魚青、初めての海外旅行&韓国ひとり旅

何もかもが面白かったので、今回の旅行ですっかり韓国ソウル中毒になってしまいました。

-名前 : 魚青(=고등어) /年齢 : (素性)三十路に踏み /出身地 : (生息地)江原道東海市と同じくらいの緯度 /在韓歴 : (訪韓歴)初めて(海外も初めて) /コメント : 2008年、三十路を迎えるに当たって、「ちょっと思い切ったことを!」と、初めての海外旅行にチャレンジしてみました。鉄道やバスなど乗り物が好きで、国内もあちこちひとり旅していたので、当然今回もひとり旅で!という事で、選んだ旅行先は韓国。私の地元の新潟から一番気軽に行ける上、学生時代に韓国語を少々かじっていたので、大いに興味がありました。-

1日目 5月29日(木曜日)

新潟空港9:30発・ソウル仁川行きのKAL764便に乗って、仁川空港に到着しました。飛行機の遅れと審査の混雑で、やっと到着ロビーへ出たのは12:20頃。でも、審査は呆気ないほど簡単で、拍子抜けするほどでしたが(笑)。
早速、ナビのクーポンを持って外換銀行で両替。そしてSKテレコムで携帯電話を借り、KORAIL案内所で明朝の江陵→清涼里の列車チケットを無事入手しました。最後に観光案内所でガイドブックや地図を貰おうとしたのですが、行った所が閉まっている!!お陰で端から端まで、広い仁川空港のフロアーを走り回る羽目になりました。韓国へ来て、いきなり疲れましたね……。
空港を出たのが13時頃。バスの切符を買って、609番バスで高速バスターミナルへと向かいました。初めての海外、韓国の風景に興味しんしんでした。
市内のイス(이수)JCT付近で若干渋滞したものの、1時間くらいで高速バスターミナルへ。日本出発前に、隣接のセントラルシティや江南地下商街共々、ナビで事前情報を調べていたのですが、バスターミナルの規模にとにかく圧倒!!構内へ入れば、色々なお店が並んでいますし、端から端まで連なる乗り場、バスまたバスの待機場や乗り場の風景は壮観です。
15:40発・江陵行きの優等バスの切符を買い、ターミナルの外で友達から借りていたTマネーにチャージした後は、セントラルシティを覗くことに。こちらもバスターミナルなので、ずらり並ぶ切符売り場などには、圧倒されました。
機内食からそんな時間が経っていないのに、軽めの食事を、という事で麺類の店に入って冷麺を頼みました。すると、店員さんが「オンミョン」と言います。なので代わりに、チャジャンミョン(짜장면)を頼みました。ハヤシライスのような、ちょっと甘めのタレは、やみつきになりそうです。また、付け合せに日本と同じ黄色いたくあんが出てきたのには、正直びっくり。ただ、韓国独特の金属の箸、慣れないと違和感ありまくりです。
その後、新世界百貨店の地下食品売り場を見物し、生寿司が並んでいるのに驚きつつ、高速ターミナルへ戻りました。
17時過ぎ、ムンマク(문막)休憩所でトイレ休憩しました。喉が渇いたので買ったのは、日本と同じパッケージのポカリスエットでした。その後、深い谷に掛かる大きな橋など、山越えの雄大な車窓をしばらく楽しみます。そして、何本か続いた長いトンネルを抜けると突然、前が見えないほどの霧に突入し、急な下り坂に掛かりました。周りの車もハザードを点灯して走っていますが、目の前に突如車が現れるような状況の中で、110?/h程度で流れているのは、正直怖かったです。自分で絶対に運転したくありません。
ソウルから3時間弱で、江陵のバスターミナルに到着。江陵駅近くで宿を探そうと思い、観光案内所で何とかバスの路線を聞いてみたのですが、結局タクシーに乗って駅まで行くよう頼みました。すると観光案内所で貰った紙を見て私を日本人だと知った運転手さん、拙い韓国語での会話の中で駅周辺に宿をとる事を知るや、しきりに寝るポーズをとると「アンドゥエダ」と繰り返し、「パダ(海)」がどうのこうのと言いました。どうも、駅周辺での宿泊は薦められないと言うことのようです。
とりあえず駅に行ったのですが、運転手さんの薦めに従い、降りずにどこに連れて行かれるかも分からないまま、「パダ」へと向かいました。連れて行ってくれたのは、江陵では有名な海岸リゾート・鏡浦(경포)の海岸通りにある、『スタービーチ』(스타비치)というモーテル。何と運転手さんは私を紹介してくれたばかりか、3者交えた話の中で翌朝のモーニングコールとタクシーを呼ぶ話までトントン拍子に決まるという状況でした。本当に親切な運転手さんに、「カムサハムニダ」と深々と頭を下げてお別れしました。
部屋は6階で、海が見える部屋にしてくれ、広い部屋でダブルベッドにゆったりしたバス・トイレ付きで5万ウォンだから、上々です。夕食は、宿のお兄さんが近くの刺身の店に案内してくれました。15,000ウォンの刺身丼を頼みましたが、日本のイメージとだいぶ違って、どこかサラダのような感じ。赤いタレで食べるのも、わかめスープや8種類もの小皿が付いてくるのも新鮮な感じでした。韓国の人達の親切さ共々美味しく戴き、ネオン輝く鏡浦の海岸通りを、途中コンビニに立ち寄ってアイスを買いながら宿へと戻ったのでした。

