ソウル中心部の主な通りの名前

世宗路(セジョンロ)、乙支路 (ウルチロ)、忠武路(チュンムロ)~韓国の偉人たちの名前をとって付けられた道路名がたくさん!

こんにちは。ソウルナビです。みなさんはもしかしてソウルの中心地にある世宗路(セジョンノ)、乙支路(ウルチロ)、忠武路(チュンムロ)、退渓路(テゲロ)といった通りの名前を聞いたことがありませんか?おそらくソウルに何度も訪れたことのある人なら1度は聞いたことがあるのではないでしょうか。では、この通りの共通点って何でしょう?(^-^)a はーい、そうです。その共通点とは、韓国の歴史的偉人の名前をとって付けられた通り、ということなのです。
例えば景福宮(キョンボックン)の正門、光化門(クァンファムン)から李舜臣 (イ・スンシン)将軍の銅像までの長さ600m、幅100mの通りの名前は「世宗路(セジョンノ)この「世宗」とは韓国で使われている韓国語文字(ハングル)を創った世宗大王の名前(廟号)からとられたもの。現在、世宗路(セジョンノ)は首都ソウルと韓国の政治・経済・社会・文化を象徴する道路。ですから韓国人が世宗大王をどのように韓国の歴史の中で位置づけているか、よくわかることと思います。このようにソウル中心街には韓国の歴史的偉人の名前を付けた通りが他にもいくつかあります。今日はこのような通りをいくつか紹介しましょう。紹介する通りは皆さんがよく訪れる通りなので、この道を通り過ぎる時にはソウルナビの説明をちょっと思い出してくださいね。ではまずソウルナビと一緒に「世宗路」に参りましょう!
光化門(クァンファムン)

光化門(クァンファムン)

