しばさきのキムチとバット~日韓野球考・第21回「2007年 韓国プロ野球レビュー」

第21回「2007年 韓国プロ野球レビュー」

今シーズンも野球を目一杯、楽しませて頂いた。寒さに震えながら見た3月のオープン戦から、晩秋の11月に行われたアジアシリーズまで。回った球場は、順に、神宮球場、東京ドーム、横浜スタジアム、蚕室野球場(韓国・ソウル)、千葉マリンスタジアム、東京ドーム、東京ドーム、ターナーフィールド(米国・アトランタ)、オリオールパーク(米国・ボルティモア)、フェンウェイパーク(米国・ボストン)、千葉マリンスタジアム、西武ドーム、横浜スタジアム、神宮球場、東京ドーム、東京ドーム。3カ国、7都市、9球場。私たち夫婦は、タバコも吸わず、ゴルフもせず、酒の飲み歩きもせず、ユニクロとエディバウアー以上に高いブランド品も身に付けず、車にも乗らず、カラオケもゲームセンターも行かず、昼食は愛妻弁当を食べて・・・嫁さんが観戦費用を捻り出してくれたおかげである。ありがたや、ありがたや。感謝したところで、今季の韓国プロ野球10大トピックスを振り返っていこう。

1>SKワイバーンズ、初の頂点へ

チーム/試合数/勝/敗/分/勝率/ゲーム差
1 SK/126/73/48/5/0.603/0
2 斗山/126/70/54/2/0.565/4.5
3 韓火/126/67/57/2/0.54/7.5
4 三星/126/62/60/4/0.508/11.5
5 LG/126/58/62/6/0.483/14.5
6 現代/126/56/69/1/0.448/19
7 ロッテ/126/55/68/3/0.447/19
8 起亜/126/51/74/1/0.408/24
今季のワイバーンズの第一目標は、実は『優勝』ではなかった。もちろん優勝を目指して戦うのだが、優勝は二番目以降である。第一番目に彼らが掲げたのは、『ファン第一』。スポーツとエンターテイメントを融合させた『スポーテイメント』を見せて、球場に詰め掛けたファンに満足してもらうことだった。かつては、『勝てば球場にファンがやって来る』というのが常識だった。しかし、『ファンが球場に詰め掛ければ、雰囲気が盛り上がり、勝利と金を呼ぶ』という事例も少なくはない。北海道のファイターズや九州のホークスを想像するとわかりやすいだろう。
開幕を前に、3塁側上層スタンドと下層スタンドの間に横長の電光板を付け、家族連れのファンのために、スタンド下には遊具を設置し、本拠地のムナク野球場も『スポーテイメント』仕様になった。かつての名選手で昨年までMLBシカゴホワイトソックスでコーチを務めたイ・マンスコーチは『ムナク球場が満員になったらパンツ一枚で場内一周したっていい』と公言し、5月26日キアタイガース戦でファンとの約束を果たした。今季から就任したキム・ソングン監督(京都出身)は、昨年まで在籍した千葉ロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督のショーマンシップから大きな影響を受け、勝利とファンサービスの二兎を追いかけた(そして、見事に二兎を得た)。フロントと現場のスクラムによって、観客数は331,143人(一試合平均5,256人)から656,426人(同10,419人)と倍増した。優勝しても観客が減った昨年の三星ライオンズとは一味違う、韓国球史に輝く優勝だった。
韓国シリーズを制した勢いでアジアシリーズをも制覇しようと戦ったが、惜しくも準優勝。しかし、スピードあるワイバーンズの戦いぶりは、韓国プロ野球のレベルアップを国内外に印象付ける善戦だった。

