました。ここはキチャキルコギコルモク(線路沿いの焼肉通り)と呼ばれ、ナビも昔、汽車が通り過ぎるのを見ながらビニールハウス屋台のようなところで焼肉を食べた思い出が。今線路はなくなっても、線路沿いの焼肉屋さんは線路が乗ったキチャキルの看板を掲げています。鉄道の痕跡を見つけたようで、少しうれしい。
キチャキルで旧龍山線を超えたら、すぐ右へ。線路脇の道を歩きます。すぐ橋(臥牛高架車道)が見えてくるので、上にのぼり、臥牛山路(ワウサンロ)を渡ります。右に見えている線路跡にそって、ずっと歩いていきます。
かつて細橋里(セギョリ)駅があったのでは?というところを通り過ぎます~
空港鉄道の弘大入口駅が近づくと、左へ美しいカーブを描く道が見えてきます。このカーブ具合はまさに鉄道のもの!?
不思議なスペースが気になります。

J
たくさんの居酒屋、焼肉店などの飲食店が軒を連ねる通りに出ます。ここは現在、歩きたい通りという名の通り。新しく整備されているので道全体が線路跡、というわけではないけれど、建物がゆるやかなカーブに沿って建っているあたりに、線路の名残りを感じることができます。 
この広い通り、実は両側で段差があるのです。低いところと高いところ、どちらを鉄道が通っていたのか、気になるナビ。正解はその先に続く道でわかりました。先の道路から延長してみると、どうも低い側に線路があったようです。
K
弘大正門へと続く弘益路(ホンインノ)を超えると駐車場通りに入ります。そう、あの弘大で有名な駐車場通りは、実は昔鉄道が通っていた線路跡だったのです。やけに道が広いし、通りに沿った建物の並び具合がちょっと変わっているな~とは前々から思っていたのですが、これは道が線路のようにゆるやかなカーブを描いているからなんですね。これらの建物が当時走っていた汽車を思い出させると表現するアーティストも。この駐車場通り、緩やかに坂を上っています。汽車なら少しふんばりどころ!
まるで汽車のような?建物たち。 まるで汽車のような?建物たち。

まるで汽車のような?建物たち。

L
坂を上りきると少し広めの十字路が。ナビが駅を作るならここだな!と思ったら、トッポッキのチェーン店「ジョーストッポッキ」前の地面にブロックが埋まっているのを発見!そう、ここがかつて放送所前駅があったところ(ではないかと)。この駅は1932年に竣工し、翌年開業した京城放送局(現在のKBSの前身)延禧送信所の職員のために作られた駅だったとか。汽車が坂を上ってきて駅で一休み。そんな光景が見えてきそうです。
さらに駐車場通りを進みます。ずっとその先に煙突と煙が見えてきました、これが唐人里火力発電所(ソウル火力発電所)。
M
再び、大通り(トクマク路)にぶつかります。この交差点の名は「唐人里十字路」。かつてここに鉄道があり、唐人里への入口であることを示しているような名前です。そして向かい側には両脇に道が伸びる不思議なビルが建っています。この先にも線路が伸びていたはずですが、建物の左右の道の、どちらかが線路跡?でも駐車場通りの延長線で見たところ、どうもこのビル自体が鉄道の跡にできたようです。
建物の右の道、オウルマダン路をさらに先に進みます。道はひたすらまっすぐ。線路のように伸びてます。やがて右手に「チャンミアパート」という低層住宅が見えてきます。この前あたりに唐人里駅があったと推定されます。
発電所に到着!唐人里発電所は1930年、京城電気株式会社(現在の韓国電力)が作った初めての火力発電所。その燃料用の炭(無煙炭)を運ぶための貨物線として作られたのが唐人里線だったのです。この発電所、現在は地下化が計画されていて、上の発電所跡は複合文化空間として再活用される予定とのこと。 

駐車場通りをひたすら歩き、本日のプチ廃線跡の旅、無事終了!このあたりの昔の写真を見てみると、今のにぎやかな学生街とまったく異なる、のどかな田園風景が広がっています。その中をゆっくりと汽車が走る姿を想像したナビ。この鉄道が今復活したら?なんて帰りに弘大のカフェでのんびり想像してみると、廃線跡ファンにはたまらないかも!?以上、建物と鉄道が好きなソウルナビでした。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2014-03-11

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