2日目 5月30日(金曜日)

6時半過ぎに、モーテルをチェックアウト。朝もやが掛かった鏡浦の浜辺を離れ、タクシーで江陵駅へ向かいました。駅までは10分足らず、呼び出し料を入れても5,100ウォンでした。
7:00のムグンファ号で、ソウルの清涼里駅へ向かうためにやって来たのですが、昨日降り立ったバスターミナルと比べ、駅の小ささと人気のなさには拍子抜けです。駅には売店くらいしかありませんし、列車を待つ人も疎らです。
発車10分前に改札が始まって、いよいよホームへ。私にとっては、いよいよ初めての海外の列車です。電気機関車を先頭に、電源車、特室車、その後に一般車両が4両続きます。機関車が牽く客車列車は、日本の鉄道ではめっきり見なくなりましたし、低いホームからステップを登って乗り込むというのも新鮮。一般車の窓側の切符を買ったのですが、座席がとてもゆったりしていて、いい感じです。
定刻より若干遅れて、清涼里まで6時間35分の旅が静かに始まりました。しばらくすると、窓辺には海が広がります。でも海岸には、北朝鮮の工作員侵入を防ぐための鉄条網が延々と続き、小川の河口にまで柵が張られ、迷彩色の監視小屋が所々に見えました。以前より緊張が緩和しつつあるといえ、こんなものが一日も早く必要なくなる日が来て欲しいもの。このあたりの対岸は、まさに私の地元です。同じ海を共有するものとして、切に思うばかりです。
さて、実はこの列車に乗ろうと思ったのは、山に入った道渓(도계)駅の先にある、羅漢亭(나한정)のスイッチバックとループ線を体験したかったからです。道渓駅を出るとすぐ、韓国語でスイッチバックの説明らしき放送が入って(何を言っているかまでは分かりませんでしたが)、しばらくすると一旦停止。そしてそのまま逆走し、今走ってきた線路を下に見ながら、山を登っていきます。実は、スイッチバックはあっけなかったですが、その先のループ線が長かった。谷が右へ行ったり左へ行ったり、相当の時間を掛けて高度を稼いでいて、日本では恐らくないくらいの雄大な車窓でしたが、再来年位には全長16kmの新しいループトンネルに切り替えられるそうです。かなり前から、ここの存在を知って是非乗りたいと思っていたので、今回「体験は今のうちに」と思い組み込みました。嶺東線のこの雄大な車窓を楽しむなら今のうち、皆さんも是非お楽しみ下さい!
その後も、ソウルの近くまで、途中大小幾つもの街を過ぎ、大小さまざまな駅に停まりながら、延々と山また山の中を走っていきます。少々退屈にはなりましたが、石炭やセメントを運ぶ貨物列車を多数見かけたり、山間の田舎町にまで高層アパートが林立していたり、そんな様子を眺めるだけでも楽しかったです。そしてソウルに近付くと、山間ながら満々と水をたたえた、広い漢江が寄り添います。
清涼里駅到着は、定刻から10分ほど遅れていました。黄砂が来ているようで、随分どんよりと曇っています。地下鉄を乗り継いで、この後2晩お世話になる大元旅館・新館へ。景福宮駅から、本当に歩いてすぐで便利な立地で、お母様と若奥様が応対されたのですが、日本語も分かるし親切で、本当一人旅、しかも初めての海外とあっては、正直ほっとします。周りもソウル市内でありながら都会的でなく、どことなく下町(というか田舎)風情が漂っていて、非常に私好みの雰囲気でした。