2>球都プサンに火をつけた?ロッテジャイアンツ

開幕ダッシュに成功したら、ファンが優勝したように騒ぐ。関西の話ではない。プサンのロッテジャイアンツは、4月6日からの開幕3連戦は現代ユニコーンズに3連勝。4月10日に本拠地サジク野球場に戻ってきたときは、平日にも関わらず、連日満員の観客がスタンドを埋めた。プサンの景気があまり良くないので、平日でも暇で球場に行ける人が多いのだという皮肉も聞こえたが、ここ数年の低迷からようやく抜け出せるのかと盛り上がった。しかしながら、多くのファンで埋まるプサンでの勝率が振るわず、5月中旬までは5割近い勝率をキープしたが、段々と勝率も順位も下降線を辿り、結局7位でシーズンを終えた。観客動員は441,133人(一試合平均7,002人)から759,513人(同12,056人)に増えただけに、後半戦もプレーオフの期待が持てるような戦いを見せていたら、もっと盛り上がったに違いない。収容人員が大きい球場があるプサンとソウルのチームが強いと観客動員も増える。来季に期待しよう。

3>観客動員400万人突破

チーム(2007観客数、平均)/(2006 観客数、平均)
1 LG 901,172、14,304/718,635、11,407
2 斗山 786,054、12,477/726,359、11,530
3 ロッテ 759,513、12,056/441,133、7,002
4 SK 656,426、10,419/331,143、5,256
5 三星 341,051、5,414/247,787、3,933
6 韓火 322,537、5,120/244,664、3,884
7 起亜 206,880、3,337/204,148、3,240
8 現代 134,559、2,136/126,385、2,006
合計  4,108,192、8,167/3,040,254、6,032
※起亜:一試合の未消化時点
1995年には540万人の動員があった韓国プロ野球だが、娯楽の多様化、スター選手の海外進出、1998年の経済危機などの理由から観客数が減少の一途を辿り、2002年には239万人にまで落ち込んでしまった。しかし、昨年のワールドベースボールクラシック(WBC)での躍進や各チームの地道なファンサービス、海外進出選手の帰国で風向きが変わってきた。昨年も観客が増えそうな気配があったのだが、春先の黄砂、梅雨、猛暑など自然現象にも影響されて思ったほどには伸びなかった。今季は雨天中止も少なく、1996年以来、11年ぶりに400万人を突破した(もちろん、日本やメジャーリーグと比べたら、ささやかな観客動員数であるが、人口や球場の収容人数を考えると、400万人の動員も立派な記録である)。来季も観客動員の鍵である、『首都圏チームの躍進』、『プサン・ロッテの快進撃』、『熾烈なプレーオフ進出争い』、『現代ユニコーンズの身売り問題解決』といった諸条件をクリアすれば、最盛期にも迫る観客動員も可能なはずである。来年は更なる躍進を期待したい。

4>イ・スンヨプ選手の活躍で読売がセ・リーグ優勝

読売は2003年から2006年まで4年連続で日本シリーズに進出できなかった。これは球団新記録である。そこで2007年は、右中間と左中間が極端に狭い本拠地・東京ドームの地の利を活かすため、ホームラン打者をラインナップに並べることを目的とした補強を果敢に行った。北海道日本ハムファイターズから小笠原道大内野手を引き抜き、イ・スンヨプ内野手には年俸6億5千万円を提示してメジャーリーグ進出の夢を見させなかった。この戦略が見事に功を奏し、チーム本塁打191本で見事にセントラルリーグを制した。金でペナントを買う本塁打野球は、なんと本拠地の観客動員を2%もアップさせた(2006年は289万2695人、平均3万9,626人、2007年は291万1,358人 、平均40,436人。両年度ともリーグ2位)。

しかしながら、クライマックスシリーズで中日ドラゴンズに完敗し、またしても日本シリーズには進出できず、ほぼシーズンを通じて首位を快走するも、関東地区の地上波テレビ視聴率は平均10%に届かず、『視聴率10%を切る番組はゴールデンタイムから排除する』という日本テレビの方針によりジャイアンツ戦の中継は減少した(優勝決定の試合すら地上波で生中継がなかった)。東京ドームのチケットも、前売り券は新橋の金券ショップで買えば、正規の窓口より安く買え、当日券も阪神戦や一部の試合を除けば球場の窓口で普通に買えるようになった。