李舜臣 (イ・スンシン)将軍の銅像

李舜臣 (イ・スンシン)将軍の銅像

1.世宗路(セジョンノ) : ソウル市鍾路区(チョンノグ)世宗路(セジョンノ)にある李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像から景福宮の正門、光化門への長さ600m、道幅100mの通りを指します。この道路は首都ソウルと韓国の政治・経済・社会・文化を象徴する通り。これは景福宮をはじめとして政府総合庁舎、経済企画院、文化観光部、世宗文化会館、李舜臣将軍銅像、教保文庫、道路元標(starting point of mile posts)など世宗路を中心に政治、文化、経済を代表する建物が位置するからなんです。ちなみに日本大使館もこの世宗路の近くにあります。去年(2002年)のワールドカップ・サッカーが終わったあと、韓国のワールドカップ4強進出を記念した祭典もここ世宗路・光化門前で開かれました。このように世宗路は韓国人にとって最も重要な意味を持つ通り、と言えましょう。ちなみに世宗大王(セジョンテワン・1397~1450、朝鮮第4代王、在位期間 1418~1450)は宮中に学問研究機関『集賢殿』を建て、学者たちを登用、学問を奨励し、農業、孝行、医学など多様な書籍を編纂。また印刷術と科学技術を発展させ、さらに韓国固有の文字である「訓民正音」、いわゆるハングル28字を制定、頒布した人物として、韓国歴史上最も優れた大王といわれる人物!そのため、後世の人たちは敬意を称して「大王」と呼んでいます。地下鉄5号線クァンファムン(光化門)駅2、3番出口を出るとすぐに見える銅像がその世宗大王です。
2.栗谷路(ユルゴンノ) : 景福宮の東十字閣(トンシッチャガッ)交差点から安国洞(アングットン)ロータリー、地下鉄3号線安国駅、敦化門(トンファムン)、昌慶宮(チャンギョンクン)、梨花洞(イファドン)交差点、興仁之門(フンインジムン・東大門の正式名称)に至る約3kmの通り! 栗谷路の名前は李氏朝鮮中期の学者であり、政治家でもあった李珥(イ・イ・1536~1584)の号「栗谷」に由来。栗谷李珥は退溪李滉(テゲイ・ファン)とともに李朝時代の性理学を発展させた二大学者の一人で、理気二元論を基本概念とする性理学において宇宙万物の存在根源を『気』とした主気論を主張した学者です。 栗谷路周辺には仁寺洞(インサドン)、北村(プッチョン)、昌徳宮(チャンドックン)、昌慶宮、大学路(テハンノ)などの名所があります。最寄駅は地下鉄3号線アングッ(安国)駅。
3.退溪路(テゲロ) : ソウル市中区(チュング)蓬莱洞2街(ポンネドンイーガ)のソウル駅から東に向かって会賢洞(フェヒョンドン)、筆洞(ピルドン)、双林洞(サンリムドン)から光煕洞(クァンヒドン)に続く、約3.5km(退溪路1街~退溪路6街)の通り。鍾路(チョンノ)、乙支路(ウルチロ)とともにソウルの中心部を東西に結ぶ幹線道路。退溪路は李氏朝鮮時代中期の学者であり武臣でもあった李滉(イ・ファン1501~1570)の号退溪に由来。退溪李滉も栗谷李珥と同じ李朝時代の性理学を発展させた二大学者の一人で、理気二元論をもとにした性理学から宇宙万物の存在根源を『理』とする主理論を主張した学者でした。退溪路周辺には、みなさんにもよく知られている南大門市場(ナンデムンシジャン・退溪路1街)、明洞入口(退溪路2街)、南山コル韓屋村(退溪路3街)、忠武路(チュンムロ)ペットショップ通り(退溪路3街~4街)、オートバイ商店街(退溪路4街~5街)などがあります。最寄駅は地下鉄4号線フェヒョン(会賢)駅、ミョンドン(明洞)駅、3・4号線チュンムロ(忠武路)駅。
4.乙支路(ウルチロ) : ソウル市中区(チュング)太平路1街(テピョンロイルガ)のソウル市庁から乙支路7街にある東大門運動場までを結ぶ2.74kmの通り。では乙支路1街から7街までを順に見てみてみましょう。乙支路は鍾路、?溪川路とともにソウルの代表的な商業地区を結び、特に乙支路1街~2街はソウル市庁をはじめとし、各銀行の本店、企業の本社、特級ホテルなどが密集。乙支路1街にはロッテデパート、ロッテホテル、また明洞入口、乙支路4街には魚類の乾物で有名な中部市場(チュンブシジャン)や壁紙・オンドル用の床(ピータイル)・ペンキなどで有名な芳山市場(パンサンシジャン)、乙支路6街には24時間買い物天国で有名な東大門市場(トンデムンシジャン)が軒を連ねています。このような「乙支路」の名前は高句麗(コグリョ)時代の名将・乙支文徳(ウルチ・ムントク)将軍の名前に由来。乙支文徳将軍とは612年、高句麗が隋の煬帝が率いる水陸両軍の侵攻を撃退し、大勝利を収めた戦いの中で最も大きい功績を収めた将軍でした。また薩水(現在の北朝鮮・平安北道と平安南道と区分する清川江を指す)において隋軍の別動隊約30万人を水の底に葬った「薩水大捷」の戦いは知らない韓国人がいないほど有名。 乙支路には2号線ウルチロイック(乙支路入口)駅、2・3号線ウルチロサンガ(乙支路3街)駅、2・5号線ウルチロサーガ(乙支路4街)駅、2・4・5号線トンデムンウンドンジャン(東大門運動場)駅などの各駅があります。
5.忠武路(チュンムロ) : ソウル市中区(チュング)忠武路1街(チュンムロイルガ)、ソウル中央郵便局前、忠武路5街(チュンムロオーガ)を繋ぎ、退溪路と明洞通りの間にある1.9kmの通り。忠武路1街(サボイホテル前の道)と2街(世宗ホテルの後ろの道)は明洞の中心地と横切り、忠武路3街から5街は商業の町として、細い道の両側にビルが密接しています。忠武路の名前は世界最初の鉄甲船である亀甲船を考案した李氏朝鮮時代の名将、李舜臣(イ・スンシン1545~1598)将軍に送られた号「忠武」に由来。忠武路にはバスや地下鉄が通ってはいませんが、近くに地下鉄3・4号線チュンムロ(忠武路)駅があります。
素月(ソウォン)キル

素月(ソウォン)キル

これ以外にも偉人の名前がついた有名な通りとしては、南山にある「素月(ソウォン)キル」と「小波(ソパ)キル」があげられます。「素月キル」は韓国叙情詩の代表的作品『チンダレッコッ(カラムラサキツツジ)」の作家として広く知られている金素月(キム・ソウォル、本名金廷?(キム・ジョンシク)・ 1902.8.6~1934.12.24)の名前をとり、1984年に命名。「小波キル」は韓国で子供の日を初めて公布し、記念行事を行った幼児文学家・方定煥(パン・ジョンワン、号は小波、1899.11.9~1931.7.23)の名前から付けられた通りです。
このようにソウル中心地の主な通りには歴史的偉人の名前を取って付けられていますが、本当にうまく命名したものだと思います。皆さんもそう思いませんか??以上、ソウルを代表する通り、世宗路からソウルナビがお伝えしました。

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記事登録日:2003-02-26

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