ただ、景福宮駅の出入り口もそうでしたが、盾を持った機動隊員や、警察のバスが多数配置され、ものものしい雰囲気でした。若奥様に伺ったところ、夕方以降米国産牛肉問題の抗議デモがあるためだとか。この時は、翌日の晩、まさかそれを目の当たりにするなんて思っていなかったのですが……。
部屋に荷物を置かせてもらい、必要なものだけ小さなバックに詰め替えて、近くの商店街?にある食堂でお昼にしました。頼んだのはスンドゥプチゲ。赤米のご飯におかずまで付いて4,000ウォンは安いです。しかもそのおかず、キムチや玉子焼きは良いとして、サンマの焼き魚が1本付いてきたのは驚きました。実は朝から何も食べていなかったのですが、本当お腹一杯。でも辛いです。
腹ごなしに安国方面まで歩いて、鍾路警察から新龍山駅までは151番バス。ラジオが車内に流れるノンステップバスで、大都会のバス専用レーンを突っ走るのは、違和感ありまくりでした。龍山駅まで歩いて、そこからは東仁川駅まで急行電車、さらに乗り換えて仁川駅、そしてバスで月尾島(월미도)へ。朝を日本海(東海)の浜辺で迎え、夕方は黄海(西海)で、という趣向です。
月尾島の海岸通りは、江陵の鏡浦みたいに、刺身や海鮮料理のお店が立ち並んでいますが、遊歩道になっていて、多くのカップルやグループ、夫婦などが思い思いの時間を過ごしていました。近くには、とても懐かしい感じの小さな遊園地があります。そんな一角には、58年前の仁川上陸作戦の記念碑が、ひっそり佇んでいました。58年前の壮絶な戦闘が、今の平和な風景からは想像できません。でも、つい数時間前のどんよりした天気がウソのように、見事な快晴だったのは、本当良かったです。
まだ明るいので、遊覧船などに乗ってもよかったのですが、時間を見たら19:00。こんなに明るいとは思いませんでしたが、いい時間なので、おやつに妙なホットドックを食べ、23番のバスで東仁川駅へ。放送がなくラジオだけでしたが、降りる場所はすぐ分かりました(笑)。
駅北側のヤンキー通りなどをぶらついてから、駅へ行って、九老行きの急行電車に飛び乗りました。途中までご一緒だったおじいさまは、横須賀の海軍学校を出られたとかで、メモを書いていた私が日本人と分かると、流暢な日本語で話しかけてこられ、色々お話をしました。その中で、「大和魂は間違っていなかった」という言葉が出てきたのが、強く印象に残っております。
そのまま1号線~4号線で明洞へ。ナビに出ていた『ユガネ』でタッカルビでも、と思ったのですが、1人入店は断られてしまい、何を食べようか考えながら歩いているうちに、乙支路入口の交差点から清渓川、ライトアップされた鐘閣、様々な屋台が立ち並ぶ鍾路と、1時間も夜のソウルの街をぶらぶら。いい加減決め兼ねているうちに、時間を見たら22時近くになっていました。もういい時間だし、と鍾路3街あたりの焼肉屋へ入店。ここは1人でも良いそうで、お店の人は少し日本語が分かりました。結局食べたのは石焼ビビンバ。小皿が6つに、スープまで付いて6,000ウォンという値段は、日本の感覚からするとお得感いっぱいです。
その後、地下鉄の階段上り下りも疲れるので、鍾路3街のバス停から、0212番バスに乗車(歩いている時にバス停の路線図をチェックしていました)。カードを当てた途端にいきなり発進、クラクションは鳴らしまくる、フライング気味のドアの開け閉め、と、見事な走りっぷりを満喫しながら(笑)、22:40頃大元旅館新館へと帰ったのでした。