原因はファンの高齢化と地方での巨人ファン減少である。ファンの高齢化はテレビ中継スポンサーから、若者向けの車にパソコンや携帯電話などの高額商品を売るスポンサー撤退を招き、入れ歯安定剤にカツラや高齢者用紙オムツなどの単価の安い商品のコマーシャルが目に付くようになった。圧倒的な支持基盤があった地方では、北海道、九州、東北に進出したパ・リーグ球団の人気が根付き始めたため、日本の各地の小学校で、巨人の帽子を被る子供をほとんど見かけなくなってしまった。かつてのように地方から東京へ、多量の巨人ファンが供給されなくなったのである。

国内でのファン開拓が頭打ちになった読売は、仕方なく韓国という市場に目を向けた。2006年オフにはソウル・江南で日本人若手選手のサイン会を行い、韓国の有料テレビ局へ放映権を売り、ソウル一番の繁華街である明洞にグッズショップも開いた。効果はすぐに現れ、今季の東京ドームには読売の帽子やTシャツを身に付けた韓国人観光客の姿が目に付くようになり、11月に東京ドームで開催されたアジアシリーズの試合前に『読売ジャイアンツ優勝記念グッズ』を買い求めていたのは十中八九が韓国人観光客だった。『ゴキブリは少し叩かれたくらいではなかなか死なないものだ』とは言わず、ここは素直に韓国市場開拓という先見の明を褒めておこう。イ・スンヨプ選手の活躍に読売の未来が懸かっている。

5>聖地・東大門野球場が撤去へ

1982年3月27日。『子供に夢を、若者に情熱を、全国民に余暇善用を』というキャッチフレーズを掲げて韓国プロ野球が始まった。全チームの選手とマスコットが集まり、全斗煥大統領の始球式が行われた。その開幕の舞台となったのが、東大門野球場である。日本占領下の1925年に京城運動場として建設されてから、現在に至るまで、韓国野球の聖地として韓国野球の歴史を作ってきた東大門野球場。プロ野球は1982年に完成した蚕室野球場に徐々に舞台を移した為、近年はアマ野球の聖地として愛された。
日本人観光客にとっては、ミリオレやドゥータでのショッピング中にエレベータやトイレ横の窓から見える野球場として馴染みがあるかもしれない。私にとっては、ハングル版のスコアブックや各種野球用品が豊富に揃っているので、よく徘徊したエリアである。中で試合を見たことはないが、かつての大阪球場のように外壁にずらっと並んだ店舗や隣接するサッカー場の内部を含めた露店での買い物を楽しんだ。

そんな東大門野球場も2007年11月13日2007年秋季ソウル市高校野球大会をもって歴史の幕を閉じることとなった。撤去にあたっては現役プロ選手や野球関係者から強い反発があったが、老朽化と都市開発の波には勝てず、ついに撤去されることとなった。跡地は公園とショッピングモールになる予定である。毎日のように開催されていたアマチュアの試合は、当面は他の球場や大学のグラウンドで行う予定で、将来的にはソウル市は国際規格の球場ひとつを含む7箇所の代替球場を建設する計画である。

ソウルを本拠地とする斗山ベアーズとLGツインズ両球団は9月のホームゲームから一試合でも蚕室ではなく東大門で開催できないかを検討したが、建物の老朽化、フィールドの人工芝の安全性、トイレなどの施設、蚕室野球場に入っているテナントへの補償などの問題をクリアできず開催は見送られた。タイムマシーンがあるならば、1980年代のプロ野球を東大門野球場で見てみたいと思う。

