しばさきのキムチとバット~日韓野球考・第13回「野球と音楽」

2004年のプロ野球はアメリカ、韓国、日本ともに熱い幕切れだった。韓国シリーズも引き分け2試合を含む9試合も熱戦が繰り広げられ、現代ユニコーンズがチャンピオンの座に就いた。アメリカ・メジャーリーグでは1918年以来のチャンピオンとなったボストンレッドソックス(韓国人投手キム・ビョンヒョン所属)のポストシーズンの戦いぶりは球史に残る熱戦であった。
そのボストンレッドソックスが勝利を挙げると地元ボストンのフェンウェイ・パーク(アメリカではパーク=公園は球場を意味する場合がある)にパンク調の"Tessie"という曲が流れる。この曲は20世紀初頭にボストンの球場で歌われていた歌で、当時のボストンはこの歌に乗って何度かチャンピオンに輝いていたという。それからチームは1920年に資金難から投手で四番だったベーブ・ルースをニューヨークヤンキースに売り飛ばした後から「バンビーノの呪い(バンビーノはルースの別名)」という長い苦難の日々が始まり、この"Tessie"も次第に歌われなくなっていた。しかし今季から昔はワルツ調で歌われていたこの曲をパンク調にして復刻して試合後に流し始めたところチームは快進撃を始め、ついにはリーグ優勝決定シリーズでは3連敗の後に4連勝という劇的さで憎っくきニューヨークヤンキースを倒し、続くワールドシリーズも4連勝でセントルイスカージナルスを一蹴。2004年のニューイングランド地方ではこの歌が高らかに鳴り響いた。

ボストンレッドソックスにとって長年の目の上のタンコブだったニューヨークヤンキースにもチームの応援歌とも言える歌が幾つか存在する。中でも有名なのがフランク・シナトラが歌う『ニューヨーク・ニューヨーク』である。私は読売ジャイアンツとヤンキースは好きではないからヤンキースが勝利を挙げてヤンキースタジアムに響き渡る『ニューヨーク・ニューヨーク』が衛星放送の音声に乗って聞こえてくるのが何とも腹立たしかったのだが、この『ニューヨーク・ニューヨーク』という歌自体は好きである。他にはシカゴホワイトソックスの"Na Na Hey Hey Kiss Him Goodbye"は1977年に本拠地球場のオルガン奏者が奏でてからチームが快進撃しするなどホワイトソックスの応援歌のような存在になり、今ではあらゆるスポーツ会場で流れるようになっている。
少々前置きが長かったが韓国の球場でも定番ソングというものが多々存在するので紹介しよう。ソウルのチャムシル野球場の応援席に一日座っているだけでありとあらゆる音楽が流されているのがわかる。ホームチームの斗山ベアーズとLGツインズのチーム応援歌だけでそれぞれ数種類あり、歌詞が短いものが多いので、何度か聞いてスコアボードに出てくる歌詞を見ていれば、すぐに歌えるようになる。周りのソウルっ子と一緒に歌えば気分は一端のソウル市民である。チームの応援歌は日本の球場でもそれぞれのチームがあるので何も珍しいことではないのだが、韓国プロ野球の特徴はアメリカのようにチームが本拠地にしている地元の歌、それも歌詞の中身は野球とは全く関係ない歌が応援歌として流れることである。
ソウルの歌といっても沢山あるが、球場で応援歌として歌われるのは『ソウル』という歌で、歌詞は直訳すれば
「♪チョンノにはりんごの木を植えてみよう/
その道を夢を抱いて歩こう/
ウルチロには柿の木を植えてみよう/
柿の実がなるころ夢も実るだろう/
あーあーあー/
われらのソウル・・・♪」
という歌である。1980年代の曲でアップテンポで歌われる(カラオケに行って1234番を入力すれば出てくるので興味のある方はソウルのノレバンに行って時間が余ったら挑戦してみて下さい)。またソウルオリンピックの頃にヒットしたチョー・ヨンピルの『ソウル・ソウル・ソウル』もかつては球場で流れていたらしいが、筆者は耳にしたことがない。

他の都市の球場でもご当地ソングは大活躍。ロッテジャイアンツの本拠地プサンでは得点が入ったりチームが勝ったときは『プサン港へ帰れ』『プサンカモメ(カルメギ)』を大合唱するし、韓火イーグルスの本拠地テジョンでは『大田ブルース』が流れる。
現在はSKワイバーンズの本拠地となっている港町インチョンでも『沿岸埠頭』という歌が応援歌として歌われている。インチョンを主題とした歌ではないのだが、キムトリオというグループが歌ったこの歌がインチョンの街の雰囲気にぴったりすることから歌われているらしい。インチョンのプロ野球史は苦難の連続であった。1982年のプロ野球元年にインチョンで産声を上げた三美スーパースターズは滅法弱く、1982年の勝率は驚くなかれ0.188(15勝65敗)。この記録は永久に破られそうもない記録として今でも燦然と輝いている。その三美スーパースターズは経営難から1985年後期にはチョンポ・ピントス、1988年には太平洋ドルフィンズ、1995年から現代ユニコーンズと名前を変えた。現代ユニコーンズの時代になるとチームは強くなったのだが、現代はインチョンの狭くて汚い球場からソウル移転を画策し続け(現代と業務提携していたオリックスブルーウェーブも2004年限りで神戸の街を捨てることになったが、互いに地元を愛さないチームカラーというのは情けない)、ついにユニコーンズは1999年にはソウルではないものの水原市に移転してしまう。インチョンの野球ファンは悲しみに暮れたのだが、2000年に全州市から希望の光が差しこんだ。経営難でチーム消滅の危機にあったサンバンウルレイダースがインチョンにやってきたのだ。名前は新しい親会社SKを冠したSKワイバーンズ。『沿岸埠頭』もそのまま引き継いで歌われることになった。ちなみにインチョンにいた頃から『沿岸埠頭』を歌っているふりをして『ソウル』を歌っていたらしい現代のオーナーは未だにソウル進出を遂げていない上に、優勝を何度もしたところでご当地ソングもなく、地元水原市民に愛されることもなく苦戦している。皮肉なものである。

日本でも広島、名古屋、福岡、札幌などのチームにも「ご当地ソング応援歌」が存在しても良いと思うが、今のところ日本でご当地ソングが応援歌になっている例はヤクルトスワローズの『東京をんど』くらいなものである(読売ジャイアンツは「野球といえば巨人戦中継しかない地方から東京に出てきた人」と「野球といえば巨人戦中継しかない地方の人」に支持されている「地方」のチームなので『東京をんど』を応援歌にできなかったようである)。日本野球も愛する人間としては少し寂しい。

他にもスポーツの応援歌では『チョルムンクデ(若いあなた)』『アパート』などの懐メロが歌われるが、今後のゲームレポートの中で紹介する機会があると思うので、紹介はその時に譲りたい。
みなさんも韓国に限らず球場に行く機会があれば、目ではプレーを耳では音楽を楽しんでみて下さい。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2004-12-14

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