3日目 5月31日(土曜日)

今朝は6:50頃、宿を出ます。朝食は、近くの『キムパブ天国(김밥천국)』で、コングクス(콩국수)を頼みました。豆乳で麺を食べるなんて初めてでしたが、豆腐を何も付けずに食べる、あの味が広がって、なかなか気に入りました。麺類にキムチとたくわんが一緒に出るのは、韓国では基本のようですね。
7022番バスで朝の街を疾走し、ソウル駅へ。オドゥ山統一展望台の最寄りの金村(금촌)駅までの切符は、さほど掛からずに手に入りました。7:50発の臨津江(임진강)行き通勤列車で、金村駅まで小一時間ほど揺られます。
金村駅は、電鉄工事で真新しい高架線に生まれ変わったばかりのようで、列車を下りると真新しい電車ホームを通って、改札口へ向かいます。戦闘服姿(丸腰)の兵士が目立つ駅を出ると、かつての古い駅舎を通り抜け、駅前へ出ます。
駅前でタクシーに乗って、山の上にあるオドゥ山統一展望台までは、15分位で着きました。田園地帯を10?位行くのですが、道路封鎖用のコンクリートの塊や、軍の基地まであり、都市化が進む中でも「前線」なのを実感します。それにしても、これだけ乗って1万ウォンでお釣りが来る韓国のタクシーの安さには感激モノです。
ここへ来たら、何を差し置いても、対岸の北朝鮮を見たいです。展示物をさっと見て、上階の展望台へ向かうと、今日は快晴だったので、肉眼でも川の向こうの北朝鮮がはっきり見えました。でもやはり、設置されている高倍率望遠鏡にはかないません。向こうで田植えをやっている様子がはっきり確認できましたが、生活水準の違いが如何ともしがたいです。たった1本の川で、同じ民族が分断され、社会制度も生活も全然違う、しかも自由に行き来できないという不条理を、まざまざと見せ付けられる場所でした。ちなみに、持参のデジカメで北側の様子を撮影しましたが、望遠鏡にレンズを当て、接写モードにして画面を見ながら望遠鏡を調整して撮影、という「技」を使いました。
1時間くらい見物し、シャトルバスで下の駐車場へ。そこのトンイルトンサンバス停から、京畿道200番バスで、地下鉄2号線の合井駅へ向かいました。このバスの走りっぷりがまた「お見事」!!乗る時も、相当飛ばして現れたのを手を振って停め、追いかけて乗り込んだら、一気にアクセルを踏み込み急発進です。そして、高速道路のような、鉄条網が延々続く岸辺の道を走ったと思ったら、田園地帯、整然とした一山(일산)のニュータウン、そして本当の高速道路に乗ったら、また漢江沿いの高速道路みたいな道と、そんな感じの所を、まさに「爆走」してソウルの街へと向かいました。韓国のバスの走りは「激しい」と兼ねてから聞いていましたが、このバスは一番凄かった。まあ天気も良く、お約束のラジオ(さっぱり分かりませんが、歌番組をやっていました♪)もあって、ドライブ気分で楽しかったのですが。
地下鉄2号線で梨大駅へ行き、ナビでチェックしていた『スラ』で昼食。是非行ってみたかった店でした。プルコギがメインの『スラトゥップル』を頼みましたが、学生街らしくボリュームが半端でない!!甘めのおかずが多かった事もあってか、本当腹いっぱいになります。10年前だったらペロリと行けたのですが、歳を取ったことを感じます(笑)。でも、おこげたっぷりの石釜赤米ご飯、とても美味しかった。
その後、楽しそうな梨大の街を散策。女子学生ばっかりです。梨大の前では、なにやら女子学生が集会をやっていて、横断幕が色々ありました。何の集会か分からず、撮った画像を大元新館の若奥様にお見せし伺ったのですが、結局分からずじまいでした……。(横断幕の1つには、実質的な問題解決の謝罪がどうのとか書いてあったようです)
171番バスに乗って、一旦大元新館へ戻り、一休みします。周りには、朝居なかった機動隊が配備され、警察バスが続々来ていました。若奥様に伺ったところ、また牛肉デモがあるのだとか。それでもまだ、自分がデモの真っ只中にこの後立とうとは、思いもしなかったわけですが。