6>追憶マーケティングの成功

『1982年と1995年の栄光をもう一度!』斗山ベアーズは9月22日の三星ライオンズ戦を、かつてのOBベアーズ時代のデザインのユニフォームで戦った。併せて1982年のプロ野球元年の優勝メンバーによる始球式やサイン会も開催された今回の復古主義イベントは人気を呼び、曇り時々雨という天候にもかかわらず、多くのファンが蚕室野球場に詰め掛けた。
アメリカでは以前より『ターンクロックデー』と題したイベントがよく開催され、昔のユニフォームで選手がプレーしたり、一部の入場料を昔の価格にしたりして人気が高いイベントとなっていたのだが、ついに韓国でもこの種のイベントが開催されるようになった。
韓国プロ野球にも振り返るだけの過去が出来たこと、1980年代に少年時代を過ごしたファンが会社員として経済的にも安定し、子育てもひと段落して球場に行く余裕が生まれたこと、生活が先進国並みになる中で、過去を懐かしむ余裕が出来たことなどが成功した理由であろう。
実はこのような追憶イベントは斗山ベアーズが最初ではない。これまでにも、2002年にSKワイバーンズが、かつてインチョンを本拠地とした三美スーパースターズに似せたユニフォームでプレーするイベントを開催し、二年前からプサンのロッテジャイアンツも年に何試合か昔のユニフォームを着てプレーしてきたのだが、いずれもファンに好評だった。来季以降、このトレンドは他球団にも広がっていくかもしれない。

7>日本-韓国-米国-台湾 新天地を求める外国人選手

実例1>2004年に斗山ベアーズで17勝したゲーリー・ラス投手は、2005年は東北楽天ゴールデンイーグルスで3勝し、2006年はベネズエラで18勝、2007年は台湾のLa newベアーズで12勝した。
実例2>2001年に、打率.291、本塁打34、打点113を記録して、斗山ベアーズの韓国シリーズ制覇に貢献したタイロン・ウッズ内野手は2003年より日本に渡った後も、破壊力満点の打撃を見せ、2007年には中日ドラゴンズの日本一に貢献した。
実例3>2001年に阪神タイガースで7勝10敗、防御率3.87(セ・リーグ10位)だったバディ・カーライル投手は、2005年はロスアンゼルスドジャース、2006年はLGツインズの中継ぎを努めて3勝4敗、防御率4.75、2007年は6月以降にアトランタブレーブスの先発ローテーション入りし、8勝7敗、防御率5.21を記録した。

ここに挙げた3人のアメリカ人選手は、日本とアメリカと韓国でプレーした経験を持つ(ラス投手は台湾でもプレーした)。松坂選手やイチロー選手がメジャーリーグで活躍し、日本とメジャーリーグの差が縮まったと感じる方も多いと思うが、彼ら3人を見ていると、選手個人の野球の実力以上に、気候、文化、チームカラー、リーグの雰囲気に早く適応できるかが大きな鍵を握っているのではないかと思えてならない。6月にアトランタに行った際、ブレーブス対カブスの試合に先発したカーライル投手を見る機会があったのだが、阪神時代よりも、LG時代よりも、投げる姿が堂々として見えた。日本でも韓国でもアメリカでも、野球選手として活躍するのは、とても大変なことで、神様から才能を与えられて、努力して実力を伸ばし、チャンスを掴んだ結果なのである。

8>韓国初のドーム球場建設へ?

5月11日、京畿道安山市と韓国野球委員会との間でドーム式野球場建設の覚書が交わされた。建設には3、4年かかると見られている。ワールドベースボールクラシック(WBC)やアジアシリーズを自国で開催するためにもドーム球場建設は韓国野球関係者の間では悲願とされてきていた。1995年にLGグループが中心となってソウル市内にドーム球場建設を進めたことがあるが、国策により、途中でサッカー・ワールドカップ競技場建設へ転換せざるを得なかったために実現しなかった苦い思い出もある。実際に目にするまではドーム球場が韓国に出来るのか不安ではあるが、温かく見守っていこうと思う。しかし、本当の贅沢とは、青空の下、天然芝で野球を楽しむことである。日本のように人工芝と屋根の球場だらけになって欲しくはない。

9>海外派選手の韓国復帰

6月にアメリカに行った時のこと。9.11以降、アメリカの入国審査の対応は冷たく感じるようになった。有色人種のガイジンは来なくていいとでも言うように。しかし、私たち夫婦の場合は、渡航目的を聞かれて『野球を見に来た』と答えてから、眼鏡をかけた神経質そうな審査官の兄ちゃんの対応が一変した。