スラで腹いっぱいになったにも関わらず、お母様からチヂミをご馳走になって、30分位休みました。
午後からは、景福宮を見物。とにかく歴史と伝統を感じさせる、壮大なスケールの王宮でした。日本語ガイドツアーに参加しようかと思っていたのですが、興礼門の中で集合というのを知らず、入場券を買う列に居るうちに時間が。仕方なく自動案内機を借りて回ることにしました。
とにかく広いので、正直歩いていて疲れてしまいました。でも、伝統的な衣装を着た人が居たり、意外にもリスが走り回っていたりして、宮殿の厳かさ以外にも興味深いことが沢山でした。宮内からは、ソウルの高層ビル群や南山のNソウルタワーも見えますので、伝統と現代の対比も楽しめました。あまりに広くて時間が掛かって、国立民俗博物館まで回れなかったのは、残念でした
夕方、大元新館で30分程休憩し、5号線の光化門駅を目指しましたが、場所が分からず30分位掛かりました。辺りでは機動隊の放水車があったり、機動隊の皆さんが弁当を食べる姿が目立っていました。これはこの晩の序章に過ぎなかったわけですが……。
5号線でヨイナル駅まで乗って、近くの漢江公園へ。夕陽に照らされたソウルのビル群と、広い河川敷の芝生が印象的でした。カップルやグループの皆さん、楽しそうですね。
その後、261番バスを捕まえて、63ビルへ。展望台へ行って、暮れなずむソウルの街の景色を眺め、写真をいっぱい撮ったのは良いのですが、どうも体調を崩してしまい、トイレに駆け込む羽目に。疲れと食べ過ぎが祟ったようです。ちょっと休んで落ち着いて外を見たら、外のライトの列が見事でした。
展望台を出たのは20時頃。本当は南大門市場で夕食でも、と思ったのですが、体調が悪いのでさっさと大元新館へ帰ろうとしました。ただあのとても深いヨイナル駅始め、地下鉄は上り下りが大変です。なので南大門市場でバスを乗り継ごうと思い、261番バスに乗車。サッカー?の中継が流れていたバスは、夜の街を順調に走ったのですが、崇礼門手前でデモ隊とすれ違ったのです。
それでも何事もなく、南大門市場の北側のバス停に無事着いたのですが、他のバスが続々来るのに、乗るつもりの7022番バスがいつまでも現れません。路線図を見ても、終バスまでまだ相当あるし、配車間隔は15分も開かないのに。そのうちに他のバスも少なくなり、バス待ち客が車道にまで溢れ、見切りをつけたのかタクシーを拾う方も続々出ていました。
疲れて歩きたくないので、様子を見ていたら、30分位してソウル駅方向が封鎖され、対向車線を行っていた151番バスが、目の前で追い返されてバス停にやってきました。それに乗れば良かったのに立っていると、やって来たのはデモ隊!!「ミンチュシーミン、パンケーヘーヨ!!」(帰国後知ったのですが「民主市民、一緒にやろう!」という意味みたいです)の大合唱と共に、色々な世代の人たちが、手にろうそくやビラを持ち、道を埋め尽くし練り歩いていました。「李明博OUT!」と書かれた紙や、「謹弔・民主主義」と書かれた紙もありました。ですが、不思議な事に、緊張感とか緊迫感、危険を感じることは全くなく、むしろみんなで和やかに、楽しんでいるようにさえ見えました。仲間で写真を撮り合っている人も多々居ましたし、外国人の観光客もカメラを向けるという、まるでお祭りのような奇妙な雰囲気でした。
デモ隊は10分程で通り過ぎ、しばらくしてバスも動き出しましたが、7022番だけは現れません。1時間10分くらい過ぎた22時近くになり、痺れを切らしてとにかく3号線の駅へ向かう事にし、乙支路3街を通る152番バスを捕まえ乗車。入口を間違えてかなり歩きながらも、無事3号線に乗って景福宮駅に着いたのは、22時10分頃でした。

地上へ出てみると、南大門で見たのとは大違い。機動隊が配置に就き、道はデモ隊に完全に埋め尽くされている状況でした。歩道では多くの人が見物しており、大元新館のお母様も見ていました。お母様と一緒に眺めていたのですが、目の前で機動隊と睨み合いになったり盾を持って走って行ったり、とにかくこの界隈は喧騒の渦。しかし、なぜか、危険な感じは全くなく、なんとまあ親子連れや、赤ちゃんを負ぶったお母さんまで見掛けました。デモ参加者や見物人がたくさん写真を撮っているのは、不思議で仕方なかったです。
結局、体調不良も忘れて暫し見入っているうち、デモ隊の参加者が引き上げ、道には参加者の落としたビラなどが散らばっていました。私はそのビラを1枚持ち帰り、翌日若奥様に、その意味を質問したのですが、お母様に聞きに行かれた末「相当汚い言葉なので、教えたがらない」といわれました。帰国後辞書で調べ、さらに裏面の文章も全部訳してみましたが……これは確かに「宜しくない」表現でした。大元新館の若奥様、その節は大変失礼致しました。
この後も、遅くまで光化門前などで座り込んでいたようで、日付が変わっても騒がしかったです。ただ、機動隊に鎮圧されたり、解散させられたような事態は、なかったようでした。

こうして思わぬ事態に遭遇してしまったのですが、午前中にオドゥ山で北朝鮮を遠望して、あちらの一端を垣間見た身としては、正直感慨深いものがありました。このデモは、一部が先鋭化したり、メディアのあり方など、様々な点で多々問題があったことを後に知りましたが、一方でこれこそが、韓国の民主主義社会というものなのでしょうか。韓国の社会や、民主主義の意味というものを、強烈な形で突きつけられ考えさせられた、とても得難い体験をした夜になりました。

4日目 6月1日(日曜日)

調子が悪かったので、ちょっと遅めに起きて、朝食はパンだけ。本当は東大門の焼き魚通りへ行ったり、マッサージもしてもらおうかと思ったのですが、そんな元気はなかったです。でも最後の日、まだもう少し観光を、と思い、9時半頃大元新館を出ました。昨日は朝から警官が配置されていなかったのに、今日は旅館前の小路も警官が複数で巡回しています。しかし、大通りは、昨晩の騒ぎがウソのように車が流れていました。
3号線で東大入口まで乗って、南山循環バス02番でNソウルタワーへ向かいました。この02番バスの運転士は、日本並みの丁寧な運転や応対が印象に残りましたし、運転席には日本語での問答集まで貼ってありました。
チケットを買ってエレベーターに乗り込み、タワーの上にある展望室へ向かいます。昨日は63ビルで夕暮れのソウルの街を眺めたのですが、こちらは63ビルでは見えない南山の北側も全部眺めることができます。世界の主要都市までの距離も窓に表示してあって、日本人の女の子達に、東京までの距離をバックに記念撮影を頼まれました♪ただ、外の風景を撮るとなると、緑色のガラスのお陰で変な色になってしまうのですが。
一通り眺めた後は、緑茶ピンス(녹차빙수)を食べて、ほっと一服。