審査官:野球?どこに?
私:アトランタとボルティモアとボストン
審査官:ボストンといえば、すごい大金で日本のピッチャーが入ったよな。あいつは良いピッチャーだよ
私:松坂ですね
審査官:そうそう。ダイスケだよ。ええっと、君は日本で、奥さんは韓国のパスポートね。そういえば、韓国人の選手もアメリカにはいるよな。下手投げのピッチャーで・・・ええっと・・・
私:キム・ビョンヒョン!
審査官:そうそう、今はどこで投げてるの?
私:フロリダマーリンズ
審査官:彼も色々なチームを転々としてるな。そういえば、カブスからフロリダに行った韓国人の左バッターがいたな?名前は忘れちゃったな・・・
私:チェ・ヒソプですね。今は韓国に戻ってプレーしていますよ
審査官:そうだ!ビッグチョイだよ(チェ・ヒソプ選手はBig CHOIという愛称で呼ばれていた)。カブスファンの俺は好きだったんだよ。彼が怪我した試合はテレビで見てたよ。残念だったな。ところで、アトランタではどこの試合を見るんだい?
私:カブス!
審査官:そうだった。今朝、テレビで言ってたよ。今日はカブスが勝つよ!ゴー!カブス!!

最後に大きな声でカブスの応援をしながらパスポートを返してくれた。嫁さんは英語が苦手な私が、野球の話だとたくさん喋るのと、余計な知識はよく知っていることに、改めて驚いていたが、野球のおかげで入国審査も楽しいものになった。
審査官の兄ちゃんも好きだったチェ・ヒソプ選手は2002年から2005年までメジャーリーグ(シカゴカブス、フロリダマーリンズ、ロスアンゼルスドジャース)で活躍したが、故障にも泣かされ、2006年はついにメジャーに昇格することなくシーズンを終えた。2007年もキャンプはタンパベイデビルレイズのユニフォームを着たが、開幕メンバーに選ばれず、故郷である光州の起亜タイガースへ戻ることとなった。ここ数年、低迷するタイガースの救世主として期待され、韓国デビュー戦となった5月20日の蚕室野球場(対斗山ベアーズ)は3万500人収容の蚕室球場は札止めになり、翌21日も満員に近い観客で溢れた。しかしながら、他球団の執拗なマークに加え、故障もあり、52試合出場、打率.337、67安打、7本塁打、46打点に止まった。他にもアメリカからの復帰組としてLGツインズのポンジュングン投手もいるが、6勝7敗と振るわなかった。
メジャーリーグで活躍したからといって、すぐには活躍できないくらい韓国野球のレベルが上がったのか、単に適応力の問題なのか。アメリカからの帰国選手が続々と帰ってきつつある韓国プロ野球。海外派選手に来季も注目したい。

10>盛り上がらなかったサマーリーグ

今季よりサマーリーグという企画が実施された韓国プロ野球。7月15日から8月14日の期間に最も勝率が高かったチームに賞金2億ウォン(約2,540万円)、記者投票によるMVP選手に500万ウォン(約63万円)が贈られるという企画である。日本の交流戦の成功に触発されたのと、梅雨時の観客動員減少対策として導入されたのだが、盛り上がりに欠けた。理由は、サマーリーグといっても、いつもの8球団同士で戦うことには変わりはなく、サマーリーグに優勝してもポストシーズンに進出できるわけではなく、目新しさは何もなかったからに他ならない。来季以降も実施するならば、ポストシーズンの一枠を保証するとか、ポストシーズン進出時にアドバンテージを与えるとか、全球団サマーリーグ用ユニフォームを着用するなどの対策を講じる必要があるだろう。なお、優勝は20試合14勝6敗、勝率.700の好成績を収めた三星ライオンズだった。

以上、長々と振り返った2007年の韓国プロ野球。現代ユニコーンズの身売り問題や三星ライオンズの本拠地建替え問題の進展は遅々として進んでいないものの、2008年もワクワクさせてくれるシーズンになることを期待したい。韓国旅行に行かれる機会があれば、是非、球場へも足を運んでください。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2007-12-11

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