一通り眺めた後は、緑茶ピンス(녹차빙수)を食べて、ほっと一服。

再び02番バスで、木漏れ日の山道を下ります。行きもそうでしたが、バスの通る道を歩いて登ってくる方を大勢見掛けました。市民にとっては手軽なハイキングスポットでしょうか。でもソウルのような大都会のど真ん中でこんなことが出来るなんて、贅沢だとは思いませんか?
退渓路3街でバスを降り、南山コル韓屋村へ。チャングムなどの韓国ドラマに出てくるような伝統家屋が並んでいますが、石の塀など、日本と違う造りが興味深いです。農機具やキムチのカメ、オンドルと煮炊き共用の釜などもあって、タイムスリップしたような感じになります。でも周りは近代的な市街地。伝統と現代のコラボと言ったところでしょうか。
それにしても、韓国の子どもが「いちたすいちは!」と言って写真を撮るポーズをしていたのには、ちょっとびっくり。
大韓劇場前までぶらぶら歩き、263番バスで南大門市場へ行きます。でも、この時点で13時近く夕方の飛行機で帰るので、ゆっくり見られなかったのが残念です。
 折角ここに来たので、2月に放火され全焼した崇礼門も見ていきます。絵が描かれたフェンスで囲まれていましたが、本物には替えられないにしても、一日も早く復元されることを願いたいです。
昨晩1時間以上も居たバス停から、7022番バスで大元新館へ戻り、2晩お世話になった宿をチェックアウトします。行った時は、お母様が赤ちゃんをおんぶしてあやしていました。本当家庭的なこの雰囲気が、気に入りました。また次回も利用したいです。
若奥様共々、よくお礼を言ってお別れし、近くのおかゆ専門店で昼食。体調を考えての選択です。と言っても、頼んだのはシーチキン野菜かゆ(참치야채죽)。雑炊感覚で、かなりボリュームがありました。茶色の酸味がある飲み物も出されたのですが、あれは一体何だったのか、今もって謎です。
その後、ずらり歩道側を占拠する機動隊のバスをすり抜けて1711番バスに乗り、ソウル駅へ行きました。さらに1号線で、新吉駅まで乗車。5号線に乗り換えて、金浦空港で下車し、隣接するEマートへ行きました。ここで家族へのお土産用に、色々韓国の食品を購入します。先程のおかゆのイメージがあり、レンジで温めると食べられるおかゆを3種類購入したのですが、祖母が非常に喜んで食べてくれました。あと、韓国ではレジ袋は有料なのですね。実は、帰国してレシートを見て気付きました。
A‘REXコミューターで仁川空港に着いたのは、かなり遅めの時間でしたので、携帯電話の返却に搭乗手続き、出国審査と少々慌しかったです。でも、出国して搭乗側へ出たのが17:10頃でした。最後に、新韓銀行で余った札を両替し、コインを減らそうとジュースを飲んだり。でも、手元にはしっかり350ウォン残っています。
そして、17:55発・KAL763便で、夕空を見ながらのフライトの後、無事新潟空港へ帰着したのでありました。
初めての海外旅行、しかもひとり旅で韓国を訪問しましたが、欲張り過ぎて体調を崩してしまったのは失敗でした。でも、ひとりでも言葉が上手く通じなくても、本当に色々楽しむことができました。そして、あまりにも何もかもが面白かったので、今回の旅行ですっかり中毒になってしまい、毎日ソウルナビをチェックするようになりました。来年以降も是非訪問したいです。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2008-10-28

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